第26話 怒れる悪魔皇帝
俺は皇帝であることを最大限活用して、セシルのために心を砕いた。
溜め込んでいた私財で家を買い、セシルの好きそうな内装で部屋を飾り、安心して暮らせるように治安の面でも万全を期した。
「なのに、なにが気に入らなかったんだ……?」
「全部ではないですか?」
イリアスの遠慮のない鋭く冷酷なツッコミに心を深く抉られる。
「それは……俺の調査が甘かったのか? それともまだ気が付かないところで不便があったのか? なぜ、セシルは俺の買った家に住まなかったんだ!?」
「だから、陛下がそこまですることに納得されなかったのでは?」
「夫なのだから、妻のために心を砕くのは当然だろう!」
「ではお聞きしますが、セシル様にそのお気持ちを伝えられたのですか?」
「……いや、それはまだだ」
はあ、とこぼされたイリアスのため息が胸に突き刺さる。仕方ないだろう。セシルの気持ちが第一優先なんだから。
無理やり妻にしておいてなんだが、他はすべてセシルの心に寄り添うようにしている。夜だって、衝動を抑えるのが大変でずっと寝不足気味だったのだ。
「では離縁の手続きはされていないということは?」
「離縁するなどとひと言も話していない」
「でも皇后のお立場から解放するとおっしゃいましたよね?」
「ああ」
「セシル様からしたら、離縁されると思われたのではないですか?」
イリアスの言葉が衝撃だった。
なぜそんなすれ違いの上に勘違いしたような思考回路のなるのか、脳内で思い返す。
セシルには気持ちを隠さず接してきた。よく耳まで赤くしていたから、多少なりとも俺の気持ちが通じてると思っていた。
だが思い返せば、後継者が必要だから妻になれと迫り、そのまま気持ちを伝えずに、照れ隠しで散々セシルに絡んでいた。
そういえば、家を購入する時のセシル様子がおかしくなかったか?
セシルとふたりで住む家を購入したと浮かれすぎていて、嬉しくなさそうなセシルに気付いてなかっただけではないか?
待て、待て待て待て。ちょっと待ってくれ。
「——もしかして、俺はずっとやらかしていたのか?」
「今頃お気付きになったんですね」
「なっ! なぜ言わなかったんだ!?」
「まさかここまでこじれてるなんて思いませんでした。それともおふたりの会話をひとつ残らず拾い上げ、精査した方がよかったですか?」
イリアスが言いたいのは、影を使ってすべてを監視するということだ。
いや、それはダメだ。
俺とふたりきりでいる時のセシルの愛らしい様子を、影といえども他の奴らに見せなくない。
「いや……そうではない。すまない、ショックが大きすぎて、八つ当たりした」
なんということだ、ここにきて取り返しのつかない失敗をしてたと発覚したなんて。それでも、ここで気付けてよかったのか。
そうだ、まだ巻き返す機会はあるはずだ。
「陛下がセシル様を想っておられるのは承知してますが、私にとってセシル様も同じくらい尊いお方なのです」
俺の命を助けたセシルをイリアスが敬愛しているのは知っている。
しかも先日、魔女の件で同行した時にセシルの高潔さや広い心、優雅に圧倒的な魔法を使う姿を見て、さらに心酔したのも知っている。
「もし陛下が原因でセシル様が涙するなら、アマリリスの魔女の手など借りなくとも、私が処分いたしますよ?」
「ああ、そんなことはしない」
「どの口が言っているのですか?」
「……すまない」
これは、イリアスが今までに見たことないほど、腹に据えかねているようだ。ここから先はセシルの心を手に入れるまで、わずかなミスも許されない。
「それでは、準備はもうできているのだな?」
「もちろんです。だからこそ陛下に現実を突きつけたのです」
「はっ、手厳しいことだ」
ようやく準備が整った。
セシルと夫婦のまま、皇后の立場から解放するにはこれしかなかった。
どんなものからもセシルを守りたくて手にした地位だったが、それも今日までだ。俺が皇帝を退位すれば、すべて解決する。
そうすれば、セシルは自由になり命を狙われることもなくなり、本当に嫌なら俺からも逃げ出せる。
次の皇帝になるのはイリアスだ。宰相として今まで尽力してくれて、頭も切れる最高の適任者だ。
「では俺からサインしよう」
「……お願いします」
サクッとサインを終えて、イリアスに分厚い羊皮紙を渡した。
「陛下っ! 緊急事態です!」
ブレイリーが執務室のドアをノックもせずに開けて、大股で俺の前までやってくる。ここまで焦った様子のブレイリーも珍しい。
「なにがあった?」
「セシル様がフューゲルス公爵家に攫われました」
言葉の意味を理解して、心は地獄の業火のように燃えているのに、頭の芯が冷えていく。
俺のセシルを攫っただと?
