第10話 聖女の資質
邪魔な義姉を追い出してから三年。わたくしはディカルト帝国の聖女のひとりとして、そしてエル様の婚約者として過ごしてきた。
ところがある日、母と一緒に父の執務室に呼び出された。そこで告げられた内容に愕然とする。
「なんですって……? あの女が、皇后になったというの……!?」
「ああ、そのためにすでに貴族籍も戻してある。我々は正真正銘、皇后の親族だ。いいか、これからはその振る舞いにも細心の注意を払うんだぞ」
今の皇帝はニ年前にクーデターを起こしてその座についた、悪魔のように恐ろしい男だ。
でも歳若く端正な顔立ちは令嬢たちの間でも、聖女たちの間でも噂になっていた。
わたくしも聖女として謁見した時にエル様の存在を忘れてしまうほど整った顔立ちと覇気をまとった佇まいに、思わず見惚れてしまったくらいだ。
最近は顔に負った怪我が原因で仮面をつけているそうだけど、それこそわたくしの聖女の魔法で治せばなにも問題ないはずだ。
「ありえませんわ! マックイーン侯爵家の次女で、しかも聖女であるわたくしではなく、なぜ陛下は魔女の方を娶られたのですか!?」
「なぜと言っても、お前はエルベルト様の婚約者であろう?」
「そんなもの、陛下が望んでくださればどうにでもなりますわ! どう考えても陛下には魔女より聖女がお似合いでしょう!?」
エル様は公爵家の嫡男だけれど、わたくしが皇帝から望まれれば身を引くしかない。
いまだにわたくしを認めない公爵夫妻は、エル様と結婚させなかったことを後悔すればいいのよ。
「そうよ、あなた。あんな気味の悪い魔女よりも、聖女で愛らしいシャロンの方が皇后にはふさわしいわ」
「それは確かにそうなんだが……」
「もういいですわ! わたくしが直接陛下に謁見して、どういうことなのか聞いてまいりますわ!」
そうしてわたくしは勢いよく屋敷を飛び出して、侯爵家の馬車で皇城へと向かった。
その日のドレスは薄い水色のドレスで、わたくしの可憐さが引き立つお気に入りのものだ。
皇城に着いたわたくしは陛下に謁見するために、執務室へと向かって進んでいた。
魔女の赤い瞳と聖女の黄金の瞳はそれだけで特別な存在としての証になる。だからわたくしが皇城の奥へ進んでいっても誰も咎めない。
「聖女様、失礼ですがこの先へはどのようなご用件でいらっしゃったのですか?」
そんなわたくしに声をかけてきたのはブレイリー団長だった。近衞騎士を率いる団長で皇帝の腹心でもある。ちょうどよかった、この男に案内させよう。
「ブレイリー団長、ちょうどよかったわ。陛下にお会いしたいの。案内してくれるかしら?」
「……そのような謁見の予定は聞いておりませんが?」
「ええ、そんなものしていないわ。でもわたくしは聖女なのよ。問題ないでしょう?」
「確かに聖女様は特別なお方ですが、私の主人は皇帝陛下です。申し訳ありませんが、謁見申請者以外は通すなとのご命令ですのでお引き取り願いますか?」
「えっ、ちょっと……!」
「聖女様がお帰りだ。ご案内して差し上げろ」
ブレイリー団長はそう部下に指示を出して、その場から足速に去っていった。わたくしはなす術なく乗ってきた馬車の前まで連れていかれたのだった。
「シャロン様っ! どうか落ち着いてくださいませ!」
「はあ!? わたくしがわざわざ皇城まで出向いたのに、陛下と謁見できないなんて意味がわからないわ! 侍女のくせに聖女のわたくしに意見するんじゃないわよ!!」
屋敷に戻ってきたわたくしは荒れに荒れていた。
ムカつくことばかりで腹いせに侍女を思いっきり突き飛ばしてやると、よろけた侍女は壁に身体を打ちつけて床に倒れ込む。
「きゃあっ! も、申し訳ありません……」
いちいち大袈裟な反応だけど、情けない様子を見てほんの少しだけスッキリした。
「今後またわたくしに意見することがあったら、これくらいでは済ませないわよ」
「はい……申し訳ございませんでした……」
生意気な侍女は放っておいて、皇后にふさわしいのは誰なのかと思考を戻す。どう考えても呪いを操る魔女よりも、人々を癒す力のある聖女の方がふさわしいだろう。
「それにしても、あの女は魔女のくせにどうやって皇帝に取り入ったのかしら? 皇后にはわたくしのような聖女がふさわしいのに……!」
それにもうひとつ、ずっと進まないエル様との結婚の話も気になるところだ。
あの時の夜会でエル様とは身も心も繋がっていると宣言したのに、先方がなにかにつけて結婚式の日取りを決めたがらない。
エル様の母である公爵夫人とも、この三年でまだ数回しか会ってないのだ。
お姉様は週に二、三度は公爵家に呼ばれていたのに、この対応の違いに納得いかなかった。でも公爵夫人はきつい性格で、会うと疲れるから特に問題なかった。
「いつまで経ってもエル様との結婚式の日も決まらないし……まったく公爵家だかなんだか知らないけど、わたくしが聖女として嫁ぐんだから文句言わずに認めれないいのよ!」
わたくしが皇帝に求婚されて、その時にせいぜい後悔すればいいんだわ!
