第11話 はい、あ〜ん♡
今日も朝から空は青く澄み渡り、まだほんのりと冷たい風が薬草たちを揺らしている。見た目は決して美しいとは言えないけど、その深緑の葉に含まれる効能は素晴らしいものだ。
私が丹念にお世話をしてきたのと、レイが手配してくれた庭師ノーマンの腕がよくてすくすくと薬草たちは育っていた。
「さすがノーマンね、私がひとりで育てるより薬草ちゃんたちが生き生きしてるわ」
「ははっ、そりゃぁ、皇后様が愛情込めて育ててらっしゃるからです。こんなに瑞々しく葉の厚い薬草はお目にかかれませんよ」
そう言って薬草の葉に触れるノーマンの手は優しく、その瞳には慈愛がにじんでいる。皇城に来てからひと月近く経ち、すっかり打ち解けて顔を合わせれば世間話をする仲になっていた。
「そうかしら? ひとり暮らしで動物も飼えなくて、薬でも作ろうと薬草を育ててるうちに愛着が湧いたのよね」
「へえ、ひとり暮らしされてたんですか。皇后様がなんでもご自身でこなされるのに納得です」
その時、野草園の奥の茂みがガサガサと大きく揺れた。ここは皇城の庭園だけど、度々なにかの小動物が顔を出すのだ。
「あら、またウサギか猫かしら?」
「……そうですね。どなたかのペットが紛れ込んでくるのですが、薬草園を荒らされては困りますから、結界の補強をしておきます」
「お願いできる? もう少しで収穫できそうだものね」
ノーマンは私の薬草たちへの愛を理解してくれる貴重な存在だから話も弾む。私が魔女でも態度を変えなかったし、皇后らしくしなくても笑って受け流してくれるから居心地がよかった。
「……随分と仲がいいようだな」
和気あいあいとノーマンと話しながら薬草たちに水撒きしていたら、背後から聞いたことがないようなレイの低い声が耳に届いた。振り返らなくてもわかるくらい、刺すような凍てつく視線を感じる。
「皇帝陛下! し、失礼いたしましたっ!!」
ノーマンは突然現れたレイに、真っ青になってその場に膝をついた。これでも皇后として認知されているから、気やすい態度はここだけにしてもらっていたのだ。
ちょっとノーマンと世間話してたくらいで、なんでこんな空気になってるの!? ていうか、なんで皇帝陛下がこんなところに来るのよ!?
「なによ、ずいぶん暇そうね」
レイの圧力に若干声が震えてしまったけど、別に悪いことなんてしてないから平然としたふりで答えた。
「……今日は予定していた謁見が延期になったから、時間ができたんだ。気配を探ったら庭にいるようだったから、ここまで来た」
「そう。で、なにか用なの?」
いや、時間があいたなら他のことしなさいよ。それに居場所がわかるからって、やたらと探らないでよ!
という言葉はなんとか飲み込んだ。これ以上刺激してノーマンに飛び火したら厄介だ。薬草愛を語れて理解してくれる仲間なんてそうそういない。
「セシルはなにをしていたんだ?」
「なにって、薬草の世話よ。愛情込めて育てると品質が上がるって、ノーマンから教わったから実践してるのよ」
「ほう、それなら笑顔で世間話する必要はないだろう?」
ちょっと悪魔皇帝の言っている意味がわからない。まさか世間話程度の会話すら私には許されないのだろうか? そんな項目は結婚誓約書にはなかったはずだ。それなら私はなにひとつ悪いことはしていない。
「え、世間話くらいいいでしょ?」
「違う。他の男に笑顔を向けるな」
なんですか、その嫉妬にまみれる男みたいな発言は。いくら仲良しアピールするにしてもやりすぎだ。対人関係を円満にするために笑顔は必須なのだ。
「なによそれ、そんなの無理でしょ!!」
「セシルに笑顔の花を咲かせるのは、俺の役目だ」
少しだけ深い海のような青い瞳を細めて、レイがキザったらしい言葉を吐いた。
もういいから。それ以上おかしなことを言わないでほしい。この結婚は契約結婚なのだから、気持ちなんて微塵もこもってないはずなんだから。
それなのに、そんなに熱のこもった視線を向けられたら、演技だって忘れてしまいたくなる。
「は? なに言ってんの?」
「セシルは俺から見たら美しい花のようなものだ」
「いやいや、そんな訳ないでしょ!」
だめだ、レイがとまらない。変な汗が吹き出して、逃げ出したいのにレイに見つめられて動けない。
