第22話 三度目の旅立ち
「これが制約内容変更の書類です。ほとんど変わりませんが、皇后に関する項目を現状に合わせて修正しております。ご確認いただきましたらサインをお願いいたします」
イリアスが出立の日の朝に、あの分厚い羊皮紙を持って私室にやってきた。
またこの紙一枚で私の人生が変わるのかと思ったけど、胸の中で渦巻く黒い感情に支配されたくなくてさっさとサインした。
前の時のように淡い光が私の胸の中に吸い込まれていく。いまだにレイと繋がっているのは、きっと私の居場所を把握しておきたいのだろう。
そこまで信用されていないのかとキリキリと胸が痛んだ。
「手続きはこれで終わりね?」
「ありがとうございます。これで制約は更新されました。セシル様、こちらは以前ご利用いただいた認識阻害の魔道具です。フィオナ様の分も用意しておりますので、帝都でお出かけの際にはご利用ください」
イリアスが差し出したのは、レイとのデートで身につけたブレスレット型の魔道具だった。
帝都で暮らすなら、これがあるとずいぶん暮らしやすくなる。フィオナもいるし、ありがたく受け取ることにした。
「ありがとう。じゃあ、もう行くわ」
「セシル様、陛下にお会いにならないのですか?」
「いいのよ。この時間は忙しいじゃない。会いたくなったらいつでも来れるし」
まあ、来れるってだけで、私からレイに会いにくることはないけど。ついでだから、未練を断ち切るために影のルートを閉じてからお城を出よう。
そうすればうっかり影移動で皇城に来ることもないわ。
「確かにそうですね、いつでも顔を出してください。でも他の貴族に見つかるといけませんので、それだけは注意してください」
イリアスはいつもの冷たい笑顔でそう告げた。
そんなのわかってる。レイにはもう新しい相手がいるから、私が現れたと知られたら面倒なことになるだけだ。
「ええ、じゃあね、イリアス。お世話になったわ」
そう告げて、私はフィオナとともに静かに皇城を後にした。
皇城の外に出ると空は青く晴れ渡り、心地のよい風が頬を撫でていく。
もともと持っていた洋服の中から一番マシなワンピースに着替えていたから、傍目から見れば少し裕福な家の娘に見えるだろう。フィオナを連れているから、もしかしたら親子に見られているかもしれない。
皇后としてきていたドレスや装飾品は、私には必要ないからすべて置いてきた。次の妃が来るまでにあちらで処分してくれるだろう。
小さめのボストンバックとキャリーケースがひとつ。それが私の持ち物だった。侯爵家を出た時よりもほんの少し増えた荷物に、自分の努力の成果だと実感できた。
私はレイが用意してくれた家を使うつもりは最初からなかった。そもそもなんの約束も果たしていないから、受け取る資格なんてない。
フィオナが独立するときに使ってもらえばいいかな、なんて考えていた。
「フィオナ、とりあえずどこかに宿を取りましょう。新しい部屋を見つけて、薬屋でも開こうか?」
「はい! セシル師匠!」
「ふふ、いい返事ね。このひと月も修行を頑張ってたから、影移動もできるようになったし、ミリアムから薬草を仕入れるのも任せられそうね」
「えっ! そんな大事なお仕事を任せてもらるのですか!?」
母のミリアムからも相当厳しく躾られたので、フィオナの言葉遣いもすっかり大人びてしまった。別に前のままでいいと言ったら、私がミリアムに怒られたくらいだ。
独り立ちするまでは、開花させた魔女に最大限の敬愛を示せという我らの掟があるからだ。その代わり開花したばかりの魔女の不始末はすべて、面倒を見ている魔女の責任になる。
「うん、私は皇城へのルートは閉じちゃったから、外から入れないの。お願いできる?」
「それは大丈夫ですけど……影移動のルートを閉じちゃったって、どうしてですか?」
「あー、ほら出ていった皇后がウロウロするのってよくないでしょう?」
「うーん、そうですか? でも陛下は——」
「フィオナ、ほら、ここの宿に決めたわ!」
もうレイの話はしたくなくて、さっさと宿を決めた。
部屋に荷物を置いて、すぐに賃貸の部屋を斡旋してくれる業者を訪ねた。
帝都ジュピタルの中央通りに面している建物の二階にあり、私とフィオナにも愛想よく接してくれる。認識阻害の魔道具のおかげで、魔女だと忌避されずスムーズに話ができて助かった。
すぐに住めて薬草の知識があって店を開くから、店舗と住居が一緒になっている物件を希望だと告げる。
「そうですねえ……即入居できてお客さんの希望だと、家賃はちょっと高めですがこの通りから二本奥にあるこの部屋か、町外れにある一戸建てが希望に近いですよ」
そう言って二枚の見取り図を渡してきた。町外れの方が広いが、中心部から距離があり集客に不安があるが住むにはよさそうだ。
反対にここに近い部屋はメゾネットタイプで部屋は狭いが、立地がいいぶん集客は苦労しなさそうだと感じる。
映像水晶で部屋の中を見せてもらい、少しだけ考える時間をもらった。
「うーん、ここは立地がいいけど、治安が不安ね」
「そうなんですか? でも立地がいいならここにしませんか?」
「そうねえ……」
私ひとりならこのメゾネットタイプで問題ないのだが、フィオナのことがあるから悩む。近くに昔私が人攫いに捕まった廃ホテルがある。つまり柄のよくない奴らと出くわす可能性が高い。
今回は解呪の魔女としてというより、薬屋として独立しようと考えていた。これはフィオナのためでもあった。
フィオナは母の姿を元に戻したいと、密かに願っていたのだ。それもあって魔女になることを考えていたと、ふたりの時に聞いた。かわいい愛弟子の希望だから、なんとかしてやりたかった。
「まあ、ここが一番いいものね。皇城から近いのもポイント高いわよね」
フィオナが影移動できると言っても、まだ長距離の移動は難しい。薬草の仕入れもそうだけど、なにより母親とすぐに会える環境の方がメリットは大きいだろう
ミリアムをもとに戻せるとしたら、可能性があるのは魔女の秘薬だ。あらゆる病を治すレシピがあるけれど、それがすべてではない。まだまだ開発の余地があった。
幸いにも王宮の薬草園の伝手もあるし、材料には困らないだろう。フィオナの修行のためにも薬屋を営みながら、研究を続けるのが一番だと考えた。
ただ解呪の仕事も大切だから、こちらは裏メニューの完全予約制としてふたりで曜日を決めて対応することにするつもりだ。これで薬草の材料費も賄えるし、少しくらい根の張るものも使えるはずだ。
「すみません、この部屋の契約をしたいのだけど」
「はい、かしこまりました!」
こうして、私たちの新しい生活が始まろうとしていた。
私にとっては三度目の旅立ちだった。
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