第7話

 全国各地で一斉に重度の通信障害と飛行機の墜落が発生した。

 それを受けて、アオイの所属する部隊は駐屯地近隣の飛行機墜落現場に災害派遣された。

 しかし、その最中に突如の大停電が襲った。周辺一帯の電灯が一斉に消え失せたが、それだけでなく電力を喪失したことで水道も止まったことにより、悠々と燃え盛る炎渦に対して為す術を失ったのだ。


 頭上には真紅のカーテンのようなオーロラが揺らめいており、誰もが呆然とそれを見上げた。

 もはや救助活動の継続は不可能となっており、部隊は撤退の判断を余儀なくされた。しかし、未だ避難活動も行われていた現場は完全に恐慌状態と化していた。

 それは雪崩のように自衛官も巻き込んでいき、現場指揮官の命令が聞こえた者と独自の判断で退却を選んだ者だけが駐屯地まで帰り着くことが出来た。

 無事に戻れたのは半数にも満たなかった。戻らなかった者の所在は不明だ。混乱に巻き込まれ命を落とした者もいると考えられた。

 何はともあれ、上官の指揮の下、体勢を立て直す必要があった。


 駐屯地も大停電と火災の憂き目に遭っていた。待機していた自衛官はその対処に追われていたらしい。非常用電源施設は何とか無事だったが、送電線が焼き落ちてしまっており、すぐの復旧は困難なようだ。理解不能な出来事が続いている現状に誰もが憔悴していた。

 そんな中、上官に集められたアオイ達はスーパーフレア及びCMEの説明を受けた。どうやら政府からの情報伝達があったらしい。しかし、今は連絡が取れなくなっているということも聞かされた。


 太陽で起きた現象が原因だと言われても、規模が大きすぎて付いていけなかった。これまで地震や台風といった天災に対し、人類は何度も乗り越えてきただろう。だが、そんなこの数百年でも発生していないような宇宙規模の天災相手に、果たして人類が出来ることはあるのだろうか。

 自衛官達の間には深い絶望の色が広がっていた。家族や友人、恋人などが心配でも連絡を取ることも出来ず、それはいつまで続くか分からない。自分達が動かなければならないことは百も承知だが、何から手を付ければ良いのかも判断が出来なかった。上官達でさえもその有様で、もはやまともに機能していない。

 結局、自分達が生きることに専念するしかないまま、数日が過ぎた。


「…………」


 アオイはいつもの場所に来ていた。空から降り注ぐぼやっとした赤い光を受けながら、気休めに煙草を吸っている。夜空には相も変わらずオーロラがたなびいていた。

 これといって命令も出ておらず、かといって電気もつかない自分の部屋で待機しているのも辛い。駐屯地内を死んだような顔で徘徊している者も多く見かけた。破滅的な事態に打ちのめされているのだろう。


 ただ、アオイ自身は他の者達とは少し違う理由で懊悩していた。今感じている思いは、目的の喪失。元々、国を守るという大義に縋るような気持ちで入隊した。なのに、その国がこんな風に一瞬で滅茶苦茶になるとは思いもしていなかった。

 果たして、今でも自分が守ろうとしたものは残されているのだろうか。それとも、既に国という存在は失われてしまったのだろうか。もはやただの個人が各所で生存しているだけなのだろうか。

 分からない。どうすれば良いのか。一度は抜け出たと思ったはずの暗闇。地獄で掴んだはずの蜘蛛の糸。けれど、気づけば逆戻りしていた。いや、此処はもっと深く冷たい場所なのかもしれない。


「アオイ……」


 いつの間にかシンがやって来ていた。普段は事前に察知できているのに、今はまったく気づかなかった。平常心でないことの表れだ。

 見上げると、ろくな光源もない中だが、その瞳はドロリと濁って見えた。彼も同じように目的を奪われ、茫漠とした虚無感に囚われているのだろう。


「なぁ、アオイ……俺はどうすれば良いんだ……教えてくれよ……」


 そう問いかけるシンの表情は必死だった。縋るような気持ちであることが良く分かる。だが、その問いに答えてはあげられない。


「……私にも分からないよ」

「そう、か……そうだよな……」


 シンはそう呟くと、ふらりと消え入るように立ち去った。気に掛ける余裕はなかった。自分のことで手一杯だ。

 やがて、アオイは一つの結論を出した。自分に言い聞かせるように口にする。


「もう、ここにはいられないな」


 立ち上がって自分の部屋に戻ると、出立の準備を始めた。別に駐屯地を出たからといって、何か考えがあるわけでもない。ただ、ここにいる理由はとうに消え失せていると感じただけだ。それなら、適当に放浪して野垂れ死んだ方がマシだと思った。


「……武器もあった方がいいか」


 先に車両の鍵を取りに行った後、武器庫に侵入した。どちらも夜中ということもあって、バレる気配はなかった。

 しかし、そこで武器庫内の様子がおかしいことに気づく。普段どんな風に並んでいるかは良く知っているので、明らかに荒れていることが分かった。

 それが意味することは一つ。先に武器を持って行った奴がいる、ということだ。

 嫌な予感がした。アオイは必要な物をさっさと回収することに決める。

 拳銃と銃弾があれば十分だろう。予備も含めて背負っていた背嚢に詰めていく。


 今後これらが必要になる機会が来ないとも限らないので、なるべく残しておいた方が良いだろう。もしかすれば、外は思っていたよりもずっとマシに済んでいるかもしれない。それでも、荒れてしまった世界で秩序を保つ為には武力も必要となるに違いない。

