第8話 きっともう離せない
俺がディカルト帝国の悪魔皇帝、レイヴァン・オブ・ディカルトと呼ばれているのは知っていた。
そう呼ばれるきっかけになったのは、実の父親でもある前皇帝をはじめ直系皇族の首をすべて
俺が皇帝に即位したことを気に入らない貴族や、前皇帝を支持していた旧派の貴族たちが言い始めたのがきっかけだ。
前皇帝は支配力があったが、国を支える民の生活にはまるで興味がなかった。だから民から搾取するのが当然だと思っていたし、皇族のために尽くすのが民の義務だとすら思っていた。
さらに第五妃の子だった俺は子爵令嬢だった母ともども離宮に隔離され冷遇されていた。
それでも皇族として民を守るのが俺の役目だと、命令されるまま辺境の魔物討伐をこなしていた。
そんな生活だったから剣や魔法の腕はメキメキと伸びて、いつの間にか帝国最強の騎士になっていた。魔物討伐のついでに助けた村人や街人、それから一部の騎士たちが俺を慕って部下になり支えてくれた。
そんなある日、俺は運命の女神に出会った。
二年前のことだ。当時の俺は魔物討伐の命令を受けて、国境沿いの街へやってきていた。すでに街の中にまで魔物が入り込んでいて混戦状態だった。
この状況を打破しないと魔物によって街が消えてしまうのに、その時の俺に状況を打破するほどの力がなかった。そこで街を守るために呪われた武器を使ったが、代償として魔力を根こそぎ吸われて死にそうになっていた。
『解呪の魔女様、お願いしますっ! 我らにとって大切なお方なんです! どうか、どうか助けてください!!』
ブレイリーが必死に探して連れてきたのは、最近よく噂を耳にする解呪の魔女だった。イリアスが何度も何度も頭を下げている。
朦朧とする意識の中でこんな必死なイリアスは貴重だなんて考えていた。つまりそれほど切迫した状況ということだ。
俺についてきてくれた部下たちには悪いが、ここまでなのかもしれないと覚悟を決めた。
『わかったから静かにして。集中できないわ』
声の方へ視線を向けると、そこには確かに魔女がいた。
漆黒の艶髪はサラサラと風になびき、真紅の瞳はなにかを追いかけるように睨みつけている。透き通るような白い肌が日の光を受けて彼女自身が輝いているようだった。
俺に目には、彼女がまるで女神のように映っていた。
もっと見ていたかったのに視界が暗くなっていって、俺は闇に閉ざされた。右手には俺の魔力をまだ吸い上げようとしている魔剣がピッタリと張りついている。俺が死ぬまで離れないんだろうと思っていた。
ところが急に重苦しい空気が薄れて穏やかな魔力の波動を感じた。力の入らない右手から魔剣が床の上に落ちて、ガシャンッという金属音をたてる。重みを感じなくなった右の手のひらが空気に触れた。
……? なん、だ? 魔剣が離れた……俺は生きてるのか?
クラクラする頭を右に向けると、黒いローブを羽織った彼女が背を向けて出ていくところだった。
瞳を閉じれば鮮明に浮かび上がる、彼女の真剣な眼差し。魔女の証と言われる真紅の瞳は宝石みたいに綺麗だった。
世間で魔女は忌避されている——だが、それがどうした?
俺の命を助けてくれたのは解呪の魔女だ。彼女の温かく柔らかな魔力の波動は心地よく、なにものにも変え難い。
俺にとって彼女は女神だ。
どうやったら彼女を手に入れられる?
どうやったら彼女は俺だけを見てくれる?
闇の中へ落ちていく意識の中でそれだけを考えていた。
それから体調が戻るのを待って帰還し、皇帝に報告を終えた時だ。
『報告は以上でございます。それでは——』
『ご苦労であった。ああ、それから、お前の母親が五日前に息を引き取った。こちらで処理しておいたが、離宮はそのまま残してやるから好きに使え』
一瞬、なにを言われているのか理解できなかった。
母上が息を引き取っただって? 俺が出立するのを心配そうに見送ってくれたんだぞ? 無事に戻ってほしいと、願っていた。その母上がもういない?
