第25話 心に灯る炎
冷たい牢屋の床に素足で立っていた。
もうどれくらいそうしていただろうか。
今朝までの平和な日々が嘘みたいに、絶望的な状況だった。
今朝はいつもの週末のようにフィオナを送り出して、予約のあった解呪の仕事をしようと店を開けた。先週は急患が駆け込んできたから、結局ゆっくりできなくて薬の調合をしていたのだ。
解呪の仕事が終われば、ゆっくりと湯船に浸かって本でも読もうと思っていた。
やってきたのは三人組の男性で、呪いのアイテムをつけていたのは先週やってきた鎧の青年だったから油断してしまった。解呪している最中に一瞬の隙をつかれて両腕を鎖で繋ぐような腕輪をつけられてしまったのだ。
魔法が発動しないので、魔封じの腕輪だとすぐにわかった。そしてすぐに声がでなくなる魔道具も首につけられた。
『ごめんなさい、本当にごめんなさい……!』
そう言って泣きそうな顔で、黒塗りの馬車に乗せられた私にこっそりと謝ってきた。
ああ、平和ボケしてた自分が悪かったのだと自嘲する。考えなくてもいいことを考えて、無駄に頭を使っていたからだろうか。
それでもフィオナがいない時でよかったと思った。
連れてこられたのは、あのフューゲルス公爵家だった。
案の定というべきか、義妹が高らかに笑いながら私を見下してきた。元婚約者の顔を見てもなにも感じるものはなかった。びっくりするくらいどうでもよかった。
問題は足元に転がっている香炉と、あのふたりがレイを皇帝から引きずり下ろすために画策していることだ。
どうしよう、早く義妹たちを止めないと。呪いの香炉を作らなければフィオナが殺されて、クーデターが起きたらレイが殺される。
私がヘマをしたから、ふたりの命が危険に晒されてしまった——。
レイが殺される。
あのレイが? いつも意地悪な笑顔で私をからかって、海の底のようなコバルトブルーの瞳をまっすぐに向けてくるレイに……もう会えなくなる?
もうあの手に、あの温もりに触れてもらえなくなる?
——そんなの、嫌だ。
だってレイが頑張っているから、街の様子も活気づいていた。多くは語らないけど、民のために心を砕いていたのを知っている。
なによりもいつも疲れてるのに執務を早く切り上げて、私との時間を作ってくれていた。
例え魔女でも偏見なく見つめてくれた。
そんなレイがいなくなるのなんて、嫌だ。
私の心に火が灯る。
小さな炎はあっという間に身体の内側を駆け巡り、大きな決意となって力に変わった。
(レイを殺させない。フィオナにも触れさせない。そんなこと私が絶対に許さない)
魔封じの腕輪さえなければ、こんなところからすぐにでも抜け出せる。古代の魔道具なら専用の鍵がなければ外せないから、物理的に破壊するしかない。
目の前の鋼鉄製の鉄格子に思いっきり腕輪を振り下ろした。
ガシャーンと大きな音を立てるが、擦った後がついただけで傷はついてない。それでも何度も何度も鉄格子に打ちつけた。
(あきらめない! 絶対にあきらめない! フォオナの笑顔を守るのよ!)
ガキンッ! ガキンッ! ガキンッ!
握りしめた手が鉄格子にぶつかるのも気にせず、とにかく魔封じの腕輪を全力で打ちつけた。
(レイが大切な人と一緒に過ごせるように、守るの! 例え相手が私じゃなくても!!)
ガキンッ! ガキンッ! ガキッ!
(……っ!)
痺れるような鈍い痛みが拳から腕へと駆け抜けた。何度も鉄格子にぶつけたからジンジンと熱を持って赤く腫れ上がってきている。
(ダメ、あきらめちゃダメ。こんなことで挫けるほど、私の心は弱くないから!)
