第16話 変わらないもの


 影を使って声のもとに移動すると、小さな檻が目に入った。


 魔物を捕らえておくためのもので、鉄格子がぐるりと囲い中の様子は簡単に確認できる。


 その中に捕らえられていたのは、母親譲りの美しいエメラルドの艶髪を揺らす、幼いフィオナだった。

 膝を抱えてうずくまっている。


「フィオナ! 助けにきたわ」


 顔を上げたフィオナはビクリと震えた。ヘーゼルの瞳はジッと私を見つめていたけど、やがてなにかを思い出したように口を開いた。


「あ……ママのお友達の魔女さん?」

「そう、セシルよ。覚えていてくれて嬉しいわ。今すぐ出してあげるわね」

「セシル様、この鉄格子はフェンリル用の頑丈な檻のようです。鍵を探さないと開けられません」


 イリアスが悔しそうに進言してくれる。フェンリル程度の檻でなにを言っているのだ。

 怒れる魔女の力を舐めないでもらいたい。


「ふんっ、この程度、なんでもないわ」


 雪の結晶の闇魔法を放って、檻の鉄格子を一瞬で切り刻んだ。ガランガランッと激しい音を立てて、細切れになった金属の棒が転がっていく。


「……なんて規格外な」


 イリアスの独り言はスルーして、フィオナに手を伸ばした。檻の中にバケツが置かれていて、ずっと世話をされていないのか顔や洋服には埃や土がついたままだ。


「さあ、フィオナ。いらっしゃい、ママのところに帰りましょう」

「うんっ! 早くママに会いたい!」


 代償を支払ったミリアムを思い浮かべると心が痛むけれど、まずはフィオナを早く会わせたかった。でも、その前にひとつだけやるべきことがある。


「ねえ、その前にちょっとだけ、ここの人たちを懲らしめてもいいかな? フィオナのママを苦しめたから、実は私ものすごく怒ってるの」

「フィオナもママにひどいことした人は、ぜったいに許せない!」

「わかりました、後処理はすべて私に任せてください。帝国の人間の犯罪ならこちらの管轄ですから」


 イリアスは苦笑いしていたけど、お言葉に甘えることにした。

 そんな話をしていると、檻を破壊した音を聞いた犯人たちが、バタバタと足音を立ててやってきた。


「おい! なんだ、さっきの音は!?」

「な、なんだよ、お前らは!?」

「はっ!? なんで魔女がここにいるんだ!?」


 駆けつけた男たちは、驚いた様子で現状を把握するだけで精一杯のようだった。


「ねえ、あなたたちにこの子を捕らえるように命令したのは誰?」


 私はゆらりと立ち上がる魔力を抑えずに、男たちに問いかけた。


 フィオナをこんな檻に閉じ込めて、ろくに世話もせずに放置していた。それだけでもコイツらを吊し上げてやりたかった。


「そんなの答えるわけねええだろ!」


 そう言って、腰に刺していた長剣を抜いて私に切りかかってきた。


「そのガキも一緒に片付けてやる!」


 そのひと言に私はスーッと頭が冷えていく。人間は怒りすぎると感情が冷えるのだと初めて知った。


「質問に答えなさい。黒幕は誰なの?」


 私の気配の変化に気付いたのか、一瞬だけ男たちは躊躇した。それでもすぐに気を取り直して剣を振りかざす。


 私に振り下ろされた切っ先に向かって、闇魔法を放った。

 先ほどの鉄格子と同じように切り刻まれた長剣がバラバラと床に落ちる。カンッと音を立てた切っ先はもう鉄屑だ。


「ひっ!!」


 剣を切り刻まれた男たちは青ざめている。雪の結晶の闇魔法は、ひとつひとつは鋭利な刃物となって、男たちの薄皮を切り刻む。


「早く答えないと、次は大事なものを切り落とすわよ」


 そう言うと、男たちはそろって腰を引いて股間を押さえた。


 なにを勘違いしているのか知らないけど、私が言いたかったのは毛髪だ。


 みんな気にしていると思ったけど違ったのだろうか? まあ、想像以上に青白い顔をしているのでよしとしよう。


「まだ答える気はないの? それなら——」

「ま、待ってくれ! 言うから!! その代わり保護してくれ!!」

「証言が真実だという証拠はあるのか?」


 イリアスのいつもより数段冷めた声が男たちに突き刺さる。


「取引したところを映像で残してる。貴族相手だとオレたちみたいなのは、すぐ裏切られるからな」

「ふむ、よろしい。では拝見しよう」




 映像が残された水晶の魔道具を見ると、そこに映っていたのはゼイル伯爵家の次男であるコリアンだった。


 イリアスは大人しくなった男たちに端的に尋問して、ここは国境沿いの山小屋だと判明した。


 影移動で一度男たちも連れて皇城に戻り処分は任せて、フィオナに怪我などがないか診察してもらった。その間に、ミリアムを私の私室へ連れてきた。


 待っている間も何度もミリアムはお礼を言ってきた。節くれだった手で涙を拭いながら、笑顔を浮かべる。そこへ侍女が報告にやってきた。


「セシル様、フィオナ嬢の診察が終わりました。少し栄養失調気味ですが、おおむね問題ないとのことです。ただいま身を清めておりますので、準備が整いましたらお連れいたします」

