3

 神社の境内に、僕らは座っていた。少し離れたところにある眩しい灯りを人混みを眺めながら。ラムネを飲みながら。

 夏祭りには来てみたものの僕らは喧騒が苦手で、こうして近くにある物静かな神社に逃げ込んだ。少し奥まった場所にあるからか、ここまで屋台は出ておらず、闇が周りを囲む孤島のような場所になっていた。

 夏祭りということで彼女は浴衣……ということもなく、いつものように制服を着ていた。そういう僕自身も甚兵衛を着ているわけでもなくいつも通りの服なので、人のことは言えないのだけれど。

 彼女は制服以外だとどんな服を着るのだろうか。なんとか想像しようとするが、女性ものの服の知識がまるでないので何も思いつかない。どう足掻いても浮かんでくるのは、目の前の彼女と同じ制服姿の彼女。それしか見たことがないのだから、当然のことではあるんだけれども。

 祭り囃子が遠くから聞こえる。都会じゃあ神輿担いで練り歩くなんて出来ないだろうし、僕にとっては夏といえばの音のひとつだけれど、田舎特有の音なんだろう。何かを急かされるような蝉の声よりは、ずっと夏の音として良い音で、僕は好きだった。

 ラムネの瓶を揺らすと、からんと涼やかな音がする。ラムネの瓶の栓がわざわざビー玉になっているのは、風鈴のように音で涼むためなのかもしれない。そんなことを思いながら、もう一度からんと瓶を揺らした。

「私、初めてかも、こういうところに来るの」

「僕だって随分久しぶりだよ。もう、暫く来てない」

 来るような友人も殆どいないし、殆どから漏れた例外に関しては出不精ばかり。僕自身、行きたいと思っていたわけでもないから別に来たかったわけでもないというのもあるんだけど。

「何人か、同じ学年の奴もいたな」

「え、そうだったの」

「あれ、気づかなかった?」

 まばらに見かける程度には集まっていた。世の中の高校生というのは、意外と交際をしていて、祭りに来るものなんだなあ、と変な感心をしたものだ。

 何人かとは目があったが、知人というよりは顔見知り程度の僕らは挨拶もせずにすれ違った。学校の外なんてプライベートな空間で、わざわざ学校という強制力で一括りにされている人間と挨拶をしなければいけないなんて、嫌だろう。僕も、向こうも。

「んー、そもそもクラスメイトの顔があんまり分からないかも」

「問題はそこか」

 確かに、彼女が他の人と話しているようなところは事務的な連絡を除いてなかったけど、そこまで外界を隔絶していたとは思わなかった。しかし、僕がそういう道を選ばなかっただけで、案外想像しているよりも楽で、悪いことじゃないのかもしれない。孤独は個人の問題、孤立は周囲の問題で、孤高は個人の意思なのだから。

「もしかせずとも、僕のことも告白するまで認識してなかった?」

「いや、認識はしてたかな」

「え、逆になんでさ」

 目立つようなことはしていないし、むしろ目立たないようにしていたはずだ。誰とも薄っぺらい顔見知り程度の仲を維持する。いてもいなくても変わらないように、ただ流れに任せて行動する。そういう、歯車のような学校生活こそが僕のポリシーなわけで、それこそお祭りに来るような人たちの方が印象には残りやすいはずだった。

 彼女は僕に倣うようにからからとラムネ瓶を揺らしながら遠くの祭りの灯りを見る。距離としては数百メートルしか離れていないはずなのに、途方もないほどに離れて見えるのは、物理的な距離ではなく概念的な、精神的な距離で測って、見ているからなのかもしれない。

「君はさ、なんで私に告白をしたの?」

「なんで告白をしたか?」

「うん」

 唐突な話の転換に驚きつつ、質問の答えを探す。

「好きだったからだよ」

「じゃあ、なんで好きだったの?」

「なんでって――」

 僕は紛れもなく、告白した時も、今も、彼女のことが好きだ。しかし、改めて『なんで好きか』を問われると言葉に詰まってしまう。

 好きだから、好きなのだ。そんな、トートロジーしか思いつかないし、僕はそれが正解なように思える。ただ、彼女はこくりと一口ラムネを飲んでから口を開いた。

「私が思うに、人を好きになる時っていうのはふたつのパターンがあるんだ。ひとつ目は、相手が自分と違うものを持っている時。ふたつ目は相手が自分と同じものを持っている時」

「ああ、なるほど」

 なんとなく、分かる気がする。前者は自分にない部分を埋めてもらうために、後者は理解と共感をしてもらうために、相手を求めるのだろう。前者は世界が広がり、後者は世界が深まる。当然、貴賤なんていうのはないけれど、比較をするならこういうことな気がする。

「多分だけど、君が私のことを好きだと思ってくれたのはふたつ目だと思うんだ。私と君は、同じパーツを持っている。そんな気がしてた」

「そんな気がしてた? なんか、長い間思われていたみたいな言い方だけど」

「うん。そうだよ。長い間思っていた。だから、私は君のことを認識していたんだよ」

 そう言えば、話の発端はそこだった。僕は「ああ」と寝惚けたような相槌を打つ。

「君と私は、どこか通ずるところがあるんだと思う。それをうまく言語化することは出来ないけど、だからこそ私は君のことを認識していたし、少しは意識もしていたよ」

 勿論、素面でここまで堂々としている彼女の言葉にそんな意味はないんだろうけど、「意識をしていた」という言葉は向けられるとどうもむず痒く、嬉しいものがあった。

「僕と君が似てる?」

「うん」

 それは、買い被りすぎだと思う。僕は独りになれるほど、殺してくれと頼めるほど、強い人間じゃないし、今にも崩れそうな脆さを抱えながら笑うことなんて出来ない。

 そんなことを考えていると彼女は深く刺すようにもう一度「似てるよ」と言った。

 僕を盲目的に買い被っているのか、あるいは僕に見えないものが見えているのか。そのどちらかは分からないけど、前者なら良いなと思った。彼女は、僕なんかと似ているべきじゃない。

 やけに口の中が渇いて、ゆっくりとラムネを飲んだ。既に炭酸は抜け始めていて、温く、ほんのりと甘ったるい液体になったそれを流し込む。お世辞にも美味しいとは言いづらい味だったけれど、案外その味も悪くないと思った。祭りの瘴気に中てられたからなのだろう。夏は人を狂わせる。

 彼女が死を選んだのも、夏だからなのかもしれない。僕が告白をしたのが冬だったら、何かが変わっていたのかもしれない。

 ふと、自分が告白をしたそれ自体が夏に狂わされた行いなんじゃないかと思い、しかしすぐにその考えは止まった。仮に狂っていたとしても、その狂いは正解だった。失う苦しさを想像して鬱屈とすることはあれど、それは得られたからこそつく傷なのだ。

「サヨナラ」だけが人生だ。

 誰の言葉かも忘れたけど、僕はこの言葉が好きだった。

 人と出会えば別れは必ず訪れる。だから問題なのは、それを納得したかたちで過ぎられるかどうかで、そういう意味で僕らは幸せなのかもしれない。既に、別れのかたちも時期も、定まっているのだから。

 祭りの喧騒が落ち着き始める。子供が帰り始める時間なのだろう。当然、僕らはまだ帰らない。そもそも、僕らは子供なんだろうか。曖昧で、不安定な時期。だからこそ、都合の良い方に解釈をすればよくて、夜が深まり始めても帰らない僕は大人ということにしておく。

「人も少なくなってきたし、一回周ってみる?」

「んー、いいや。なんか、もう立つのが面倒くさくなってきちゃって」

「ああ、分かる。なら、もうしばらくここにいようか」

「うん」

 僕ら以外に誰もいない神社は夏の夜の音がする。いっそこのまま、閉じ込められてしまいたいと思う。遠く光るあそこには届かないけど、届かないねって肩を寄せ合いながら笑っていたかった。けれど、緩やかに終わりに近づいていく僕らに停滞は許されない。そんな分かり切った現実をまた確認して、その度に僕は泣きそうになる。

「例えばさ、僕が一年早く告白をしていたら、あと一回夏祭りに来れたのかな」

 僕らに未来はない。だから、話すことが出来るのは過去かもしもの話ばかりだ。虚しさを積み重ね、思い出を作り上げていく。惨めで、醜いそんな今に、僕は哀しくも後悔はなかった。

「そしたら多分、一年早く死んでただけだよ」

 そう言って彼女は笑った。

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