第31話 会ってほしい人


 私とフィオナが皇城で暮らすことになり、薬屋については皇城で作った薬を卸して販売することにした。


 店舗の販売員にはラウルとルーカスに任せようとしたのに、捨てられる子犬みたいな目で私を見つめるから、別の人に頼むことになった。


 笑いを堪えながら手を上げてくれたのはミリアムだ。


「いいのよ、皇城の堅苦しい生活は飽きてきたところだったの」


 そう言って、優しく微笑んでくれた。レイの計らいでノーマンの結界魔法をお店全体に張ってもらって、悪意のあるものが入ってこれないようにしてもらった。


 これで安心してミリアムにお店をお願いできる。フィオナには薬を卸す仕事を頼んだ。

 解呪の仕事は頻度を減らして、完全予約制で続けることにする。私の本職なのだから、辞めるつもりはない。

 それからラウルは私の専属護衛に、ルーカスは専属の執事にしてもらって皇城の生活を再開した。




 それからひと月経った頃、レイから執務室に呼び出された。


「今日はどうしたの? レイが執務室に呼び出すなんて珍しいわね」

「ああ、会ってほしい人がいる」

「会ってほしい人って誰?」


 そこでレイはイリアスに目配せして、別室からその人物を連れてこさせた。執務室にやってきたのは、漆黒の艶髪にエメラルドグリーンの瞳の青年だった。


 かつての私と同じ色彩を持つのは、あの夜会から会うこともなかった兄だった。


「お兄様……」

「兄君のユリウスは今マックイーン家の当主として、俺に忠誠を誓ってくれている。今回の反乱での情報収集でも大いに功績を残してくれた。そこで報奨として望んだのがセシルとの面会だ」

「そう。じゃあ、もう用は済んだわね」


 冷めた瞳を向ければ、切なそうに顔を歪めたお兄様が俯いた。今さらなんだというのか。

 誰も味方がいなくなってしまったあの時に、お兄様は私を見捨てたのに。


「セシル、ユリウスはずっとセシルの味方だった」

「は? なにを言っているの?」

「俺が調べた事実だ。ユリウスは兄としてセシルを大切にしようとしていた。やり方がよくなかったと思うが、理解できないわけではない」


 レイが直々に調べたというの? それなら、お兄様が私の味方だというのは嘘ではないの?


 確かにあの夜会会場から立ち去る時に、金貨を用意してくれていた。今思えば結構な額だった。

 それまでの暮らしでもお兄様だけは私に心を砕いてくれていた。だからこそ見捨てられて一番ショックを受けたのだ。


 それが味方だったなんて、信じられない。


「セシル。俺はセシルの幸せだけを願っている。だからセシルに悪影響なら、そもそもこの面会を許可しない」

「…………」

「それでも嫌なら、このまま部屋に戻っていい。無理強いをするつもりはない」


 私は、どうしたい?

 本当に今さらだ。一番辛い時にそばにいてくれなかった。一番頼りたい時に見捨てられた。私にはもう家族なんていないと、割り切ったはずだったのに。


 それなのに、お兄様の優しい笑顔が浮かんでくる。怖い夢を見た時に、優しく頭を撫でてくれた手は温かった。後妻が来てからも、私が叱られないようにこっそりお菓子を分けてくれた。


「話くらいは聞いてあげるわ。でも気分が悪くなったら途中でも終わりにするから」

「セシル……チャンスをくれて、ありがとう」


 お兄様が泣きそうな顔で微笑むから、思わず視線をそらしてしまった。




 レイが別室を用意してくれたので、場所を移動してソファーに向かい合わせに座る。影移動のルートは復活させてあるから、ムカついたらいつでも移動できるから、いざとなったら姿を消せばいい。


「で、なにを話したいというの?」

「まずは、ごめん。セシルが一番つらい時に守ってやれなくて、本当にごめん」

「もう済んだかことだから謝罪はいらないわ。他には?」


 謝ってもらっても私の心はピクリとも動かない。お兄様は傷ついたような顔をしたけど、固く拳を握っただけだった。


「あの時、どうして僕が用意した金貨を持っていかなかったんだ?」

「私を見捨てた人から施しを受けたくなかったの」

「そうか……セシルからすれば、そう見えるよな」

「なによ、違うとでも言うの?」


 だってあの夜会会場では、目も合わせてくれなかったではないか。それなのに私を見捨てたわけじゃないと言うなら、なんだというのだ。


「僕は母上との約束があったから、あの時は動けなかったんだ。どんなに歯痒くて、どれだけ無力感に打ちひしがれても、耐えるしかなかった」

「お母様との約束? 初耳だわ」

「うん、母上が亡くなる一カ月前に約束したんだ。マックイーン侯爵家とセシルを守っていくって」

「そう、でも私のことは守ってくれなかったじゃない」

「それは僕の力不足だ。本当にごめん。あの時点で侯爵家から離れたら、シャロンの好き勝手にされてしまうから身動きが取れなかったんだ。父上にはもう期待できなかったし、僕が当主になったら、すぐにセシルを迎えにいくつもりでいた」


 そんなこと今頃言われても、どうにもならない。

 捨てたれたと思って傷ついた心は、まだジクジクと痛んでいる。


「そんなの私にはわからないわよ。思ってるだけで、伝わるわけないでしょ!」

「そうだな、ごめん。でも僕はずっとセシルを大切に想っていたよ。だから父上の不正の証拠を陛下に提出して、協力を仰いだんだ」

「……どれだけ大切に想っていたかなんて知らないわ」


「そうだな、言わなければ伝わらないな。まず僕の婚約者はセシルの味方になってくれる家門で探している。それから侯爵家のセシルの部屋はそのままにしてあるから、いつでも戻ってくるといい。もちろん陛下がおかしなことをしてセシルを傷つけたら、攫ってでも連れて帰るつもりだ。あと、数人の侯爵家の諜報部隊をセシルにつけているから、この前みたいにフューゲルス公爵に拉致されても、すぐに駆けつけられる。あの時もすぐに陛下に報告したから、今回の報奨をもらえたんだ。さらに——」


「わかったわ! もういいから!!」


 まさかの内容に悲鳴を上げそうになった。兄の言っていることがおかしいと感じるのは私だけだろうか?


「そうか? まだあるんだが……いや、僕がセシルを大切に想っているとわかってもらえればいいんだ」

「もう、よくわかったわよ……じゃあ、お兄様は私を見捨てたわけではないのね?」

「もちろんだ、あの時も金貨を用意するくらいしかできなくて、それも受け取ってもらえなくて心臓が潰れそうだった」

「だって……見捨てられたと思ってたから」


 真実は違っていた。私はちゃんと家族に愛されていた。

 今だから理解できることもある。あの時のお兄様は成人したばかりで、きっとできることなんて少なかったのだろう。


 あの場でお父様の決定に逆らえば、シャロンが唯一の後継者として侯爵家を我がものにしていたのもわかる。エルベルトと結婚したとしても、子供に侯爵家を継がせることもできるのだ。


 そうなってしまったら、私もお兄様も帰る場所はない。あのシャロンが私たちを受け入れることなんてないから、平民として生きていくことになっていた。


「僕の判断が間違っていた。あの時はそれが最良だと思っていたけど、魔女になったセシルを見て、そばにいてやればよかったと思ったんだ」

「遅すぎるのよ……気づくのが」


 お兄様はそっと私の隣に腰を下ろす。涙声になってしまった私を抱きしめて、幼子をあやすように背中をポンポンとリズミカルに優しく叩いた。


「ごめん。セシルは僕の大切な妹だ。これからはそばにいて、守っていくから」

「今度、見捨てたら……呪ってやるから……!」


 こぼれる涙はお兄様の肩を濡らしていく。そんなことは気にしてない様子で、お兄様の腕に力が込められた。


「大丈夫だよ、絶対に見捨てないから」


 私はこの日、家族の愛を取り戻した。

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