第10話
アオイはミウと共に車でこれまで行ったことのないエリアを探索し、缶詰やバッテリーといった有用な物資を探して回った。
一人で来ていた時は念の為、車からあまり離れることはなかったが、今はミウに任せていられるので動きやすかった。目ぼしい店の前で停車出来る時は一緒に探したりもした。
日が暮れてくると、町の方へと移動して夜を明かした。わざと治安の悪いエリアを選んでいるが、そのことをミウは知らない。
そうして、家を出てから三日目の夕暮れが訪れた。
「今日は色々と見つけられたね。こんなに使えそうな物が残ってるんだ」
「早々に都市部を離れた人が大半だから、分かりやすく使える物以外は意外と残されてるんだよ」
「そっかぁ」
普段ならなるべく人に見つからないようにしているが、今は周辺から集めた木材で堂々と焚き火を起こしていた。まるで害虫をおびき寄せる誘蛾灯のように。
すると、三日目にしてようやく目当ての相手が現れてくれた。
「アオイ……」
「分かってるよ」
少し遅れてミウも気づいたらしい。その足音から武装していることも分かる。何か手に棒状の物を持っているようだ。程なくして、彼らは姿を見せた。
「よう、随分と羽振りが良さそうだな。俺らにも分けちゃくれねぇか? 礼はするからよ」
男が四人。各々が鉄パイプのような長物やナイフを持っており、下卑た笑いを浮かべている。
明らかに言っていることと見た目が一致していない。拒否権など与えていない、という様子だ。しかし、頷くわけもない。
「悪いけど、あんたらにくれてやる物は何一つないよ」
「そうかい。なら、力づくで奪わせてもらおうか」
交渉を続けようともせず、あっさりと暴力に頼る。こういう相手は良心が痛まなくて良い。いずれコミュニティの害になるかもしれない。秩序の敵はここで排除する。その前に少し利用させてもらうとしよう。
「ミウは下がってな。自分の身だけ守っといて」
横に並び立とうとしていたミウを後ろに下がらせ、アオイは前に出た。
多人数と戦うのは一見不利に思える。けれど、実際はそうでもない。相手は味方同士での衝突や同士討ちに気を遣わねばならない。その為、結局は順に攻撃を仕掛けるという形になってしまう。そうなると、実質的には一対一の戦いだ。それをごく短い時間で繰り返すに過ぎない。
「オラァッ!」
まず一人目が襲い掛かってきた。長物を斜めに振りかぶっている。上半身に力が入り過ぎで、下半身への意識がおろそかだ。なので、軽く横にステップしてかわした後、その側面から肩を下に引っ張った。
「うぉっ……!?」
その男は身体のコントロールを失い、勢い余って転倒する。更にアオイは頭部に足を乗せると、容赦なく地面に叩きつけた。バキッと鈍い音がし、ピクピクと全身を震わせる。鼻と歯が破壊されて戦闘不能だ。
「てめぇっ!」
仲間がやられて怒り心頭に発した様子の二人目が襲ってくる。
こういう奴らでも仲間意識はあるらしいのが不思議だ。呆然としていなければ、助けられていたかもしれないのに。集団での暴力のお陰で生きてきたのだろうが、やはりただの素人だ。怒りに駆られた者の動きほど読みやすいものはない。
ナイフを真っ向から突き刺してきたので、その手を取ると四方投げ気味に捻り上げた。ただ、三人目が迫っていることにも気づいていたので、力の流れの向きを調整し、そちらに飛ばしてやることにする。ナイフを持った腕も向かうようにしながら。
「なっ……!?」
「あ、がっ……!?」
二人目の男は味方を突き刺してしまい、愕然としたまま倒れ込んだ。アオイはその首筋に掌底を打ち込むと、ガクリと頭を下げた。骨を砕く感覚があったので、もうまともに息も出来ないだろう。
「さ、後はあんただけだよ」
最後に残った四人目に告げると、僅かに後ずさったかと思えば突如その身を反転させた。
「うっ……うおあああああっ!!」
そのまま駆け出そうとするが、事前に察知したアオイはそれよりも先に接近していた。
「逃がさない」
