真白

「……結局あれから一週間が経ちそうだぜ」


 俺は部屋でボソッと呟いた。

 黒血染にどんな名前が良いのかと、それをずっと考えてから既に一週間が経とうとしている。


「こんなにも誰かの名前を付けるのが大変なんてな……考えてなかったわけじゃないけど中々難題だ」


 自分の脳内で作り上げたキャラクターや、趣味で小説を書いたりして登場するキャラクターに名前を付けるのとは訳が違う。

 黒血染は確かにそこに存在しており、普通の人間とは根本から違ったとしても俺からすれば大事な妹で家族なんだ……中途半端というか、あの子がもらって嬉しいという名前でないといけない。


「……う~ん」


 マズいな、知恵熱が出そうなほどに悩みまくっている。

 ふとした時に悩むこともあって学校では真治と幸喜にもそうだし、美空にもそれで声を掛けられることもある。

 学校でこれなのだから家だと血染たちにも当然聞かれていた。


「こういう時になんでもないって言うと余計に気になるはずなのに、敢えて聞いてこないのは俺のことを信じているからだろうな」


 まあそもそも、信じる信じないなんていう大げさなことではないのだが……っとそんな風に考えているとトントンと部屋の扉が叩かれた。


「兄さん入っても良い?」

「良いぞ~」


 部屋に入って来たのは血染一人だった。

 どうやら黒血染はリビングでテレビを見ながら寝落ちしたらしく、あまりに気持ち良さそうに寝ているからそのままにしているとのことだ。


「スマホが手元になくて、勉強道具を広げてるわけでもない、やっぱり兄さん最近悩んでるじゃんか」

「それは……」

「兄さんの様子と話し方から深刻な悩みじゃないのは分かってるけど、兄さんの妹であり恋人としては気になるんだよ~?」

「……悪いな」


 ベッドの腰かけていた俺の隣にピッタリと引っ付いた彼女は、口元に指を当てながらジッと俺を見つめてこう言った。


「兄さんが大好きでずっと見ていたからこそ分かるあたしが推理します!」

「推理?」

「うん。ここ最近の兄さんの様子から察するに、ふとした時あの子のことを見てたよね。だからおそらくあの子に関することじゃない?」

「……………」

「無言は肯定だね♪ あの子は今眠っているから大丈夫、それでもあたしには何も話せない?」

「いや……」


 それならば良いかと思いつつも、やっぱりサプライスのようにしたい気持ちは多分にあった……しかし、いざ考えてみるとプレゼントならともかく彼女に対する名前のことを一人で考えるのがそもそも間違いだったのかもしれないな。


「少し相談に乗ってくれるか? いや、そもそもどうにかして血染も巻き込むべきだったんだよなぁ……俺たち、恋人であり家族だもんな」

「そうそう♪ 相談賜ります!」


 ビシッと敬礼した彼女に苦笑しつつ、俺は早速本題に移った。


「あの子の名前を考えてたんだ」

「名前?」

「あぁ。あの子も血染ではあるんだけど……やっぱり同一であり別の存在だと俺は思ってる。だからこそ、あの子を表す名前を付けてあげたいと思ってな」

「……あ」

「血染?」


 名前を付けてあげたい、そう伝えたら血染が目を丸くしたかと思えば徐々にその瞳を濡らしていき、大粒とまではいかないまでも涙が滴り落ちた。

 突然のことに俺は慌てたのだが、血染は気にしないでと言って言葉を続けた。


「ごめんね。凄く嬉しくて……その、あの子はあたしにとって別の存在であり同一の存在でもある。だからあの子のことをそんなにも考えてくれている言葉が嬉しくて、あの子じゃないのにあたしが感動しちゃったの」

