孤独の中に生まれた一輪の希望

「……すぅ……すぅ……むにゃ」

「……可愛いなぁ本当に」


 真っ暗な闇の中で血染は大河のことを眺めながら呟いた。

 自身の半身である黒血染も一切の瞬きをすることなく大河を見つめており、人間を餌としか認識していないはずの彼女ですらも大河のことは特別視していることが良く分かる。


「ちょっと喉渇いたからリビングに降りるね。お兄ちゃんのこと頼んだよ」


 頷いた黒血染に見送られながら血染は部屋を出た。

 リビングでコップにジュースを注ぎ、渇いた喉を潤しながら血染は今までのことを振り返った。

 空っぽなまま生きていた日々、ここに来た時もそれは変わらないとさえ思っていた血染だがその諦めは容易に良い意味で裏切られた。


「……お兄ちゃん」


 この家に来て出会った大河は血染にとって全てを変えてくれた人だった。

 今日からここに住むんだと連れてこられた時、血染は元々何も期待をしていなかったしただただ住む場所が変わるだけだと思っていた。

 だが、大河は今まで出会った誰とも違った。

 声から始まり思いやりに至るまで、大河は全てが優しくどこまでも血染のことを考えてくれていた。

 今までに向けられたことのない気持ちだからこそ戸惑いはしたが、それでも大河から向けられる気持ちはあまりにも血染にとって心地が良すぎた。


「お兄ちゃんは私のことをたくさん分かってる。どうしてかは分からないけど、そんな疑問はどうでも良い。お兄ちゃんが傍に居てくれるならどうでも良いんだ」


 どうして内なる怪物についても知っているのか、そればかりは謎のままだ。

 しかしそこにどんな理由があったとしても血染の大河を見る目は変わることなく、むしろ今以上にもっともっと大河に夢中になるのではないかとドキドキするくらいだった。


「……はぁ♪」


 大河のことを考えれば考えるほど、心の奥底から溢れ出る幸せは計り知れない。

 そもそもの話、今までの不幸だった人生を帳消しにするほど……いいや、お釣りが来るほどの幸せを血染は大河を通じて感じている。


「お兄ちゃんは自分で思っている以上に私を幸せにしてくれてるよ」


 どれだけ感謝をしても足りないほどの恩が大河にはある。

 血染に対してどれだけのモノを与えてくれたか、そのことに血染もいつもお礼を言うので理解してくれているとは思うのだが、それでも大河は血染に対する思いやりが全て当然なのだと思っている節がある。


「あれが当然? だとしたらこの世界の兄妹はみんな仲が良くないとおかしいよ」


 血染にとって大河の良いところは数多くある。

 その中でも一番印象的なのはやっぱり、初めて会ってからの数日間のやり取りに他ならない。

 大河がどうして血染の抱えるモノを知っていたのかは分からないが、当然彼もまた恐怖を抱いている節はあった。

 いつ殺されてしまうのか、いつ喰われてしまうのか、そんな恐怖を確かに抱きながらも彼は決して血染を見捨てようとはせずに、ずっと血染たちのことをどこまでも大切な家族と接するように慈しんでくれた。


