第8話

 突如として世界を襲った大災害。電力の喪失によって止める術のない火災は多くの命を奪い去ったが、ミウは両親と共に何とか生き延びていた。

 町内で集まった人々の間では、初めの頃こそ助け合って生きていこうという働きがあった。しかし、政府からの支援はおろか通達が来ることもなく日々が過ぎていき、間もなく訪れた真冬の暴威は人々を奪い合いへと駆り立てた。


 ミウはほとんどの時間を自分の部屋で過ごした。家の外は危険だから絶対に出てはいけない、と両親にきつく言われていた為だ。

 食料は両親がいつも手に入れてきた。スーパーやコンビニを探せば、意外にも残っている物らしい。自分も一緒に探しに行きたいと言っても、決して許してはもらえなかった。


 ミウはたまに窓の外をカーテンの隙間からそっと眺めていた。外を出歩く人間が日に日に減っていくのが感じられた。一年が過ぎた頃にはどの時間帯もまるで無人の町のようだった。


「じゃあ行ってくるよ、ミウ」

「私達の声がするまでは隠れてるのよ」


 父も母も目に見えてやつれていた。手に入れた食料の大半をミウに食べさせていたので、当然かもしれない。大人はこれだけでも大丈夫、育ち盛りのミウがたくさん食べなきゃいけない、なんて言うのは明らかに嘘だった。


「うん……行ってらっしゃい、気を付けて」


 ミウはいつものように両親を見送った。時間は夜だ。暗い方が人に見られにくいので良いらしい。

 暗闇の中で独りになる。灯りは小さなライト一つだけ。寂しいけれど、待っていればいずれ帰ってくるだろう。

 しかし、その日に限ってはどれだけ時間が経っても両親が帰って来ることはなかった。気づけば寝てしまっており、外から僅かに差し込む光で目を覚ました。


 家の中を見て回っても、二人が出ていく前から何も変わっていない。一階は酷く荒れているが、それは誰かにされたわけではなく、自分達でやったことだ。綺麗なままだと悪人が侵入してくるかもしれない、と考えた為だった。実際、これまでは安全に過ごせていた。

 それにしても、何かあったのだろうか。不安になったミウは外に両親を探しに行くことにする。玄関の扉を小さく開けてスッと出ると、気を付けながら近くを見て回った。


 人影は全くない。最近はずっとこんな感じだ。単純に人の数が減っているのと、家の中に隠れているからだろう。

 だからこそ、遠目に人影を見つけた時、ミウは慌てて隠れた。一軒家の前に男がいた。目が良いので、その横顔がくっきりと見える。両親よりも若そうだ。頬に太い線のような傷跡があるのが印象的だった。


 その男は誰かの死体を調べているように見えた。それは上半身が家の敷地の方に隠れていて、下半身だけが見える。今では死体が転がっていることはそんなに珍しくない。

 時間が経てば動物が食い荒らした後、雨風でどこかに流れていくが、それまでは大抵放置されている。まだ服を着ていてちゃんと形があるということは、死んで間もないのだろう。


「っ……」


 だが、そこでミウは気づいてしまった。その死体が履いているズボンに見覚えがあることに。

 似たような物なんていくらでもある。だから、そんなはずはない。そうは思いながらも心臓が激しく高鳴り始める。

 すぐに飛び出したい気持ちを何とか抑えて、男がいなくなるのを待った。あいつが殺したのなら、近づくのは危険だ。

 しばらくして、完全にいなくなるのを待ってから、ミウは死体に近づいた。


「そんな……」


 ガクリとその場に膝をついた。痛みがあるけれど、気にならない。

 その死体は、父だった。額に穴が空いており、そこから血が流れている。銃で撃たれているようだった。玄関の扉が開いており、そこには同じような形で母が倒れていた。


「あ、あぁぁ……うあぁぁぁぁぁっ!!」


 ミウは二人の氷のように冷え切って硬直した身体を抱き寄せると、人目もはばからず泣きじゃくった。

 どれだけの時間、そうしていたかは良く覚えていない。気づけば、涙も声も枯れ切って出なくなっていた。

 もう二度と両親には会えない、という喪失感だけが胸中に残っており、ジクジクと苛み続けている。

 それでも、ミウはふらふらとしながら何とか立ち上がって家に帰った。両親の死体をそのままにするのは可哀そうだと思ったが、埋める気力はとてもなかった。


 ミウは自室に蹲りながら思う。独りぼっちになってしまった。いくらこうしていても、両親が帰って来てくれることはないのだ。その厳然たる事実はミウからあらゆる気力を奪い去った。

 しかし、そんな状態でも空腹にはなる。億劫ながらも残っていた食べ物を口に運んでいると、すぐになくなった。これからは自分で探しに行かなくてはならない。両親はどうやって見つけ出していたのだろう。分からない。


 このまま何もしなければ、死ぬのだろうか。そう思うと、ミウは途端に怖くなった。死ぬのは嫌だった。

 生きる。生きて……どうしよう。少し考えて、思いつく。


「……殺す。そうだ、パパとママの仇を取らなきゃ。あれは悪い奴なんだから。生きてちゃいけない。わたしが、やるんだ」


 胸の内に芽生えた強烈な想いは身体を動かしてくれた。何とか毎日をやり過ごしていく。両親がやっていたようにすれば、意外と何とかなった。水は雨を貯めておいて、沸騰させて飲む。火はカセットコンロがあった。

