第30話 魔女に相応しいのは


 久しぶりにゆっくりと眠れた。


 昨夜はレイが薬屋にやって来て気持ちが通じ合い、やっと私とレイは結ばれたのだ。慣れ親しんだ温もりに、私の意識はあっという間に闇の中に落ちていった。


 本当に幸せで、やっぱり夢だったんじゃないかと不安になる。でもすぐに背中に感じる熱が、耳にかかる吐息が現実だったと知らせてくれた。


 そっと起き上がってみると、穏やかな寝顔のレイが寝息を立てている。きっとレイも皇帝としての仕事が忙しかったのだろう。目の下にうっすらとクマができていた。


 朝食の準備をしようとベッドから降りようとして、腕を掴まれてバランスを崩した。


「わっ!」


 そのまま腕を強く引かれて、レイの胸にダイブするように倒れてしまう。結構な衝撃だと思ったのに、レイの逞しい胸板はびくともせずに私を受け止めてくれた。


 さらにガッチリと腰をホールドされて起き上がれない。


「セシル、どこへ行く?」


 頭の上から不機嫌そうな声が降ってきた。


「どこって、朝食を用意しようとしたのよ。お腹空いてない?」


 少しだけ上半身を起こせば、まっすぐに見つめてくる碧眼と視線が合う。朝からなんて神々しいご尊顔を披露しているのだ、私の夫は。心臓がかつてないほど激しく鼓動している。


 これはもしかして、毎朝じわじわと寿命が削られていくのではないだろうか?

 せっかく想いが通じ合ったのだから、末長く一緒にいたいのだけど。


「そうか、うん。確かに腹が減ったな」

「でしょ? 簡単なものなら作れるわ」


 朝食を用意しようとキッチンまで向かったところで、レイが後ろから抱きついてくる。


「もう、料理できないから離れて」

「嫌だ。離れたくない」


 なにかにズキュンと胸を撃ち抜かれた。なにこの子犬みたいな可愛さは。

 ねえ、あなた本当に悪魔皇帝ですか?


「でも危ないから。レイが火傷したら嫌なの」

「その時はセシルに薬を飲ませてもらう。ほんの少しも離れていたくない」


 いや、本当にあなた誰ですか?


「なあ、セシル。やっぱり朝食は後にしないか?」

「え、だってお腹空いてるでしょう?」

「だから、セシルを食べたい」

「え、それ——」


 どういう意味か聞こうと振り向いたら、貪るようにキスをされて頭がふわふわと宙に浮いたようになる。まるで媚薬みたいなキスに抵抗する術は、私にはない。


「セシルのすべてを俺のものにしたい」


 その言葉の意味がわからないほど子供じゃない。でも簡単に頷けるほど経験もない。

 昨日だって一緒のベッドで眠ったけど、続いていた睡眠不足と安堵からあっという間に寝落ちしてしまったのだ。嫌ではないけど、単純に心構えができてなかった。


「嫌か?」


 そんな風に聞かれたら、答えは決まってる。


「……嫌じゃないけど、でも」


 私が答えに困っている間にも、レイからキスが降ってくる。


 髪に、額に、頬に、耳に。

 愛しくてたまらないというように、触れられて私はぐずぐずに溶かされていく。


「もう、レイ、これ以上キスしないでっ」

「どうして?」

「だって——」


 ——コンコンコン。


 求められて嬉しいって言ってしまいそうになったところで、扉を叩く音がした。こんなに朝早い時間にいったい誰だろうと、疑問が浮かぶ。


「ちっ、邪魔しやがって」


 レイがなにか呟いたようだけど、よく聞こえなかった。ノックの音は止まず、鳴り続けている。


「はーい、今開けます」


 そうして扉を開いた先にいたのは、いつかと同じブレイリー団長だった。


「おはようございます! 陛下、セシル様、お迎えに上がりました」

「……どういうこと?」

「……どういうことだ?」


 見事にレイとハモった。




 皇城の皇帝の執務室には婚姻宣誓した時と同じ顔ぶれが揃っていた。

 ブレイリー団長の魔道具で移動して来たのだが、この状況とイリアスの笑顔に背筋を詰めたい汗が伝っていく。


 どうしよう、なんか嫌な予感しかしない。


「おい、なぜ俺とセシルが皇城に呼ばれるんだ?」

「なぜと申されましても、皇帝陛下はあなた様ではないですか」

「それはイリアスに帝位の譲渡をしただろう」

「いえ、まだ譲渡はされておりません」

「は? どういうことだ?」


 どうやら、レイは皇帝を辞めたと思っていたけれど、実際はまだ皇帝のままだったらしい。それなら、レイと離縁していなかった私は?


