第24話 元聖女は企てる
「ちょっと! 戻ってくるのが遅すぎるのよ! なにをやっていたの!?」
私は三時間前に用事を言いつけた若手の執事を、怒鳴りつけた。
ただ出来上がった魔道具を受け取りにいっただけなのに、なぜこんなに時間がかかるのか意味がわからない。
苛立ちをぶつけるように、飲んでいた紅茶をカップごと投げつける。執事の肩に当たってカップは床に落ち、執事は紅茶まみれになった。
「シャロン様、大変申し訳ございません! 実は途中で破落戸に襲われて、魔女の秘薬で治療を受けていたのです」
「そんなのわたくしには関係ないでしょう! もともと鈍臭いのを我慢して使ってやっていたのに言い訳する気!?」
「申し訳ございません!!」
使用人の分際でわたくしに口答えすることに腹が立つ。今やわたくしはフューゲルス公爵夫人なのだ。
でもこの執事の口から魔女という言葉が出てきた。この帝都には魔女なんていないはずだけど、もしいるなら呪いの制服の時のようにうまく使えば、セシルにダメージを与えられるかもしれない。
「ねえ、魔女と言ったわね。どこにいるの?」
「は、はい。メインストリートから二本裏に入った通りにある薬屋です」
「そう。まあ、今回はその情報で許してあげるわ。下がりなさい」
その後、調査をしてみたら、使えない執事の言う通り魔女の秘薬を扱う薬屋があった。若い女と子供のふたりで営業しているらしい。
「わたくしが使った魔女かしら……いえ、あの魔女は処分されたと言っていたわね。では、別の魔女がいるのかしら?」
わたくしは魔女を使ってセシルを陥れる計画を立てはじめた。
最近は毎日といっていいほど帰りが遅いエル様を待って、新たに思いついた計画を相談しようとした。もう日付が変わった頃にやっと帰ってきたエル様からは、お酒と知らない香水の匂いがする。
襟元からチラリと覗く赤い花びらに情事の影を見た。
「エル様……どういうことなの! 他の女と関係を持つなんて、わたくしを馬鹿にしているの!?」
「シャロン、これは私たちの計画を進めるために必要なことなのだ。お前は公爵夫人の地位があるのだから、なにも心配はいらないだろう」
面倒くさそうに答えるエル様に怒りが込み上げる。あんなにわたくしに溺れていたのに、いつの間にか冷めた視線を向けるようになっていた。
いつから? そういえばエル様の帰りが遅くなってから、寝室もわけられてしまった。わたくしを見つめる瞳に燃えるような熱はもうない。
足もとからガラガラと崩れていく感覚に囚われて、身動きができなくなった。
わたくしにはもう帰る家もない、ここから追い出されたら……!
そんなの許せない! わたくしを捨てるなんてさせないわ。どんな手を使っても公爵夫人の座を手放さないから!
「それなら約束してちょうだい。絶対にわたくしと離縁しないと、魔法契約を結んで」
「なっ、そこまで私を信用できないのか!?」
「当然でしょう。婚約者がいてもわたくしを抱いたあなたを、どうやって信じるというの?」
もともとセシルの婚約者だったし、公爵になる男だったから手を出したのだ。気持ちなんて特にない。都合がいいからわたくしの夫に選んでやっただけだ。
「あれは媚薬の呪いにかかったお前を助けるためだったろう! それとも他の男に相手をさせればよかったか!?」
「冗談言わないで! わたくしは聖女なのよ! その辺の男なんて触れることも許されないわ!」
「だから、お前はもう聖女ではないと宣言されたではないか! 」
「だからなによ。エル様が皇帝になったら、わたくしを聖女に認定すればいいでしょう! それとも他にこの金色の瞳を持つ女がいるとでもいうの!?」
聖属性の適性を持つ乙女が教会で洗礼を受ければ、この金色の瞳なる。確かに一度は聖女として認められた証だ。
さらに貴族たちは、聖女を妻にすることが一種のステータスであるから、手放すのは惜しいはずだ。
「ふんっ……ならば、黙って待っていろ。私がしっかりと準備する」
「魔女が帝都にいると聞いたわ」
「なに?」
「エル様を皇帝にするいい計画を思いついたの。あなたが私と離縁しないと約束するなら、計画を話すわ」
「……わかった。話してみろ」
結局この愚かな男はわたくしの言葉に逆らえない。だってこの男を皇帝にできるのは、わたくしだけなのだから。
