第32話 愛しすぎた悪魔皇帝
この日の執務を終えて、俺はセシルの待つ寝室へと足速に向かった。
毎日何時になるかわからない俺の帰りを、夫婦の寝室で待っていてくれる。
急いで寝室に入れば、セシルは皇后としての勉強をしていたと言ってふわりと微笑んだ。ほぼ必要のない勉強を切り上げて、俺と一緒にソファーに腰を下ろす。
「ねえ、レイ。ありがとう」
「なにがだ?」
「お兄様と話す機会を作ってくれて、ありがとう」
セシルとユリウスの対面はうまくいったようで、セシルに笑顔の花が咲いた。どこか寂しさを抱えていたセシルの影は、和らいだように思う。
「ああ、そんなことか。セシルためならなんでもない」
俺がそう言うと、セシルが照れたようにはにかむ。そんな風に控えめに微笑む姿もかわいらしくてたまらない。
「でもね、お兄様ったら私に侯爵家の諜報部隊をつけていたのよ? 過保護すぎない?」
「そうだな……辞めさせたいか?」
「ううん、大丈夫。いざとなったら影移動で逃げるから。面倒に感じたら自分で言うわ」
「そうか」
なるほど、セシルが皇城に戻ってきてから、俺がこっそり影をつけているのは秘密にしておこう。内政的にも落ち着いてきて余裕ができたために人員を回せるようになったのだ。
ただ、影移動で逃げられたら追えないな。ここは先手を打っておくか。
「セシル、影移動でどこかへ行く時は俺に教えてくれ」
「え、どうして?」
「この前みたいにセシルが攫われたのか、影移動で移動したのかわからないと心配するだろう?」
もっともらしいこと言って、約束してもらおう。セシルは真面目だから、約束してしまえば、滅多なことでは反故にしない。
「うーん、条件付きでいいなら約束できるわ。例えば、身の危険を感じた時とか、誰かの命がかかっている時とか、緊急時は宣言なしで使うわよ」
「ああ、それでかまわない。俺もそばにいて守る」
「あ、そうだわ。もうひとつお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
セシルのお願いなら、すべて叶えるつもりで聞き返す。幸いにも皇帝を続けることになったから、多少は無茶な話でも問題ない。
「レイが用意してくれた家で、解呪の依頼を受けたいのだけどいいかしら? 薬屋はミリアムに任せたから、あっちは薬屋だけで営業した方がいいと思うの」
「そんなことか。問題ない。だが、そうなると改装した方がいいのではないか?」
なにせあの部屋は俺とセシルで住むために用意した部屋だ。内装などはセシルの好みに合わせたが、解呪の依頼をこなすとなると部屋の雰囲気が合わない気がする。
「え、あのままがいいの! あの家の内装をこの前見てみたんだけど、びっくりするくらい私好みだったの! レイがほとんど決めてくれたけど、最高だったわ!」
「そうか、では褒美をもらいたいな」
セシルが喜んでくれたならよかった。前に住んでいた部屋を参考にして、ユリウスにセシルの好みを聞き出した甲斐があった。
「褒美って言われても、レイから見たら大したものあげられないわよ?」
「いや、セシルじゃないと無理なものだ」
「あ、魔女の秘薬? どんなのがいいの?」
「違う」
キョトンと首を傾げる様子がたまらなくて、思わず貪りたくなるがグッと堪える。
ここがベッドの上ならとっくに押し倒していた。いや、待て。褒美は膝枕をしてもらうつもりだったが、別のものにしよう。
「セシルから口づけしてほしい」
セシルの顔がみるみる赤く色づいていく。耳まで赤く染め上げて、俯いてしまった。
「俺にセシルの愛をくれるか?」
頬を薄紅色に染めて、恥ずかしそうに顔を近づけてくる。もう何度も肌を重ねているのに、いまだに慣れないらしい。そんなセシルも愛しくてたまらない。
そっと触れるだけのキスに顔が緩む。だけど俺の欲望は底なしで、もっとセシルがほしいと渇望するんだ。
「もっと、これじゃ足りない」
「ええ……もう無理……!」
涙目の女神にたまらなくなって、貪るようなキスで俺の狂いそうな愛を伝えた。
それから二週間後の朝のことだった。
「陛下、少しはセシル様のことも考えていただけませんか?」
眉間に皺を寄せて進言してきたのは、セシルの兄であるユリウスだ。これ以上ないくらいセシルのことを考えているが、まだ足りないのだろうか?
「いったいなにを言いたいんだ? セシルを一番想っているのは俺だぞ」
「いえ、セシル様のことを一番考えているのは兄である僕です。陛下の欲望にまみれた下衆な思考と一緒にしないでください」
欲望にまみれたとは失礼な。だが反論できないほど、セシルを日々貪っているからぐっと呑み込んだ。これでも義兄なのだ。
「ほどほどにしてくださらないと、皇后教育に支障が出ます。結婚式の準備もありますし、朝起きれない日が続けば進捗に影響が出ます」
「皇后教育はほとんど必要ないだろう? 元々セシルは優秀で四カ国語も話せるし、ここ三年ほどの国内や諸外国の情勢を学べば、すぐに社交にも出られると聞いている」
「ええ、セシルが優秀なのは間違いありませんが、それでも午前中が潰れるほど愛されるのはいかがと思います!」
ユリウスの言いたいことはわかった。毎夜セシルを愛しすぎて、翌日に響いているのだ。今もまだセシルが起きる様子がないから、こうしてユリウスが俺の執務室までやってきたのだろう。
「それは、仕方ないではないか。何年片思いしてきたと思っているんだ。無理やり妻にしてやっと、俺のものだと実感できたところなんだ」
「では、セシル様と寝室を別にしてください」
「断る」
なにを言い出すかと思えば、今さらセシルと部屋を別にするなど耐えられない。しかも貴族たちにさまざまな憶測をさせてしまう。
「そうですか。では、セシルは病気療養ということで侯爵家へ連れて帰ります」
「ユリウス、それは俺が許可しない」
「陛下に許可をいただくつもりはありません。セシルを泣かせるような男など、この僕が排除します」
セシルを泣かせる男だと?
まさか、俺がセシルを泣かせたのか? ベッドの上でなく?
「セシルが泣いたのか……?」
「そうです。僕は今度こそセシルを守ると亡き母に誓いました。だから絶対に譲りません」
「ちょっと待て、なぜ泣いていた?」
まったく心当たりがない。だってこんなにもセシルを愛して、優しく抱きしめて、大切にしているというのに。なにが原因で涙を流したというんだ?
「……陛下に愛されすぎて朝に起きれず、帝都の街の視察に行けなかったと涙しておりました」
——思い出した。
一種間前のことだ。薬屋の様子を見たいというから、俺の視察についてくるかと聞いたのだ。だけど翌日の衣装を試着してもらった際に、ドレスとは違う可憐さに俺がやられてしまったのだ。
翌朝、ぐっすりと眠るセシルを起こすのが忍びなくて、俺ひとりで視察に出かけたが、あの時泣いていたのか?
「帰ってきた時は平気だったのに……」
「セシルは、帝都の広場にある出店に目がないのです」
「うん? そうなのか?」
「ええ、侯爵家にいた頃、僕がお土産で買ってくる串焼きが好きで、いつも買ってきてました」
「串焼きか」
「はい、それが食べられなくて悲しいと、泣いておりました」
「……そうか」
泣くほど食べたかったのか。
それなら愛しい妻のために俺ができることはひとつだ。
「わかった、それならお忍びで街に出る。すぐに警備の準備をしてくれ」
「承知しました」
ユリウスは納得したようで、さっさとセシルの元へ向かった。
「どれだけ深刻な内容かと思ったら……串焼きですか……まあ、平和な証拠ですね」
イリアスが遠い目で何かを呟いていたが、よく聞こえなかった。
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