第4話
夕食を終えたミウは居間で全身のストレッチをしていた。
夜は身体を休めるように言われているので、鍛えるようなことは何もしない。
「……ふぅ」
一通りのストレッチを終えたところで立ち上がる。外はすっかり暗くなっているが、居間の中には光があった。
ランタンだ。電池式らしく、上に吊るすだけで結構明るい。
アオイはソファに座って本を読んでいた。夕食後は基本的に放置される。話し相手になって欲しいと願えばなってくれるかもしれないが、邪魔はしたくなかった。日中に色々と教えてもらえるだけで十分だ。それ以上を望んではいけない。
食後すぐに寝るのは良くないらしいので、どうにか暇を潰す必要がある。その為に最近は本を読んでいた。アオイに本棚にある分は好きに読んで良いと言われたので、そこから取った物だ。
初めに本棚を見てみた時はどれも難しそうなタイトルばかりで、実際に手に取っても難しい字が多過ぎて全然読めなかった。流石に一つ一つアオイに聞いていくわけにもいかない。諦めようかと思ったが、そんな時に見つけた本があった。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』。小さい頃に絵本で読んだことがあったような気はしたが、良く覚えていなかった。振り仮名もあったので、それを読んでみることにしたのだ。
『星の王子さま』は操縦士の「ぼく」が乗っていた飛行機が故障してしまい、不時着した砂漠で遠い小惑星から地球にやって来た王子と出会う話だ。
「ぼく」は飛行機を修理しながら、王子にこれまでの話を聞かされる。今はその中の王子とキツネの別れの場面だった。
「大切なものは目に見えない、か」
ミウはふと呟いた。
それは王子がキツネに教えられたこと。特別な相手や物に向けた愛情のことを言っていると思う。例えば、自分がいなくなってしまった両親を今でも想っているように。
キツネの言葉はどれも印象に残った。とても大事なことを教えてくれていると思えた。
「……ふわぁ」
そこまで読んだところで、一気に睡魔がやって来て、大きな欠伸が出た。
朝からの訓練で身体がへとへとなので、いつも長く読んではいられない。
「もう寝るね。おやすみ、アオイ」
「ん、おやすみ」
寝室に行くと、そのままベッドに入った。
独りだ。扉の向こうにはアオイがいる。それでも、ここには誰もいない。
そう思うと、途端に怖くなる。アオイと出会う前は独りでも何とも思っていなかったのに。
嫌な気持ちが湧き上がってきていたが、疲労から自然と眠りに落ちていった。
ミウは男の太い手で押さえつけられていた。上から覆いかぶさられており、身動きが取れない。男の息は荒く顔も赤らんでいて、興奮していることが分かる。
何をされようとしているのかは分からないが、本能的な恐怖が全身を駆け抜けていた。
怖い。嫌。誰か、助けて。
「っ……!?」
と、そこでミウはビクッと身体を震わし、目を覚ました。
夢だ。けれど、それは両親を失って間もなくの時に実際に体験したこと。
独りになってからは辛いことも苦しいこともたくさんあった。しかし、誰も頼れない、という絶望感を植え付けられたのはあの体験があったからだ。それゆえ、ミウが悪夢として見る頻度の高い出来事だった。
全身が汗でぐっしょりとしており、気持ち悪い。外はまだ暗いようで、部屋の中も真っ暗となっている。
もう一度眠るべきなのは分かっているが、心臓がドキドキと高鳴っていて収まらなかった。ガチガチと震える自分の身体を両手で抱き締める。
駄目だ。あの頃に感じた怖さや辛さが次々と蘇ってきて、逃げられない。
ずっと寂しかった。誰かに助けて欲しいと願っていた。それなのに、誰も信用できなくて。残酷な世界には傷つけてくる敵しかいなくて。
だから、アオイが助けてくれた時は本当に驚いた。そんな人がいるなんて思いもしていなかったのだ。もう限界で、自分だけでは到底耐えられなくて、そんな時に伸ばした手を掴んでくれた。他の奴らとは違う。
ミウにとってアオイは紛れもなくヒーローだったのだ。
「アオイ……」
ベッドを出て、ぼんやり見える輪郭を頼りに入口まで歩いていく。扉を開けると、即座に居間の奥から声が聞こえた。
「……ミウ?」
暗がりの中だが、アオイが半身を起こしていることが輪郭で分かった。扉を開ける前から既に気づいていたようだ。
そんな彼女にミウはありのままの願いを言う。
「アオイ……一緒に、一緒に寝て欲しいの。独りは、怖いよ」
「…………」
なかなか返事が来ない。今どんな顔をしているのか、暗闇で見えないことに怯える。
こんな甘えたことを言っていたら、復讐の資格なんてないかもしれない。アオイに見限られるかもしれない。