 食料は近くのスーパーやコンビニに行って探した。基本的に何もないが、たまに缶詰や飲み物のペットボトルを見つけ出せることがあった。台の下のような場所を探すのがコツだった。背が高い大人は気づきにくいらしい。

 ただそれでも、食料はどうしても足りることはなく、ほとんどの時間を空腹で過ごしていた。


 そんなある時、すっかり警戒が薄らいだ状態で食料を探し歩いていたミウは、道端で声を掛けられた。


「やあ、君。もしかしてお腹空いてるんじゃない?」


 通りがかった家から顔を出していたのは、知らない男だった。髪も髭も伸びっぱなしで不潔な感じだ。けれど、それはミウも似たようなものだったので、あまり気にならない。

 ビクッと身体を震わせたのは、単純に恐怖からだ。他人を襲って食べ物や飲み物を奪う悪い人がいるから、誰かを見かけたらすぐに逃げなさい、と両親に言われていた。

 なので、すぐに逃げようとしたが、続く言葉に心惹かれてしまう。


「良かったらうちで何か食べていかないかい? 色々とあるからさ」


 そう言って、男は缶詰やレトルト食品を見せてくれた。


「いいのっ……!?」

「ああ、もちろん。好きなだけ食べていいよ。さあ、おいで」


 すっかり食料に釣られたミウは家の中に入ると、言われるがまま居間のソファに座った。

 割り箸を渡されたので、それを使ってテーブルに並べられた缶詰をガツガツと食べていく。しばらくまともな食事が出来ていなかったので、手が止まらなかった。

 男はそんなこちらの様子を何も言わずにジッと見つめていた。

 何て優しいのだろう。もう外には悪人しかいないと思っていたが、そうではなかった。


 やがて、ミウが満腹になって手を止めたところで、男は問いかけてきた。


「名前は何て言うのかな?」

「……ミウ」

「ミウちゃんか。お父さんとお母さんはどうしたんだい?」

「……死んじゃった」

「そっか……それは残念だね」


 そう言うと、男はどうしてか隣に座ってきた。近い。怖いと思ったが、貴重な食料を与えてくれた人に怯えるのは悪いような気がした。


「なら、これからはおじさんと一緒に住まないかい? そしたら、毎日今みたいにご飯を食べさせてあげるよ」

「えっ、でも……」


 本当にこれからもこんな風に食事をもらえるなら良いと思った。ただ、知らない人と一緒に住むというのは抵抗がある。すんなり頷くことは出来なかった。


「大丈夫、ちょっとしたお礼をしてくれるだけでいいから」

「お礼?」

「ミウちゃんにも必ず出来ることだよ、こんな風に、ね」

「きゃあっ!?」


 突然、ソファに押し倒された。男は上に覆いかぶさってくる。

 荒い息。何をしようとしているのか分からない。しかし、それが恐ろしいことであるとは感覚で理解できた。


「大人しくしてればすぐに済むよ……」

「ひっ、いや、やめてっ、むぐ……!?」


 ミウが咄嗟に叫ぼうとすると、強い力で口を押さえられた。もう片方の手で身体を撫で回してくる。その行いはこれまでに感じたことのない恐怖感をもたらした。全身がぞわりと震えて、寒気がする。このままだと酷い目に遭わされる。


「んんんんんんッ……!!」


 ミウは必死に抵抗する。両腕を振り回すが、痛くも痒くもなさそうだった。その時、偶然テーブルの上にあった何かに触れる。反射的にそれを掴むと、目の前に迫る顔に叩きつけた。


「ぎ、ぎゃあああぁぁぁっ……!」


 男は思ってもいない反応を見せた。迫っていた身体が後ろに下がる。その顔からは血が噴き出していた。フッとこっちの身体が軽くなる。自分の手を見ると、空の缶詰を掴んでいた。蓋の部分からは血が垂れており、それが顔を切り裂いたようだった。

 ミウはそのタイミングを逃さずソファから抜け出すと、全力で外に飛び出た。


「はぁっ、はぁっ……」


 遠くまで走ってから、後ろを振り返る。誰も追って来てはいなかった。

 安堵した途端、足から力が抜けたことでその場に崩れ落ちて、傍の壁にもたれかかる。

 助かった。もう少しで大変なことになっていたに違いない。やはり他の人を信用してはいけなかった。両親の言う通り、すぐに逃げなくてはいけなかった。

 もうこの世界には善い人間はいないのだ。そんな人はきっと両親のように殺されてしまっている。他者を殺して容赦なく奪う悪人だけが今も生きているのだ。

 誰にも頼れない。頼ってはいけない。外にいる人間は全て敵だ。自分の力で何とかしなければならない。


 その出来事以来、ミウは誰かに気を許すことはやめた。他人には決して近寄らないようにした。

 草を食べ、虫を食べ、雨水を飲んで。とにかく生きることに必死だった。時にはお腹を壊したり、体調が悪くなることもあったが、何とか生き延びることが出来ていた。


 しかし、ある日、運悪く外で知らない男に捕まってしまい、食べ物を出すように言われたが何も持っておらず、振るわれる暴力に耐えるしかなかった。このまま殺されるのかと思った。

 誰も助けてくれはしない。この世界にはもう悪人しかいない。そんなことは分かっている。

 それでも願わずにはいられない。誰か助けて、と。


 そんな時のことだった、アオイが現れたのは。

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