 自分はもはや自衛官としての責任はかなぐり捨てているが、それでも世界や文明が滅んで欲しいわけではない。むしろ、救いが残されていることを願っている。外でそれを探したいのかもしれない。さあ、夜の内に出て行くとしよう。


「っ……!?」


 そこで突然の爆発音が鳴り響いた。更に銃の連射音が続く。手榴弾と小銃のHOWA5.56だろう。

 アオイは慌てて武器庫から出ると、反射的に拳銃を手にして音のした方角へと向かった。その間にも爆発音と銃声は何度も繰り返し轟いていた。


 生活隊舎のある辺りへ近づいていくと、足元に何かが転がっていることに気が付いた。良く見ると、それは人だった。同じ自衛官の仲間だ。銃撃を受けたことで血塗れで息絶えている。

 周囲を見回すと、同じような死体がいくつもあった。また隊舎の窓ガラスが割れており、中からは噴煙が上がっている。手榴弾によるものだろう。


 何者かが殺戮を行っている。それは既に不安定だった兵士達の心への負担に拍車を掛けるだろう。まるでボールが下り坂を転がり落ちていくように。そうなってしまえばもう、止まらない。恐慌状態に陥ったが最後、味方同士での殺し合いに発展してしまうに違いない。その前に何とか止めなければならない。

 犯人に心当たりはあった。けれど、信じたくはなかった。


 やがて、隊舎の入り口に辿り着いたことで遂に対峙してしまう。全身を血に濡らしながら幽鬼のように歩む者がいた。その手には小銃を抱えている。


「シン……!」


 拳銃を構えて背後から叫ぶと、彼はゆっくりとこちらに振り返った。


「アオイか」

「どうしてこんな……!?」


 その問いかけに対し、彼は平然とした顔で答える。


「救いだよ。俺は皆を救ってやってるんだ」

「何を、言って……」

「分かるだろ? 人類はもうお仕舞なのさ。なら、さっさと死んで楽になった方がいい」

「そんなこと、まだ分からないだろ!」

「無駄に苦しんで何になるって言うんだ。ああ、そうさ。結局、俺達に生きる意味なんてなかったんだよ。もっと早くこうしていれば良かった」


 シンはくつくつと笑う。とても正気には見えない。

 少し前に出会った時、彼の精神は限界間際だったのかもしれない。目的を失い、生きる意味を失い、縋れるものを求めていた。にもかかわらず、突き放してしまった。まともに相手をしなかった。だから、死が救いになるという考えに憑りつかれた。

 もう戻れない。これほどのことをしでかしてしまった後では。


「っ……!」


 アオイは拳銃の引き金に指を当てる。もうこれしか自分に出来ることは思いつかなかった。


「撃てよ。撃てるものならな」


 シンは鷹揚とした態度で、怯む様子を一切見せない。

 今なら撃てる。間違いなく止めることが出来る。なのに、臆してしまう。

 相手が何の関係もない存在であれば、出来たかもしれない。けれど、今のアオイにとってシンは赤の他人ではなかった。この四年間、曲がりなりにも親しく過ごした相手だった。

 それは心に多大な抵抗をもたらした。容赦なく殺させてはくれなかった。


「俺を殺せないなら、死んでくれ」


 シンは哀し気に呟くと、手に持った小銃の銃口をこちらに向けた。

 死が眼前に迫っている。数瞬後に自分は血の海へと沈むだろう。

 それを感じた瞬間、アオイの指は反射的に引き金を引き絞っていた。生き残る為に。

 シンの身体は軽く跳ね、あまりにあっけなくその場に倒れた。銃口は頭部へと向けていたので、即死だったはず。


「…………」


 まるで撃ち放った銃弾と一緒に自分の魂も持っていかれてしまったような気分だった。

 どれくらい時間が経過しただろう。一分か、一時間か。ようやく正気に戻り、死体の確認をしようとしたところで、新たな銃声が聞こえた。


「っ……!?」


 武器庫の方だ。いよいよ始まってしまったのかもしれない、疑心暗鬼に陥った者達の殺し合いが。これではもう止めようがない。巻き込まれる前に一刻も早くこの場を離れなくては。

 アオイは急いで隊舎から飛び出すと、車両の収容されている倉庫へと向かった。武器庫とは違う方向なので、危険は薄いだろう。


 無事に辿り着くと、持ってきていた鍵を差し込んでエンジンを動かした。問題なく起動する。アクセルを思い切り踏み込み、急いで駐屯地から脱出した。その間も銃声は散発的に鳴り響いていた。

 ある程度離れたところで一度停車すると、過度の緊張から浅くなっていた息を深く吸い込んだ。途端、数分前の自らの所業が一挙に蘇った。


 初めて人を殺した。それも、浅からぬ関係だった相手を。自分に師事していた弟子を。

 殺すしかなかった。下手に生かしても既に手遅れだった。何も間違っていない。あれは正しいことだった。

 必死にそう思おうとしても、胸中はコールタールのような罪悪感で満たされる。


「うっ……」


 アオイは車から降りると、込み上げてきた吐瀉物を道端に撒き散らした。

 身体が震えている。合気道で求められる平常心には程遠い状態。けれど、とても落ち着かせることが出来ない。全身が先の行いを拒絶していることが良く分かる。

 やがて、症状が少し収まったところで身体を引きずるようにして運転席に戻った。


 元より一人で出ていくつもりだった。何も変わりない。だから、行かないと。

 アオイはそう自分に言い聞かせるようにし、車を走らせた。行く当てもなく、ただひたすら道の先へと。そこに暗闇が広がっていても、どこか輝かしい場所へ通じているはずと祈りながら。

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