皇后から解放したというのに、それでもなおセシルを狙うのか?
ならば、そいつらの首を刈り取るまでだ。
こんな思考回路だから、俺は悪魔皇帝と呼ばれるのだ。
だが、今はそれでいい。
悪魔のようにすべてを奪い尽くし、破滅させてやる。
ブレイリーから詳細報告を受けた後、フューゲルス公爵家まで転移の魔道具で移動した。騎士たちの準備が整うまで待っていられなくて、単身公爵家に乗り込もうとしたら、ブレイリーだけがついてきた。
ひと目で皇帝だとわかるように、俺しか着ることができない真紅のマントを羽織ってきたから、門番が驚き慌てふためいていた。
「こ、皇帝陛下!」
「門を開けろ」
「しかし、公爵様には誰も通すなと……」
「開けろ。次はない」
そこで腰にはいた剣を抜けば、門番は慌てて門扉を開いた。
セシルの魔力はまだ感じない。どこかに閉じ込められているのかもしれない。
「陛下、お待ちください。第一騎士団もすぐにやってきます。頭数を増やして捜索したほうが……」
「大丈夫だ、俺はセシルの魔力がわかる」
「は……? それは本当ですか?」
「ああ、セシル限定だが、俺が捜すのが一番早い」
「ははっ、そうですか。承知しました。では陛下の背中はオレがお守りいたします」
「頼んだ」
フューゲルス公爵邸は端から静かなものだった。しかし使用人の姿が見当たらない。これほどの規模の人の気配がしない屋敷は不気味なほどだった。
屋敷の中を進んでいくと、兵士と執事が床に座り込んでいた。
「兄さん、大丈夫? 薬を取ってくるから待ってて」
「オレはいいから! 他の奴らは逃げたな? お前も早くここから出ないとっ!」
「おい」
俺が声をかけるとふたりはビクッと肩を震わせ、固まってしまった。よく見ると若い青年でどこか幼さが残る顔立ちだ。
兵士の方は足を怪我しているのか、布を巻いているが血がにじんでいた。
「皇帝……陛下!?」
「申し訳ありませんっ! 僕がすべて悪いのです! 兄はただ、僕を助けてくれただけなのです!」
「おい、俺が聞きたいのはそんなことじゃない。ここにセシルが……魔女がいるだろう? どこだ?」
「えっ? 魔女様?」
「っ! 魔女様を捜してどうするんですか!?」
どうやらこの青年たちはセシルを知っているようだ。しかも魔女様と敬意を持って呼んでいる。
俺の妻はどこでもサラッと人をたらし込んでしまうのだ。
「俺はただ愛しい妻を助けにきただけだ。案内しろ。お前たちも悪いようにはしない」
「……本当に助けていただけるのですか?」
「あの人はオレたちを二度も助けてくれたんだ。嘘だったら……地の果てまで追いかけて、捕まえるからな!」
これだけの短期間でこんなにも人心を掴むとは、俺でもセシルには敵わない。さすが俺の惚れた女性だ。
「彼女は俺の愛しい女神だ。早く教えてくれ」
「地下牢にいます……ここをまっすぐ進んで、突き当たりを右に曲がり階段を下りれば。その先が牢屋になっています。お願いします、魔女様を助けてください!」
「わかった、任せろ。ブレイリーはこのふたりを頼む。援軍が来たら、来てくれ」
「承知しました。お気を付けて」
セシルの居場所がわかった。もう今度会ったら離さない。俺がずっとそばで、セシルのすべての憂いを取り払うんだ。
俺は廊下を駆けた。
彼女の敵を完全に排除するために。
愛しい彼女を助けるために。愛しい彼女を守るために。
愛しい彼女に、会うために。
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