服の首元を掴む。僅かに引っ張られるが、首が締まったことで抵抗は弱まり、反動で生じた力を利用してその場に引き倒した。仰向けとなった男の腹部を踏みつける。肋骨を数本折っておくとしよう。きっとそれくらいでちょうど良い
その後、アオイはホルスターから拳銃を抜くと、倒れた他の三人に一発ずつ射撃した。それぞれ狙った頭部に命中する。これで生存はあり得ないだろう。
「ふぅ」
無事に片付いたので、アオイは少し気を緩めて一息吐いた。
闖入者によって騒がしくなった空気もあっという間に静かになっていた。残っているのは、一人だけ生かした男の唸るような苦悶の声だけだ。
さて、問題はここからだ。正直、どんな結果が待っているかは分からない。それでも、躊躇ってはいられない。
アオイはミウを一瞥する。彼女はこちらに尊敬の眼差しを向けていた。けれど、今から自分がやることを知っても、同じような
「さて、あんたに生きるチャンスをあげる。死にたくないでしょ?」
アオイはただ一人撃たずに生かした男にそう言った。男はコクコクと頷いている。
ミウはあっという間に四人の男を撃破した彼女の姿に見惚れるしかなかった。
やっぱりアオイは凄い。自分はまだまだ彼女のようには戦えない。そんな風に思った。
「よし、立ちな。そのまま動かないこと。ミウ、こっちに来て」
「えっ、うん」
ミウは急に自分が呼ばれたことに戸惑いながらも近寄った。
すると、アオイが脇に退いたことで、立ち上がった男と対峙するような形となる。拳銃を突き付けられたままなので、余計なことをするとは思えないが、不安が込み上げてきた。
何せ男だ。こうして向き合うと、過去の
それにしても、襲ってきた悪人を一人だけ生かして、アオイは一体何をしようとしているのだろうか。
そう思っていると、彼女は驚きの言葉を告げた。
「その子に勝てたら逃がしてあげる。武器はなしでね。逃げようとしたり、武器を使おうとすれば、即座にあんたを撃つ」
ミウはその言葉の意味が上手く理解できなかった。いや、受け入れたくないのだ。困惑しながらアオイを見る。しかし、彼女はこちらと目を合わせてもくれなかった。
「素手なら殺しちまっても良いのか……?」
脇を押さえて苦しそうな男の問いかけにアオイは迷わず頷く。
「ああ、構わないよ。殺されるならその程度だったってことさ」
突き放すような言葉。そこには一切の情が感じられなかった。
彼女は適当な場所に腰を下ろす。拳銃も既に向けていない。
ミウはようやく理解する。自分は今から目の前の男と戦わなくてはならないのだ。しかも、相手は死に物狂いで襲ってくるだろう。勝てば殺されずに逃げることが出来るのだから。
こちらを射貫く男の視線から感じるのは、本気の殺意。初めて体感するそれは身を硬直させるには十分だった。
「ミウ。私はあんたがどんな目に遭っても助けない」
「アオイ……」
改めて告げられた冷淡な言葉に涙が出そうになる。心が激しく軋んで息苦しい。
それでも、アオイは復調を待ってはくれない。男との距離は僅か二メートル程。たった一歩近づくだけで手が届く状態で、戦闘開始の合図を告げる。
「さ、いつでも始めていいよ」
そう言った途端、男は真っ向から突進を仕掛けてきた。
ミウは咄嗟に良く馴染んだ構えを取るが、それは大きな違和感を伴っていた。
「っ……!?」
伸びてきた男の腕を取って投げようとする。しかし、それは思うようにいかなかった。力の流れを御し切れずに弾かれてしまう。明らかに力の入れ方や動かし方を間違えてしまっていた。
身が萎縮している。まるで自分の身体が自分のものではないような感覚だった。
「あ、くっ……」
ミウは突き倒されてしまう。男はそのまま馬乗りになって、両手で首を絞めてきた。
過去の体験を思い出す。あの時とされようとしていることは違うが、全身を駆け巡る本能的な恐怖は良く似ていた。それは精神状態の悪化を加速させる。思考が纏まらず、訓練で学んできたような抵抗が出来ない。
「悪いな、俺の為に死んでくれ……!」
太い腕に力が入るのを感じた。ミウは必死に引き剥がそうとするが、思い切り体重を掛けられてしまっており、ビクともしない。