もう一度おおきく振りかぶって、鉄格子目掛けて拳を下ろそうとしたと時だ。
「魔女様っ!」
囁くような若い男の声が耳に入る。声の方へ視線を向けると、やってきたのは執事服の青年だった。腹部に傷を負って治療した青年だ。
「なんて無茶なことを……!」
青年はポケットから鍵束を出して牢屋の鉄格子を開けてくれた。
「助けに来るのが遅くなって申し訳ありません。兄から聞いて、ずっと機会をうかがっていたんです。なんとか魔道具の鍵を手に入れたので、お助けいたします」
青年はニコッと笑って、あっさりと魔封じの腕輪と首輪を外してくれた。
「ちょっと! そんなことをしたら貴方はどうなるの? ただでは済まないでしょう!」
「大丈夫です、兄が牢屋の警護をしている兵士たちを一時的に遠ざけたので心配ありません。さあ、早くここから出ましょう。兵士たちが戻ってくる前に」
「どうしてここまで……」
私を助けるために、きっと危険を承知でここまできてくれたのだ。
私がこのまま逃げ出せば、この兄弟は間違いなく罰せられてしまう。
「命を助けていただいたご恩をお返ししたかったのです」
ぼやけてくる視界を瞬きでやり過ごし、自由になった魔力を解放した。青年はその圧にゴクリと息を呑む。
「もう対価はもらったわ。魔女は借りを作るのが嫌いなのよ」
雪の結晶をした闇魔法が吹雪のように牢屋の中を乱れ舞い、鉄格子に向かって飛んでいく。次の瞬間には、大きな音を立てて、細切れになった鉄格子が床に散らばった。
「ええっ! 魔女様、これでは——」
「閉じ込められた
これで誰かが牢屋の鍵を開けたなんて思わないだろう。ついでに魔道具も切り刻んでおいたから、これも破壊されただけだと解釈してくれるだろう。
私の意図を理解したのか、青年はくしゃりと顔を歪めて笑った。
「さあ、貴方は邪魔よ。どこへでも行きなさい。ついでに屋敷の人たちも避難させて。思いっきり暴れるから」
「魔女様……これでは恩返しになりません」
「対価はもらったって言ったでしょ。ああ、行くあてがなかったら、あの店で雑用として雇ってあげるわ。じゃあね」
来るかどうかはわからないけど、もしここをクビになっても困らないようにしてあげたかった。
こう見えて魔女は義理堅いのだ。あの兄弟が地下牢から出ていくのを見届けた。
「さあ、ここから反撃よ。……もう絶対に許さないわ」
ふたりが逃げる時間を稼ぐためにさらに地下牢を破壊していく。牢屋についている鉄格子は片っ端から細切れにして、石造りの壁は崩れ落ち瓦礫と化していた。
地下牢から出て階段を登ると、そこも牢屋になっていた。明らかに貴族の女性や子供が捕らえられていたので、壁を壊して外まで出れるようにした。
ここでやっと前方からガチャガチャと鎧や剣のぶつかる音が聞こえてくる。屋敷中の兵士がやってきたようで、ぐるりと私を取り囲んだ。
「あらあら、ずいぶんとのんびりだったわね」
「くっ! 恐ろしい魔女を捕まえるぞ! 全員でかかれ!!」
その掛け声で、騎士たちがいっせいに私めがけて剣を振り下ろしてきた。黒雪の闇魔法を左手にまとわせて振り払えば、悲鳴とともに兵士たちが倒れていく。
魔物相手に戦ってきたのだ、人間相手にやられることはない。
「ふんっ、あなたたちが何人かかってきても無駄よ。大人しくしれば怪我させないわ」
「くそっ、化け物みたいな強さだっ!」
「なんとしても通さないようにとの命令だ! あきらめるな!」
兵士たちの心意気は見事だけれど、相手が悪すぎるのだ。魔女を相手にするなら、人数も足りないし、技量も足りない。
「面倒ね、まとめて眠りなさい」
今度は右手から黒い雪の結晶を放った。兵士たちに触れると霧のように消えて、その意識を刈り取り強制的に眠らせる。
バタバタと兵士たちが倒れていって、残り五人となった時だ。
急に身体が重くなり、息すらできなくなった。
「かはっ……!」
いったい何が起きたのかと視線を巡らせれば、そこには元婚約者とシャロンの姿があった。
「よし、やったぞ! 魔女を麻痺させた!」
「ちょっと、お前たち、エル様が魔女を抑えてるうちに、首を刎ねなさい!」
「なっ、なぜだ! シャロン、勝手なことをするな!」
「なに言ってるの、古代の魔道具も効かなかったのよ! こんなに危険な女は処分しないと危ないでしょう!?」
どうやら元婚約者がつけている指輪型の魔道具で、私の動きも呼吸も封じられているようだ。だけどふたりが口論しているから、兵士たちがどうしていいのかわからず、動けないでいる。
今のうちに闇魔法であの指輪を破壊すれば、まとめて眠らせられる。
私が身動きできないまま魔力を操作すると、両手から黒い雪の結晶がチラチラと舞っていった。あの魔道具のせいで、魔法の操作もうまくいかなくなっている。
「いいから! 早く首を刎ねて! 次に動かれたら、もう誰もとめられないわ!!」
シャロンの叫び声で、ひとりの兵士が剣を振り上げた。
私の首もと目がけて、斜め上からぎらりと光る剣が振り下ろされる。その切っ先を見つめながら、必死に闇魔法を操った。
ダメだ、まだこの大きさじゃ指輪を砕けない。
この魔力の濃度じゃ、指輪を切断できない。
鋭利な切っ先が私の首の薄皮を裂いて、熱い痛みが走る。
ダメだ、間に合わない。
まだ、まだここで死にたくないのに——
潤んだ視界に飛び込んできたのは、繊細な刺繍が施された上質な真紅のビロードのマント。
「セシル。すまない、遅くなった」
そして、あれほど会いたいと
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