それからもわたくしは皇帝陛下に謁見するために、毎日皇城を訪れた。週に三回あるエル様との逢瀬の日以外は、毎日午後一番で皇城へ足を運んだ。
だけど執務室や謁見室に向かう途中で、必ず側近の誰かに捕まって追い返されてしまう。いくらわたくしが聖女でも力技で追い返されたら抗えなかった。
「もう、なんなのよ! この聖女であるわたくしが直接出向いているのに、いまだに謁見できないなんて!」
今日もイリアス宰相に追い返されて、イライラしながら屋敷に戻ってきたところで義兄に会ってしまった。あの女の兄だけあって、いつも暗く覇気がない。
「まあ、お兄様。相変わらず辛気臭い顔してるわね。用がないなら自室から出てこないでよ」
「……これから仕事だ」
「あ、そ。せいぜいわたくしのドレス代くらいは稼いできなさいよ!」
「…………」
「あー、もう! いっつも暗くてなにを考えているのか、わからないんだから!」
無言で出ていく義兄にさらにイラつきながら侍女にお茶を淹れされる。ところが本当に使えない侍女でわたくしの飲みたいお茶ではなかった。
「ちょっと! わたくしが飲みたいお茶はこれじゃないわ! 淹れ直しなさいっ!」
「ひっ! 申し訳ございません! すぐに淹れ直します!」
侍女に当たり散らしてなんとか気持ちを落ち着けていた。それから十日後、わたくしとお父様は皇城に呼び出された。
「ふふっ、やっと陛下がわたくしに会う気になったのね!」
「ああ、セシルではなくシャロンを皇后にしたらどうかと陛下に提案したからな。やっと話を聞いてくださるのだろう」
「これであの魔女を引きずり下ろせるわ……!」
何度もわたくしを追い返していたブレイリー団長に先導されて、謁見室に通される。
深紅の絨毯の上を淑女らしい振る舞いで進んでいった。
「聖女シャロン・マックイーンでございます」
「ふむ、マックイーン侯爵とその次女、聖女シャロンだな」
「はい、相違ございません」
わたくしは陛下から求婚される未来を想像して、心が浮き足立っていた。それをすました顔で覆い隠す。
求婚されたら、まずは皇城に移り住んで、魔女を追い出してやるわ。それからわたくしの話をよく聞く侍女を集めるのよ。
そんな未来の展望を描いていた。
「実はマックイーン嬢の聖女の資質に問題ありと教会から報告が上がっている。今日はその検査のために登城してもらった」
「……それは、どういうことでしょうか?」
なのに告げられた言葉はまったく意味のわからないものだった。
聖女の資質? そんなの聖属性の魔法が使えるのだから問題ないでしょう!? しかも不正ってどういうことなの?
チラリとお父様を見ると、顔色が悪い。なにか心当たりがあるのだろうか?
「どうやら教会の関係者が不正を働いていた証拠が出てきた。正しい力量を測るためにこの場で再鑑定している」
「わっ、私はなにもしておりませんっ!!」
お父様は焦ったように否定する。
やっぱりそうよね、わたくしたちはなにも悪いことなんてしてないのよ。あらぬ疑いをかけられて、顔色が悪かったのだわ。
「不正を働いたのは教会の人間だ。再度聖女の力を調査して正確に把握したい。協力してくれるな?」
「かしこまりました」
お父様がなにも言わないので、わたくしが答えて促されるまま用意された調査用の水晶の前に立った。
「ジョルジュ」
名前を呼ばれて前に出たのは、執政長官のショルジュ様だ。水色の髪が涼しげで、いつも紳士的な対応に聖女たちの間では密かに人気がある。
「それではマックイーン嬢、こちらの水晶に触れてもらえますか? 魔力を流して光が強いほど、聖女様の力が強い証になります」
「わかったわ」
水晶に手をのせてつつがなく魔力を流し込むと、淡い光を放って幻想的な光景が目の前に広がった。
「ふむ、なるほど。陛下、マックイーン嬢はレベルAでございます」
「あのレベルとはどのような意味ですの?」
初めて聞くレベルという言葉に戸惑って、思わず尋ねてしまった。今までは教会の神官が水晶を見て聖女かどうか決定していただけだったのだ。
渋い顔をしていた補佐官が笑顔を浮かべて説明してくれた。
「レベルとは、わかりやすいように聖女様の力を数値化したものです。マックイーン嬢に聖女の力があるのは間違いございません」
「そうか。ではこの結果をもとに調査を進める。もう下がってよい。ご苦労であった」
「では、よろしくお願いしますわ」
呼ばれた要件はよくわからなかったけど、念願も叶って皇帝陛下にお会いして会話もできた。
これでわたくしの顔も名前も覚えてもらえたに違いない。わたくしはこれから来るであろう、皇帝陛下からの呼び出しに心弾ませていた。
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