そうして一週間後、魔女を捕らえたと報告を受けた。
「魔女はあの薬屋で働いていた女でした。魔道具を使って見た目を変えていたようです。真紅の瞳なので間違いありません」
フューゲルス公爵家専属の兵士たちはいい働きをしてくれた。
「そう。今から魔女のところに行くわ。魔封じの腕輪はつけてあるんでしょうね?」
「ああ、それなら私が手配した。公爵家の代々伝わる秘宝があったから、万全を期して使わせた」
「まあ、さすがエル様ね。機転がきくわ」
「当然だ」
計画を聞いたエル様に、これからもわたくしの知恵を受け取りたいなら蔑ろにするのは許さないと告げた。結局、数日前にあっさりと浮気相手を切ったようだった。
わたくしとエル様は、早速魔女の顔を拝もうと地下牢まで足を運んだ。暗くじめじめした地下牢は気分が悪かったけど、仕方ない。
そしてわたくしはこの日、本当に神様がいるのだと実感した。
わたくしがわざわざ足を運んだ地下牢にいたのは、忌々しい姉のセシルだったのだ。
薄汚れた地下牢の中で、肩までの黒髪はほこりに塗れ平民が着るような質素なワンピース姿でベッドに腰かけていた。
「公爵様の指示通り、首には声を出すことができなくなる古代魔道具を、手首には魔封じの古代魔道具を装着しております」
「お前は……セシルか!」
「ふふふ……あはは! お姉様、こんなところで会うなんて、どんな奇跡なのかしら?」
わたくしは久しぶりに心から笑顔を浮かべて、セシルの入っている牢屋に向けて声をかけた。黒髪の見窄らしい女は、昏い瞳でわたくしを見つめている。
そう、この瞳だ。こんな風に絶望した瞳で生きるのが、この女には似合っている。すべてを持っていたこの女が羨ましかった。
きれいな屋敷に住んで、大勢の使用人に囲まれて、婚約者まで素敵で。そしてわたくしに施す余裕があるのが妬ましかった。
だからこの女のなにもかも奪ってやりたかった。
「ふふっ、その格好、よく似合ってるわ。可哀想に、陛下に捨てられたのね」
姉の顔が歪んで、真紅の瞳が潤んでいく。わたくしは久しぶりに楽しくて仕方なかった。
「ねえ、お姉さまは魔女だから呪いのアイテムを作れるわよね? だったらかわいい妹のために作ってくださる?」
ブルブルと顔を横に振ってできないと言いたいようだ。わたくしのお願いを断るなんて生意気だ。
「そう、なら一緒に住んでいた子供は処分するわね。話を聞いてもらえないなら仕方ないわ」
「…………!!」
ガシャンッと大きな音が地下牢に響く。
必死な形相の醜い姉が牢屋の格子を掴んで、わたくしたちを睨みつけていた。
「セシル、お前自分の立場がわかっているのか? 私たちに逆らえる状況ではないのだぞ」
「そうよ、ほら、このアイテムに呪いをかけてちょうだい。この香炉を使うと呪いが発動するようにして。そうねえ、毒でも煽ったような症状が出るといいのだけど」
俯いている姉に最後のとどめを刺す。
「いいかしら? 呪いのアイテムを作らなかったら子供は処分するわ。呪いの香炉を作ればわたくしたちはクーデターを起こして、エル様が新しい皇帝になるわ」
お姉様は気味の悪い真っ赤な眼を見開いて、格子を固く握りしめていた。
その様子に腹の底から笑いが込み上げる。
いいざまだ。そうやってわたくしに縋りつけばいいのよ。まあ、取り合うことなんてないけれど。
「ふふっ、お姉様に選ばせてあげるわ。あの子供か、皇帝か。お姉様の選択でどちらかが命を落とすのよ。ふふふ……あはははははは!」
「シャロン、それでは計画が進まないだろう」
「そんなことないわ。呪いの香炉を作らなくても、魔女が呪いのアイテムを作ろうとしたとでも言って公開処刑すれば、皇帝にダメージを与えられるもの」
「ふむ……そうか、なるほど。それなら魔女を皇后にしていたと糾弾できるな」
「あ、お姉様に伝え忘れてたわ。どちらにしてもお姉様は魔女として処刑するから、せいぜい後悔にしないように選ぶのね」
呆然としているお姉様の顔に満足して、空気の悪い地下牢から引き上げてきた。
今夜は久しぶりに美味しいワインが飲めそうだ。これからのわたくしたちの未来を祝福してエル様と祝杯をあげた。
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