「どういうこともなにも、私は帝位譲渡の書類にサインしておりませんので。このディカルト帝国の皇帝はレイヴァン様ですし、皇后はセシル様です」


 やっぱりー! きっとレイも敏腕宰相のイリアスに、うまいこと動かされたのだろう。


「イリアス……! 今すぐその書類にサインしろっ!」

「お断りいたします」

「なぜだ!?」

「このディカルト帝国を発展させ、民が笑顔で暮らせる国にできるのは、レイヴァン皇帝陛下とセシル皇后しかおられないからです」


 イリアスの言葉にレイが言葉に詰まる。


「これだけ民のことを想い、どんな苦境にも諦めず最善を尽くされるお姿、さらには帝国最強の騎士として実力も申し分ないお方など他におりません」


 それはわかるわーと他人事のように聞いていたら、私にまで飛び火してきた。


「セシル様においても、魔女としての圧倒的な強さに、類まれなる魔力識別能力。万人を癒す魔女の秘薬の深い知識までお揃いの方は、他におりません」

「だが、セシルは皇后を望んでいない。それにまた命を狙われるとも限らない」

「え? 私って命を狙われてたの?」

「……ああ、だから俺が皇帝を辞めれば、セシルも安全になると思ったんだ」


 なんという衝撃の事実だろう。そんなことまったく知らなかった。きっとレイが私のことを想って密かに対処してくれていたんだ。


「それについては、すでに犯人も捕らえて処理も済んでます。今はなんの憂いもありません」

「それはよかったわ……ねえ、レイは皇帝を辞めたいの?」

「俺はセシルがすべてだ。そもそもセシルを守るために、皇帝になったんだ」

「他には? 本当にそれだけで皇帝になったの?」


 レイが美しいかんばせを歪めて、悩んでいる。


「私ね、レイが皇帝になって街の様子が活気に満ちあふれていて嬉しいと思ったわ」


 そんなにも私を想ってくれているのも、嬉しくてたまらない。でも、きっとレイはこうも思っているはずだ。


「レイが民のためになにが最善か、いつも考えていたのを知ってるわ。そんなレイが皇帝だからこの帝国は、前よりも確実によくなっていると感じたのよ」


 泣きそうな顔のレイは、ジッと私の言葉に耳を傾けている。

 私は、大切な人のために背中を押してあげたい。私がどれだけレイが好きで、レイのためならどんなことでもできるのだと知ってもらいたい。


「ねえ、レイ。私は魔女よ。そんな私にふさわしいのは、皇帝くらいしかいないと思うのだけど違うかしら?」

「セシル……嫌じゃないのか? 皇后なんてやりたくないんだろう?」

「確かに皇后に興味はないけど、できないとは言ってないわ」


 なによりも愛しい人のためなら、それくらいこなして見せようじゃないの。


「くくっ、さすが俺のセシルだ。君にだけは敵わない」

「それなら私の夫して相応としくあるように、せいぜい皇帝として励むのね」


 魔女らしく、ちょっとだけプライドが高そうなふりをして夫の尻を叩く。

 皇后としてこれから苦労することもあるだろうけど、そんなのはレイの隣にいれば気にならない。


「さあ、あなたたちもせいぜい自分の仕事に励むのね。手を抜いたら、私が呪うわよ?」


 リリス師匠ならきっとこう言うだろう。

 魔女の仮面をかぶって虚勢を張って、そのために必死に努力して。そんな私でもレイは受け止めてくれる。


 だから私らしく、これからもレイを愛していくのだ。

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