「……そっか」


 どこか体が痛いとかじゃなくて良かったよ。

 俺は血染の肩に手を置くようにして抱き寄せ、そのまましばらく血染が落ち着くまで黙っていた。

 涙がようやく止まったところで血染は元の調子に戻っていた。


「それにしても名前かぁ……あたしはずっとそんなこと気にしなかったし、あの子のことはずっとあの子とかあなたって呼んでたから」

「だよなぁ」

「うん。でも……もしも兄さんに会わなくて、この心がどうしようもなくなっていたとしたら、きっとあの子のことをあたしは道具みたいに思ってたのかなって怖くなるよ」

「大丈夫だ。血染は優しい子だからな――ずっと俺が傍に居る。だから今の自分と違う自分のことは考えるな」

「兄さん……」


 俺は血染のように特別な力は持っていないけれど、それでも彼女を守ろうと思う気持ちは誰にも否定させない本物だと断言する。


「極端なことを言うなら、もしあの世界が牙を剥いて血染を元の血染にしようとしても君の心は俺が守る。仮に今の君を奪われても必ず取り戻す――だから何も不安に思うなよ」

「……兄さん、イケメンすぎ」

「おうよ。かっこいいお兄ちゃんだろ?」

「えへへ、うん♪」


 俺だけじゃないぞ血染。

 世の中の兄ってのは可愛い妹の為なら何だって出来るもんだ……たとえ出来なくても何かしたいって思うもんなんだよ。


「……なんかさ、無性に兄さんとキスがしたい。そんでもってすっごくイチャイチャしてそのままいい気分で眠りたい気分」

「そいつは嬉しいけどキスもイチャイチャも後にしような」

「そうだね。それにしても名前かぁ……」


 それから俺たちはジッと黙り込んで黒血染のことを考え始めた。

 かなり長い時間お互いに意見を交わし合いながら過ごしたが、黒血染はずっと眠ったままらしくもう少しこうしていても大丈夫みたいだ。


「……犬や猫に名前を付けるのとはまた違うよねぇ」

「そうだな。人に名前を付けるってのは大変だぜマジで」

「人……ふふっ♪」


 このままだと黒血染が目を覚ましてくる方が早いか、そのまま眠ったままなら日を跨いでそれこそ夜明けが来てもおかしくはない……むむむっ、こいつはハードな問題だぜ。


「ちなみに兄さんは今までなんて呼んでたの?」

「……黒血染」

「わお。でもちょっとかっこいいとか思ったかも」


 思えば黒血染って呼んでいるのを教えたのは初めてだっけか。

 さてと、それから俺と血染は言葉数少なめにじっくりと考えながら、時折血染が候補の名前を口にしては頭を振っている。


「……血染……黒血染……黒から……う~ん」


 黒血染は血染の中に生きる存在ではあるものの、血染から自立した存在であることは変わらない。

 しかも最近になっては言葉を発生しようと頑張っており、まるで飛び立とうとする雛のようにも感じられる。


(あの子は確かに恐ろしい力を秘めており、簡単に人を殺すことが出来る血染の力の原点だ……けど、俺から見るあの子は無垢な印象があるんだよな)


 無垢……白無垢? きっと血染だけでなく、あの子もそういった衣装はとてつもなく似合うんだろうなぁ。

 あの子は血染の苦しみや絶望と共に生きていたわけだがそれはきっと真っ暗な世界だったはず、しかし今は彼女も血染のように今を楽しく生きていることは明白で、愛らしい声で言葉を発しようと頑張っているんだ。


「暗い世界から出てきた存在ではあるけど、その実態はどんな色にも染まっていない純粋な子ってイメージなんだよな」

「そうだね。あの子もそうだし、あたしの意志一つでどうとでも染まっていたかもしれない子だよ」

「あぁ……あの子は今まっさらな状態だ。どんな色にも染まっていない綺麗なまっさらな色……黒血染って言ってたけど、真っ白って感じがするな」

「真っ白かぁ。確かに言われてみればそんな感じかも」


 黒ではなく白……それも真っ白な心を持った黒血染……かぁ。


「……真白ましろ

「え?」

「真白とかどうだ?」

「ましろ……ましろ……うん……うん! 可愛いと思う! 真白……あの子の名前は真白かぁ♪」


 えっと……考えた時間はそれなりだけど、意外とあっさり出てきたな。

 血染の反応を見ても全然気に入ってくれたみたいだし、まだ本決めではないけど一旦真白が候補という形かな。

 彼女は決して黒く恐ろしい存在ではなく、白く純粋で無垢な存在を表す意味を込めて真白という名前を出させてもらったけど……うん、俺も良い気がする。


「……あ」

「どうした?」

「えっと……ごめん兄さん。考え事に夢中になっててさ、全然気付かなかったよ」

「え?」


 すると、ぬるりと血染の影から黒血染が這い出てきた。

 どうして仲間外れにしたのかと、そんな非難を込めたような意志を感じさせるがむっとした表情はとても可愛く、無垢な印象だと言ったけど正にその通りだ。

 その姿に苦笑した俺は彼女を手招きする。


「おいで」

「? うん……」


 ゆっくりと近づいてきた彼女と視線を合わす。


「実は……お前の名前を考えていたんだ」

「な……まえ?」

「そうだ。やっぱり名前があるかないかって凄く重要だと思うんだよ。名前が持つ意味は大きくて、それだけでその場に存在するっていう証だからな」

「……?」


 ちょっと難しいかな?

 まあでも、名前という言葉には反応していたし、きっと心の奥底では理解しているんだと俺は思っている。


「なま……え……こわい」

「怖い?」


 俺は血染と顔を見合わせた。


「なまえ……もらう……それはすてきなこと……でも、なくなるの……こわい」

「……あぁそういうことか」


 この子も失うことが怖いんだ。

 それはつまり、今の俺たちと過ごす生活を彼女は大切だと思ってくれていることに他ならない……俺はそんな彼女を安心させるように抱きしめた。


「怖いことなんかあるもんかよ。さっき血染に伝えたけど、俺が兄として、家族としていつまでも傍に居る。一人にはさせない、お前はもう……暗い世界に一人で居る必要はない」

「っ……ずっといっしょ?」

「あぁ。だから、名前を受け取ってくれるか?」


 彼女が頷いたことで、俺は彼女に名前を告げた。

 俺たちが考え、彼女に似合うと思った名前を……この世界に生きる一つの存在としての証を刻むために。


「真白……それが俺たちの考えた名前だ」

「まし……ろ」

「あぁ。意味は色々あるけどそれは――」

「おにい……さまっ!」

「うおっ!?」


 こうして、本当の意味で彼女はこの世界に生まれた。

 だが、名を与えるということがどんな意味を持つのか、それを俺はまだ知らない。



【あとがき】


名前付けるの難しいです。

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