「早く戻ろう。お兄ちゃんのことを考えてたら離れてるのは考えられない」


 コップを洗ってから足音を立てない程度に駆け足で血染は部屋に戻った。

 黒血染に見守られながら幸せそうに眠っている姿に血染は再び笑みを零し、彼の隣にさっきと同じように体を潜り込ませた。


「……はぁ♪」


 体を思いっきりくっ付けるということはつまり、大河の感触と香りが全て血染を包むことになる。

 頬を赤くしながらジッと大河の横顔を見つめた。


「お兄ちゃん、機会があったら是非とも今までを思い返してほしい。そうして振り返ってみて、私がお兄ちゃんに好意を抱かないわけがないよ」


 眠っているから大河には聞こえていない、だからこそ血染はそう呟いた。

 何も信じられる存在が居なかった時、閃光のように懐に入り込んで優しさと温かさを大河は教えてくれた。

 内なる怪物のことを知りながら恐れてもなお、絶対に見る目を変えることはなく今もずっと大切な家族のように接してくれている。

 誕生日の時だけではなく、どんな時も血染を楽しい気持ちにさせようと色んなことを計画してくれる。

 どんな時も大事な妹だと、大好きだと伝えてくれる……ここまでされて大河に好意を抱かないわけがない。


「お兄ちゃんは妹たらしだよ……ううん、私たち限定の特攻持ちだね」


 黒血染も分かりみが深いと言わんばかりにうんうんと頷いていた。

 血染は小さな手を大河の頬に伸ばして触れると、反対側の頬にも黒血染が手を伸ばして触れていた。

 ずっと一緒に居たからこそ似通った性質を持つ二人、大河に関することも綺麗なまでにシンクロしている。


「私はお兄ちゃんを愛している」


 そう呟くと血染たちの体から黒い靄が漏れ出した。

 その靄は決して大河を苦しめるものではない、確かに相手を一瞬の内に喰らい尽くす殺傷力はあるものの大河に対してその力は振るわれない。

 自分たちの力の源泉である黒い闇が優しく大河を包み込んだ……まるで絶対に逃がさないと言わんばかりに。


「私たちに幸せを、愛を教えてくれたお兄ちゃんに私たちもお返しをするよ。これからの一生をお兄ちゃんに捧げることで、お兄ちゃんに精一杯尽くすから」


 チュッとリップ音を立てるように二人の血染は大河の頬にキスをした。

 この気持ちがあまりにも重たく、そして世間一般からすればズレていることも血染は理解していた。

 だが既に一般から外れるレベルでの異能持ち、最悪な家庭環境からの脱却という時点で普通ではない……だからこそ、血染は思いのままに突き進むことを決めた。


「お兄ちゃん」


 二人の血染はまた大河の頬にキスをしようと顔を近づけ……そこで少しばかりの想定外が起きた。


「……うがあああああ血染ぇ!!」

「えっ!?」


 それは大河が寝ぼけての行動だった。

 二人の血染を思いっきり抱き寄せるようにしながらも、決して痛くはならない絶妙の力加減での抱擁だった。

 体に纏わりつく黒い靄は普通の人であれば本能で恐怖を抱くのは間違いないのに、それでも眠っている大河は本当に幸せそうに二人のことを抱きしめている。


「……お兄ちゃん♪」


 そんな大河だからこそ、二人の血染は嬉しそうに微笑んで身を寄せた。

 二人は知るべくもないここはびょうあいの世界、しかし既に新たなルートが確立されたと言っても過言ではない。

 本来の血染は愛を知らずに育ち異能の力も際限なく増幅したことで、本当に他者のことを食料としか思えなかった……だがしかし、こうして愛と温もりを知ってしまえば本来抱くはずだったものは大河への愛へと生まれ変わった。


「血染……どこまでも優しい子に……それが俺の……」

「……うん、分かってるよお兄ちゃん」


 大河の寝言に血染は頷いた。

 どうして自らに宿ったのか分からないこの力、もはや無暗に使うことはこの先ないだろう――だがしかし、ある一点を除けばの話だが。


「お兄ちゃんを害する者は許さない。私たちの幸せを奪おうとする者は許さない。ねえお兄ちゃん、それだけは許してくれるよね?」


 問いかけの返事は当然なかったが、それでも満足したように血染は目を閉じた。

 大河の傍だからこそ感じる癒しの空間、少し前では想像も出来なかった幸せにどこまでも血染は……二人の血染は笑顔だった。


▽▼


「……むむむっ、これは一体」


 目を覚まして早々に俺は天井を見つめたまま小さく呟いた。

 朝起きた瞬間に体に伝わるとてつもない柔らかさと温もり、そしてずっと嗅いでいたいと思わせる良い香りに朝からクラクラしていた。


「……………」


 左腕に血染を抱くように、そして重さを感じさせない黒血染が体の上に乗るようにして眠っているこの状況……ようやく俺は昨日のことを思い出した。


「そっか。結局あのまま血染たちと寝ることになったのか」


 二人とも本当に幸せそうに眠っている。

 その穏やかな寝顔を見つめていると、一層強く彼女たちの兄としてこれからを見守りたいとまるで年寄りのような心持ちだった。


「……本当に可愛いよな。将来、血染みたいな子と結婚とか出来たらどれだけ幸せなんだろうか。いやいや、義妹だし別に許されはするんだけど……むふふ」


 いかんいかん、変なことを考えてしまい気持ち悪い笑みが零れてしまった。

 聞かれていないかと気になって血染を見たがまだ寝ていたので安心したものの、ジッと一つの見つめてくる視線を俺は感じた。


「……あ」


 彼女は……黒血染はバッチリと目を開けていた。

 そのままジッと俺を見つめながら、徐々に頬が赤くなっていって布団を被るようにして顔を隠した。


「……今の聞かれてた?」


 そう聞くと布団がビクッと震えた。

 俺は何とも言えない気持ちになりながらも、今度から独り言を口にする時には気を付けようと深く誓うのだった。


 

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