喉を襲う猛烈な痛みとまともに呼吸が出来ない二重苦。視界が激しく明滅する。
以前、アオイに教わったことがある。単純な膂力勝負となってしまえば、合気道の技でどうにかするのは難しいので、必ず避けなければならない、と。
つまり、この体勢からもはや打つ手はない。それを察したミウは辛うじて動く顔を動かして、思わずアオイに懇願の視線を向ける。助けて、と必死に念じた。
「…………」
しかし、アオイは動かない。ただ無言で状況を見つめているだけだった。
「っ……」
ミウは全身が麻痺していくのを感じた。死が間近に迫っているのが分かる。
極限の精神状態は今の欲求を純化させていく。
嫌だ。死にたくない。そんな言葉で頭の中が埋め尽くされる。
それは微かに残った力で拳を振るわせた。体勢は悪く、既に視野も定まっていないような状態なので、大した威力はない。実際、男の脇腹を小突いた程度だった。
「がぁっ……!?」
しかし、男は悶絶して怯んだ。拳が当たったのはアオイが踏みつけた部分で、どうやら傷を負っていたらしい。腕に込められていた力と掛けられていた体重が緩む。
ミウは無意識的に両手で男の膝を押し上げており、仰向けに転倒させた。既に後ろに傾いていたので、大きな力は必要なかった。
ふらつきながらも立ち上がると、先程アオイがしていたように、男の顔を上から踏みつけた。全身に力はほとんど入らないが、重力に委ねて振り下ろすくらいは出来る。鼻が折れ、歯が砕けようと、何度も何度も踏みつけた。
……まだだ。ちゃんと殺さなきゃ。
ミウは意識が朧気なままホルスターから拳銃を抜くと、男の血塗れになった顔に銃口を向けた。何も考えずに引き金を引こうとする。
だが、その前に銃声が鳴り響き、男の頭部が撃ち抜かれていた。
「もう十分だよ、ミウ」
アオイはそう言って、ミウの構えた拳銃を下ろさせた。彼女にこんな奴を殺させるわけにはいかない。余計な死を背負わせてはならない。それは自分の役割だ。
ミウはしばらく魂が抜けたような様子だったが、やがて理解が追い付いたのか、堰が決壊したように双眸から涙を溢れさせた。
「アオイっ……怖かった……怖かったよぉ……!」
ミウはこちらの胸の中に飛び込んできて、子供のように泣きじゃくった。
……いや、彼女は実際まだ子供だ。たった十三歳の少女。なのに、こんなにも苦しめてしまっている。
本当は手を背に回して、抱き締め返してあげれば良かったのだと思う。けれど、アオイにはそれがどうしても出来なかった。深い罪の意識がそれを許さない。
「ミウ、私はね……あのまま殺されるなら、放っておくつもりだったよ」
だから、こんなことしか言えない。あんたが縋るような人間じゃなければ、尊敬するような人間でもない、と伝えるように。
だというのに、こちらを見上げたミウは涙目のまま首を横に振って見せた。
「……仕方ないよ。アオイはわたしを強くする為にやったんでしょ? あのままやられちゃうようじゃ、復讐なんて上手くいきっこないもん。だから、平気だよ」
彼女はそう言って笑顔を形作ったが、それは痛々しく思えた。
必要なことだと思ったからやっただけだ。そのはずなのに、胸が張り裂けるように苦しい。
これで良い。これが正しい。そう思い込もうとしても、悔恨の念が押し寄せてくる。
今の自分はまた何かを間違えているのだろうか。シンの時だってそうだ。もっと上手く関わることが出来ていたら、あいつを救えていたのかもしれないのに。
それでも、もう止まれないのだ。自ら定めたレールを進んでいくしかない。他に自分に出来ることなんて思いつかない。
この身を待ち受けているのは地獄だろう。それで良い。それが良い。この間違いばかり犯してきた生涯に相応しい苦しみを与えて欲しい。
ただ、ミウだけは復讐を成し遂げた先で幸いに満ちた未来を歩んで欲しい。この残酷でどうしようもない世界でもきっと彼女は生きていけるはずだから。そう心から願っている。
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