『なんだ? 話は終わりだ。下がれ』
俺はなにも言えずに皇帝の間を去った。
そして今聞いたことが真実なのか確かめるために、駆け足で離宮に向かった。
『母上っ!』
いつもなら無事に帰った俺を笑顔で迎えてくれていた。
その母は離宮のどこを探してもいなかった。返事もなにも返ってこない、その静寂が皇帝の言葉は真実だと肯定する。
『そんな……どうして……』
やっと母上に紹介したい女性に出会ったと話をするつもりだった。俺はただひとりの女性を愛して大切にすると、宣言しようと思っていた。溢れる涙をふきもせず呆然としていた。
二週間前に見送ってもらったのが最後だなんて、信じられなかった。
なにかあったのだと調査してみれば、母上は毒殺されていた。犯人は皇后だ。理由は俺を離宮に戻らせず魔物討伐に狩り出したかったからだ。母上がいるから戻ってくるのであれば、戻る理由をなくせばいいと手にかけたのだ。
ここまで調べるのに半年もかかったが、それだけわかれば十分だ。
自分達の欲のために民に圧政を強いて、使えるものは駒のように使い、用が済めば簡単に切り捨てる。
俺は家族を失って初めて気が付いた。大切なものを守るためには、あらゆる力が必要だと。
だから俺は立ち上がった。
俺を慕ってくれる部下を、必死に生き抜く民を、そしてずっと想い続けている彼女を守るために。
たとえ悪魔と呼ばれようが、俺は皇族の殲滅を決意した。
それからさらに一年かけて準備を整え、目的を果たした俺は皇帝に即位した。すぐに彼女を妻に迎えるため諜報機関をフル活用して、解呪の魔女を捜し出したのだった。
『陛下、ようやく解呪の魔女の調査が終わりました。こちらが報告書です』
『本当か!? セシル……セシル・マックイーンが彼女の名か。ああ、マックイーン侯爵家の者だな。ならば妻にするのは問題ないだろう』
『はい。現在は除籍されておりますが、この件はすぐに対応いたします』
『イリアス、頼む。俺はこのままセシル嬢を迎えにいく』
もともと侯爵家の令嬢だったのが、今は解呪の魔女として隣国にいると報告には書かれていた。事の成り行きも詳細が載っていて、どうやってクズどもを処分するか策を練る。
そうして、さっそく迎えにいこうとした時だ。
『待ちなさい。あの子をどうするつもりなの?』
突然、背後の影の中から別の魔女が現れた。
『……その赤髪は、アマリリスの魔女か』
『質問に答えなさいよ。最近あの子を探っている連中がいるからどういうことかと思ったけど、あなたどういうつもりなの?』
俺を睨みつけるように鋭い視線を向けてくる。アマリリスの魔女とセシルが一緒に消えたと報告書にあったから、なんらかの形で関わっていたんだろう。しかもこの物言いだとセシルに随分肩入れしているようだ。
ならば、味方につけたほうが得策か?
『俺の妻にする。それだけだ』
『はっ! バカ言わないでくれる?』
『いや、いたって真剣だ。俺にはセシルしかいない』
『…………』
渋い顔でなにやら考え込んでいる。一緒にいたイリアスも警戒していたが、話の流れが見えなくて困惑しているようだ。
『じゃぁ、この仮面をつけて。真実の愛で触れてもらわないと外れない呪いの仮面よ』
『なっ……、貴様、陛下がこのようなものをつけられる訳がないだろう!』
『っ! まさかとは思うが……』
イリアスが食いついたが、仮面を見て俺はあることに気が付いた。
『これを作ったのはセシルだな?』
『はあ!? なんで見ただけでわかるのよ!?』
『セシルの魔力の波動ならわかる。間違いない』
『……魔女の私でも魔力の波動なんてわかんないわよ』
『俺だってわかるのはセシルの魔力だけだ』
『『…………』』
なぜか、ふたり仲良く無言になった。なにかおかしなことを言ったか? まあ、いい。おかげで確実にセシルと結婚できる策を思いついた。この仮面があれば間違いなくセシルを妻にできる。
俺の頭の中では、すでに純白のウエディングドレスを着たセシルが優しく微笑んでいた。
『あっ! 陛下、待っ——』
イリアスの静止を振り切り、呪いの仮面をつける。ぴたりと張りついて、まるで俺の顔の一部になったようなフィット感だ。セシルの仕事ぶりに感嘆する。さすが俺のセシルだ。
『あなた……本当にセシルを想っているのね。ふふ、それならいいわ』
『おかげで確実にセシルを手に入れられる。感謝する』
『でも、もしセシルを悲しませるようなことをするなら……その時は私があなたを呪うわ』
それだけ言い残して、アマリリスの魔女はまた影の中へと消えていった。
『イリアス、作戦変更だ。ブレイリーを呼んでくれ』
『承知いたしました。それと、陛下の仮面についても協議が必要です。そちらも手配します』
『頼んだ』
隣で眠る愛しい妻を眺めながら、セシルに会ってからのことを思い出していた。再会した時は興奮を抑えようと、低すぎる声になってしまった。セシルを怯えさせてしまって反省している。
やっと俺の妻にできた。ずっとずっとセシルだけを想ってきた。
自分がこんなに誰かに執着するとは思っていなかったけど、身の内で暴れる感情はどうにもできない。
バリケードのように積まれた枕を払いのけ、そっと漆黒の艶髪をすくい上げ口づける。
これから先、たとえセシルが俺を愛してくれなくてもかまわない。
でも、ごめん。
きっともう——君を離せない。
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