だから、やっぱり今のなし、と言いかけたその時、声がした。
「……分かった。いいよ」
答えを聞いた瞬間、パーッと花が開いたような気分になった。たったそれだけで、心が安らいでいくのを感じた。自分が受け入れてもらえたことが、拒絶されなかったことが嬉しいのだ。
アオイに連れられて、寝室に戻る。一緒にベッドに入って、背中合わせで目を閉じた。本当は抱き着きたかったが、そこまでするのは気が引けた。鬱陶しいと思われたくない。
それでも、隣に温もりを感じる。すぐそこにいてくれていると安心できる。目には見えない大切なもので心が満たされる。
もう、身体は震えていなかった。
「今日は射撃を教える」
翌日の昼食後、外に連れ出されたミウは、アオイの口からそう告げられた。
「これはSFP9……まあ、名前は別に覚えなくてもいいけど。今は銃弾も入れてないから、ちょっと持ってごらん」
アオイは真っ黒な拳銃を懐から取り出すと、手渡してきた。
「おぉ……」
ミウは初めて触るそれを意外に軽いと思った。もっとズシッと来る重さがあるイメージだった。クルクルと回して色々な角度から見てみると、持ち手の底の部分が空いていた。
「そこはマガジンを入れるところだよ」
そう言って、アオイはそのマガジンを見せてくれる。空いている部分に綺麗に嵌る形をしている。一番上には銃弾が見えていて、光を反射していた。
「これ一つで十五発撃てる。ここからは実際に撃って試そう」
アオイはミウの手から拳銃を取ると、マガジンを嵌め込んでから、上の部分を一度スライドさせた。
「こうすると、マガジンの弾が装填、銃の中に入る。後は引き金を引けば……」
十メートルくらい離れた場所、木々が広がっている方向にある柵の上に空き缶が置かれていた。
アオイはそこに拳銃を向けると、引き金を引いた。タンと耳を突き抜けていくような音が鳴り、空き缶が吹っ飛んで地面に落ちる。
一度拾いに行って空き缶を元の位置に戻してから、再び拳銃を手渡された。
「それじゃミウもやってみるといい」
「わ、わかった」
緊張しながらも受け取って、構えた。アオイは背後に回って、アドバイスをしてくれる。
「初めは両手で持つんだ。上半身に衝撃が伝わってくるから、ちゃんと支えられるように。あと引き金には結構力を込めないと弾は出ないから、そのつもりで」
ミウは言われた通りにして、いよいよ引き金を引こうとする。
緊張の一瞬だ。指に力を込める。重くてなかなか動かない。多分、怯えてあまり力を入れられてないから。
それでも、少しずつ動いていき、そして遂には。
「っ……!?」
再びタンと音がする。しかし、空き缶は倒れていない。銃弾はどこかに飛んで行ってしまったのだろう。
手の中で爆発したような気分だった。思わずビクッと身体を震わせた。だが、手元は別に何ともない。音と衝撃でそんな風に感じただけだと分かる。
「……ふぅ」
ホッと一安心する。たった一発撃つだけでもなかなか気持ちが追い付かない。落ち着かない動きをしていると、アオイは言う。
「まずはとにかく撃って慣れること。すぐに何も気にならなくなるよ」
続けて撃って構わないようだが、その前に聞いてみたいことがあった。
「……ねぇ、アオイ。人を撃つって、どんな気持ちなの?」
「そうだね……人にもよるだろうけど、その多くは正気じゃいられなくなる。普通は撃とうと思っても撃てない。本能が拒絶するんだ。人はそういう風に出来ている。だから、もし一度でも誰かを殺してしまった時、もう後戻りは出来ない。苦しみ続けることになる」
その言葉にはアオイの実感がこもっていた。普段は見せない顔を見せているような気がする。
本当は誰も撃たない方が良い。殺さない方が良い。そう思っているのが分かる。
しかし、ミウはそれを受け入れることは出来なかった。
「……それでも、わたしはパパとママを殺したあいつを許さない。殺してやる。絶対にこの手で仇を取るんだ」
思わず拳銃を握った手に力が入る。胸の
「そう……なら、復讐を果たすといい。だけど、約束通りその一回だけにすること」
「うん。後は誰かを守る為だけに」
「よろしい」
ミウは銃を構え直した。先程よりはずっと肩の力が抜けているように感じる。
頬に傷のある男と対峙していることをイメージした。途端に湧き上がってくる憎悪の念。それは復讐を求める想いを改めて感じさせてくれた。
この気持ちは何も間違っていない。だから、撃つ。撃って両親の仇を取るのだ。
良く狙いを定めて、引き金を引く。軽快な音と共に銃弾が飛び出し、幻影を射抜いて消し去るのだった。
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