「そう、よかったわ。なるべく早く連れてきてもらえるかしら?」

「承知いたしました」


 それから三十分ほどで、フィオナはやってきた。


「ママ!」


 弾けんばかりの笑顔で扉を開けて、早に飛び込んできたフィオナはキョロキョロと辺りを見回した。


「あれ? ママ? ママどこ?」


 ミリアムは娘が無事だった安堵と、気付いてもらえないことにショックだったのか石のように固まっていた。私は痛む心を隠して、理不尽な現実を告げる。


「フィオナ、ママはここにいるわ。でもね、ママもルールを破ったから、その責任を取ったの。もうママは魔女ではないわ。見た目も前とは違う。それでも、ママに会いたい?」

「うん、どんなママでも、わたしのママだもん」


 フィオナの言葉に目の奥が熱くなる。それはミリアムも同じだったようで、か細い声でフィオナの名を呼んだ。


「……フィオナ……」

「っ! ママ! あ……」


 フィオナの視線がミリアムを捕らえる。すっかり老婆の姿になってしまった母親の姿をジッと見つめていた。

 そして次の瞬間。一気に駆け出して、ミリアムに抱きついた。


「ママッ! 会いたかった、ママー!!」

「フィオナ……! こんな姿なのに、ママだと言ってくれるの?」


 ミリアムの震える手が、そっとフィオナの頬に触れる。


「うん、だってママの声だし、ママの匂いだもん。でもお顔も手も前とちがうけど大丈夫? どこか痛くない?」

「うん、うん……大丈夫だよ。フィオナが帰ってきてくれたから、もう大丈夫!」


 そうしてふたりは強く抱き合った。

 今まで離れていた分を埋めるように、涙に濡れた笑顔を浮かべていつまでも抱き合っていた。




 ふたりが落ち着くのを待って、侍女にお茶やお菓子を用意してもらった。

 テーブルには色とりどりの菓子が並べられ、フィオナが美味しそうに頬張っている。


 その姿に笑みを浮かべて、ミリアムにひとつ提案をした。


「ねえ、これからどうするか決めてる?」

「えっ、これからのことはまだなにも……親は私だけだし、フィオナのこともあるから早く決めたいのだけど……」


 ミリアムはもう魔女ではない。だから今までのように魔女の力を使ってお金を稼ぐことはできないのだ。


 彼女はひとりで娘を育てていたから、これからの収入をどう得ようか考えあぐねているのだろう。


 蓄えがあればある程度は凌げるだろうけど、フィオナが成人するのはまだまだ先の話だ。


「ミリアムがよければなんだけど、お給金を払うから私の薬草園を頼めないかしら?」

「え?」

「実はここの庭園の一角に薬草園があってね、そこで薬草を育てているの。ミリアムなら薬草の知識もあるし調合もできるし、フィオナと一緒に暮らす部屋も用意するからお願いできない?」

「でも……私は罪を犯したわ」


 魔女の掟を破ったミリアムはもう十分罰を受けている。魔女の力を封じられ、見た目もすっかり変わり果てた。


「ええ、そうね。でも罰はもう受けたでしょう。それでも気になるなら、ここで贖罪しながらフィオナを育てればいいわ」

「贖罪?」


 ミリアムがよくわからないといった顔で聞き返してきた。


「私が作った丸薬が思いのほか好評でね、製作が追いつかないの。配っているのはミリアムの呪いで被害を受けた人たちよ。だからちょうどいいと思うんだけど」


 私の言葉に、ミリアムは思案している。チラリとフィオナを見れば、次はどのお菓子を食べようか目をキラキラさせていた。

 やがて母親としての覚悟をにじませ私に視線を戻す。


「……私がここにいて、セシルの迷惑にならない?」

「ならないわ。文句言う奴がいたら黙らせるだけよ。私これでも解呪の魔女で皇后だから」

「ふっ……ふふっ。まるでアマリリスみたいなこと言うわね」

「私の師匠だから仕方ないでしょ」


 そう言ってふたりで笑い合う。

 リリス師匠は自由で厳しくてめちゃくちゃだったけど、いつも心は温かくて優しかった。そして自分の信念を貫く人だった。


「セシル……ありがとう。給金はいらないから、ここで働かせてほしいわ」

「そんなこと言うなら、給金は倍に増やすわよ?」

「ええ!? なんで倍になるのよ!?」


 私と同じ反応をするミリアムにお腹を抱えて笑った。

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