「ああ、すまない。花では不足だったな。セシルは俺の女神だ」
「ひえっ……もう勘弁してよ……」
だめだ、レイの演技が上手すぎて思わずその気になってしまう。金髪碧眼の男は信用ならないのだ。惑わされてはいけない。
頬に集まる熱を手で仰いで冷ましながら、己に喝を入れて気持ちを無理やり話題を変えた。
「それより! 薬草が思いのほか早く育ったから、回復薬を作ってあげる」
「回復薬? セシルが、俺のために?」
「そうよ、文句言うなら他の人にあげるからね」
「いや、文句などない。そうか……では早く部屋に戻ろう」
すっかり凍てつく空気が霧散したレイは、私が摘んだ薬草の入ったカゴを持ってさっさと歩きはじめた。ノーマンを振り返ると、驚いた顔で私たちを見送っていた。
わかるわ、私もレイに振り回されてるもの。次に会ったときはレイの愚痴も聞いてもらえそうだと、薬草園を後にした。
魔女の作る薬は、一般的に売られている回復薬とは比べ物にならないくらい効果が高い。
それゆえ『魔女の秘薬』と呼ばれている。初代魔女の薬の知識が代々受け継がれていて、複数の薬草を組み合わせて作るのだが、そのレシピが二万パターン以上あった。
相手の状態をよく観察して、症状にあった配合を考える。レイの場合は過労と不眠による睡眠不足、それから過度のストレスで他にも不調が出ているようだった。
まずはこわばった身体をほぐすためのリラックス効果の薬草と、疲労回復に効果のある薬草、それから不眠に効果のある薬草を混ぜて丸薬を調合した。
「皇帝だから多少の無理が必要なのもわかるけど、無茶しすぎだわ。はい、これが薬よ。ありがたく飲みなさい」
「ああ、ありがとう」
意外と素直な反応に驚きつつも、丸薬を渡すために手を伸ばしてもレイに受け取る気配がない。
「ちょっと、手を出してよ」
「……実は薬が苦手なんだ。だが、セシルが手伝ってくれるなら飲めると思う」
ちょっとだけ恥ずかしそうに俯く姿に人間らしさを感じた。いつもの太々しい態度はなく、しょぼくれた犬みたいだ。ちょっとだけかわいいと思ってしまう。
「薬が苦手って……子供じゃないんだから」
「子供の頃に毒を盛られてよく解毒薬を飲んでたんだが、それがあまりに不味くてトラウマになってるんだ」
思ったよりヘビーな内容で返す言葉もない。
「確かに味はよくないわね。どうすればいいの?」
「俺は目を閉じて口を開けてるから、飲ませてほしい」
「わかったわ」
軽く了承してから、はたと気付いた。レイは素直に目を閉じて、口を開けて待っている。
これは、いわゆる恋人同士がよくやる『はい、あ〜ん♡』ってやつではないだろうか?
いやでも、幼い頃のトラウマって言ってたし、自分で飲めと突き放すのも非道な人間の気がする。微塵も甘い空気はないけど、気が付いてしまったら羞恥心が込み上げてきた。
「セシル、早くしてくれ」
レイがぎゅっと拳を握りしめるのを見て、私が恥ずかしがっている場合ではないと反省した。トラウマがあっても懸命に立ち向かおうとしている人に対して、躊躇した自分が情けない。
覚悟を決めて、レイの口へと丸薬を運んだ。そっと丸薬をレイの艶のある唇の奥へと置こうとしたところで、口が閉じられてしまった。
「ひゃあああっ!!」
指先に突然感じた柔らかい感触と、火照りそうな熱に驚いて奇声を上げる。いつの間にかレイの瞳は開かれていて、私をまっすぐに見つめていた。勢いよく手を引き抜いて、レイと距離をとる。
「ちょ、ちょ、手、食べっ! なんでっ!?」
言葉にならない感情は、みるみる私の顔を赤く染め上げた。
私の指がレイに食べられてパニック寸前だ。それなのに当の本人はなんでもないように水で丸薬を流し込み、ふうとひと息ついている。
「セシルが飲ませてくれる薬は、美味いな」
「ト、トラウマじゃなかったの!?」
「トラウマだ。だから褒美がないと飲む気にならん」
「褒美……? 今の流れのいったいなにが褒美?」
「それは、いろいろ……な」
レイの黒い笑顔に、また振り回されたのかとがっくりと肩を落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます