第29話 愛で触れて


 今のは聞き間違いではないのだろうか?

 あまりにも私がレイを好きだから、望みすぎて幻聴が聞こえてきたのではないだろうか?


「セシルに誤解をさせるような言動で申し訳なかった。でも地位や名誉に興味のないセシルに俺の想いを告げても、負担になると思うと言えなくて……それでも気持ちは態度で示したつもりだったんだ」

「……本当に?」


 喉がカラカラで声が掠れる。


「うん?」

「本当に、レイは私を好きなの?」

「ああ、好きでは足りない」


 レイはゆっくりと立ち上がり、私の肩にそっと額をのせる。


「愛してるでも足りないくらい、セシルを想っている」


 夢じゃない。

 レイが私を想ってくれているのは本当なんだ。


「だから、どうか俺のそばにいてほしい」


 よかったのに。レイが幸せなら、それだけでよかったのに。


 私も手を伸ばしていいの?

 幸せになってもいいの?

 レイの隣にいてもいいの?


 私はレイの頬に手を添える。雨に触れてしまって冷えた身体は、火照る私の手のひらには心地いい。


 レイは流れに身を任せるように、私の目の前に仮面をつけたままの整った顔を見せる。そっと呪いの仮面を指でなぞった。

 何度も何度も呪いを紐解くように解呪してきた。時間をかければ、もちろん呪いは解けるだろう。


 でも今の私なら、一瞬で呪いを解くことができる。

 呪いを解く方法はもうひとつ。真実の愛を持って触れればいいのだ。



 私はレイを——愛してる。



 そう気持ちを込めて、呪いの仮面に口づけを落とした。


 カランッと軽い音を立てて、ツタ模様の彫られた仮面が床に転がる。真実の愛を込めて口づけで触れたから、仮面の呪いは解けた。


「仮面の呪いは解けたわ。これが私の気持ちよ」

「——っ!!」


 下を向いたまま動かないレイの耳が、真っ赤に染まっている。

 膝枕した時の比ではない。フルフルと震えているけれど、寒いわけではないようだ。


「レイ。ねえ、顔を上げて素顔を見せてよ」

「セシル……っ!」


 弾かれるように顔を上げたレイのご尊顔に、今度は私が固まった。


 なんなの、これは。なんなのよ。

 なんでこんなに美形なのよ——!!


 なにかを抑え込んでいるような切ない表情は扇情的で。潤んだ瞳はまさしく太陽に煌めく夏の海のようで。薄く開いた唇は、艶めいていて目が離せない。


「ちょ、仮面つけて、仮面っ!!」

「は? なぜだ?」

「なんでもいいから、仮面をつけてー!」

「嫌だ。やっと仮面越しじゃないセシルが見れたんだ。もっとよく顔を見せて」


 ひええええええええええ——!!

 イケメンが! 目が潰れそうなほどのイケメンが目の前にっっ!!


「ち……近すぎるってば!」

「近かったらダメなのか?」


 鼻先が触れ合うほどの距離で、眩しいほどのイケメンがなにか言ってくる。

 私の心臓が持たないから、早く離れてほしい。今だって変な汗をかきまくって大変なことになっている。


「ダメ!」

「どうして?」


 あの余裕げなレイの眼差しは、何度も見たことがある。

 このまま流されたらダメなやつだ。間違いなくレイに翻弄されて、私の寿命が縮む羽目になる。


「どうしても!」

「俺はセシルを愛してるから、もっと触れたいし触れてほしい」


 そう言って耳元で囁くように、甘い声を出さないで。

 宝物に触れるようにそんな優しく抱きしめないで。


「ひぃっ!」

「セシル」


 レイの劣情を孕んだ声は、私の耳朶じだをダイレクトに刺激する。ぞくりと駆け上がってくる感覚がなんなのかわからなくて、ここから逃げ出したい。


「愛してる」

「……っ!」


 いつでも振り払えるくらいの力で、そっと抱きしめられてるのに、その腕から抜け出せない。離れたいのに、離れたくない。


「セシルの気持ちも聞かせてくれ」

「そ、それは、わかるでしょ」


 ああ、ついさっきまで気持ちをちゃんと伝えようと決心していたのに、こんな状況じゃ素直に言えない。もし言ってしまったら。


「セシルの口から聞きたい」

「……す」


 もうレイの青い瞳から逃げられない。


「好き……」


 レイがとろけるような微笑みを浮かべる。そっと重なる唇は熱くて、深く繋がるたびにレイの愛が心の奥まで染み込んでいった。


     * * *


 その頃、皇城にあるレイの執務室には、宰相のイリアスと、第一騎士団長のブレイリーが残務処理のため顔を合わせていた。


 ひと通りの打ち合わせが終わり、ブレイリーがイリアスに問いかける。


「なあ、イリアス。陛下は本当に退位されたのか?」

「そんなわけないでしょう。確かに帝位譲渡の書類は用意もしましたし、陛下はサインもされたけど、私がそれを認めると思いますか?」


 イリアスは冷酷無慈悲な宰相だった。頭は切れるし忠誠心も厚い、決断力もあり実行力も伴っている。だが、国のためにならないことは、絶対にことを進めない。


「はははっ、だよなあ。お前はトップって柄じゃないし、陛下じゃなきゃ俺たちをまとめられないだろうしな」

「そうですよ。そんなわかりきったことを陛下は理解されてないんです」

「まあ、陛下らしいと言えば、陛下らしいな」


 イリアスは地獄のような環境から救い出してくれたレイヴァンに、忠誠を誓っている。そのレイヴァンを助けたセシルもまた別格だ。


 私情を抜きにしても、帝国の皇帝を務められる器がある人間など限られてくる。


 この帝国に必要なのは、レイヴァンとセシルだ。あのふたり以外に適任者はいない。


「それはそうなんですが……もう少し自覚を持っていただくべきか。セシル様にうまく動いていただければ、いい方向に持っていけるか——」


 イリアスは思考を巡らせる。


 ブレイリーは多少の政治は理解できるが、この宰相のように知略を張り巡らし人を駒のように動かすのは向いていないと思っている。適材適所があるし、自分はどちらかというと背中で語るタイプだ。


 頭脳労働はイリアスに任せて、ブレイリーは自分の仕事をしようと気持ちを切り替えた。


「そういえば、セシル様はいつ戻ってこられるんだ? セシル様の警護シフトの組み直しが必要なんだ。旧派の貴族が抜けたから、人員も補充したい」

「ああ、そうですね。それならマックイーン侯爵に声をかけてください。彼自身も領地の魔物討伐で腕を慣らしてましたし、前回の聖女の不正検査に協力してくれた功績もあります」


 確かにマックイーン侯爵ならセシル様の警護を安心して任せられる。仕事ぶりを見ても有能なのは間違いない。


「その際に取りまとめた貴族たちのつても使えるでしょう。不足分は第二騎士団や第三騎士団から異動で賄ってください」


 それならなんとかなりそうだと、ブレイリーは納得した。


「なにより彼なら自らの命をかけて、セシル様の盾にもなるでしょう」

「ああ、間違いないな。でもな、それよりも面白いものが見れそうじゃないか?」

「面白いものですか?」

「マックイーン侯爵は、セシル様の実の兄上だろ? 陛下から見たら義理の兄だから、今回みたいな無茶もしなくなるんじゃないか?」


 そもそも単身で敵地に乗り込むこと自体あり得ない。いくら心から愛するお妃様のためでも、皇族の近衛騎士である第一騎士団を待たずに、自ら攫われた妻を探しに行かないものだ。


 敬愛する主人のためだからどんな無茶でもするが、できるなら大人しくしていてほしい。心臓がいくつあっても足りなくなる。


「なるほど、そういうアプローチも有効そうですね」

「陛下にはそろそろご自身を大切にしてほしいんだ。イリアス、頼んだぞ」

「ええ、もちろんです。使えるものはすべて使いましょう」


 そう言って冷たい微笑みを浮かべるイリアスは、敵したくない男ナンバーワンだとブレイリーは強く思った。

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