第7話 正しい初夜の過ごし方
悪魔皇帝が私の夫になった。
なんとか交渉して一年の猶予をもらい、後継者を産む役目は保留して解呪の魔女としてに役目を果たす。ここまではいい。
「それなのに、なんで初夜だからってこんなの着なくちゃいけないのよっ!!」
婚姻誓約書にサインしたあと皇后様の部屋まで案内すると言われ、やたら豪華な部屋に通された。侍女たちに言われるがままゆっくりと湯につかって、全身を磨かれた頃にはもう月が煌々と輝いていた。
お腹がすいたと言えばサッと食事が用意され、至れり尽くせりの環境に流されたのは確かに私だ。
でもまさか初夜だからって、ヒラッヒラでスケッスケのいかにもな夜着が用意されているなんて予想してなかった。いや、侍女たちはいい仕事をしている。
貴族の初夜とはこういうものだと私が失念していた。しかも着ていた服を返してほしいといっても洗濯中だと言われたら「ありがとう」と返すしかできなかった。
そもそも今回の話はあの場にいた五人の高官と騎士団長のブレイリー、宰相のイリアスと夫であるレイヴァン皇帝しか知らない話だ。他の貴族や周辺国、帝国の民には周知だけして、皇帝の顔の傷が癒えたら執り行うと伝えている。
皇帝が呪われた仮面をつけていることすらトップシークレットで、周りには怪我をしてひどい傷跡が残ったために仮面をつけて隠していることにしているそうだ。
口外しないことも婚姻誓約書に盛り込まれていたから甘んじてこの状況を受け入れているけど、上から羽織るのがこれまたペラッペラのテカッテカしたガウンしかないのだから心許ない。
皇帝夫婦のための寝室に押し込まれて、世話をしてくれた侍女たちは準備が整ったら下がってしまった。ひとりソワソワしていると小気味いいノックの音が室内に響く。
「セシル、俺だ。入っていいか?」
ついに悪魔皇帝がやってきてしまった。解呪に専念する一年間は仲のいい夫婦であると見せることも魔法契約の内容にあったので、初夜に追い返すこともできない。
出迎えるしかない……この格好でだ。なんの嫌がらせだ。ああ、私が仮面を作ったからその腹いせか。
深いため息をついて、扉をそっと開いた。
「へえ、熱烈な歓迎だな」
私の格好を見てニヤリと笑う悪魔皇帝にイラッとしつつ、部屋に入ってくる元凶に悪態をつく。
「好きでこんな格好してないわ。せめて荷物くらい取りに帰らせてよ」
「それは構わないが、皇后としてふさわしい格好をしてもらう必要がある。解呪の魔女はそのような衣装を持っているのか?」
「…………ないわ! 持ってるわけないじゃない!」
悪魔皇帝は蔑んだ言い方でもなかったし、単純に疑問で返されただけなんだけど私が面白くなくて噛みついてしまう。それなのにまったく気にした様子もなく、ベッドに腰を下ろした。
「ではこちらで用意しておいた物をしばらくは着てくれ。明日にでも業者を手配するから、好みのものを選ぶといい」
「え、用意してあるならいらないわ。どうせ一年しかいないし」
「そうか。ではさっそく解呪するか?」
「もちろん望むところよ」
私もベッドの上に乗り上げ、悪魔皇帝の隣に膝立ちする。無駄のない動きで悪魔皇帝が私の方に体を向けると青い海のような瞳と視線が絡んだ。
禍々しい仮面の中で、そこだけは凛とした清浄な空気をまとっている。まるで穏やかな海のようなサファイアブルーの虹彩に惹き込まれるように見入ってしまった。
「なにかわかったか?」
悪魔皇帝の言葉にハッと我に帰る。
いけない、思わず見入ってしまったわ! 決して見惚れていたわけじゃないのよ! そもそもこの悪魔皇帝だってくすんだ金髪で碧眼だから信用しちゃダメなタイプだし!
私の人生において金髪碧眼男は鬼門だった。関わると本当にいいことがない。一年といわずさっさと解呪して自由になろうと決意を固めた。
「待って、触ってみてもいい? 自分で作ったものだけど、他の人も触れてるから前とは違うみたいなの」
「ダメだ、もし目の前でのたうち回っても俺では介抱できない」
「大丈夫よ、邪念がなければ痛くならないから」
そっと指先を仮面へ伸ばす。あの時ヤケで込めた怨念がこんな形で私の元に戻ってくるとは思わなかった。しかも私が作った唯一の呪いのアイテムなのに、なんて数奇な運命なんだろう。
【
見た目は多分作った時と変わらない。ツーっと指で仮面をなぞる。装飾の金属の冷たくて硬い感触が返ってきた。
でも、どうやったのか呪いが強化されていて、ちょっとやそっとじゃ解呪できそうにない。
「……非常に残念なお知らせだけど、すぐに解呪するのは難しいわね」
「そうか、仕方ないな。どの魔女に見せても無理だと匙を投げられたんだ」
「うーん……ここまで拗れてたらそうなるわね」
そういいつつも呪いに触れて、解呪の方法を読み取っていく。私が設定した『真実の愛を受け取らなければ解呪できない』というのは有効だ。ただ、それ以外の方法となると糸が何重にも絡まって、さらに玉結びになってどこから
ふと視線を感じて悪魔皇帝の瞳を見れば、驚いたようにじっと見つめられていた。
「魔女には呪いが効かないのか?」
視線が合うと悪魔皇帝は不思議そうに尋ねてきた。
「そんなことないわよ。師匠なんかしょっちゅう呪いにかかってたし」
「この仮面の製作者だからか?」
「それもないと思うわ。そんな器用な呪いなんてかけてないもの」
「ならば、セシルには邪心がないということか?」
「そうね、少なくとも皇后の身分にも贅沢な暮らしにも微塵も興味ないわね」
ついでに悪魔皇帝にも興味はないと言いたかったが、飲み込んだ。ここでの暮らしはこの男にかかっているのだ。迂闊なこと言って機嫌を損ねるのは得策ではない。
「……なるほど、魔女ともなれば皇族すらどうでもいいのか」
「魔女にそういう人は多いと思うけど、私は特に貴族や王族なんてなりたくないわ」
ほんの少しだけ本心をこぼした。
市井で暮らし始めて感じたのは、なにもかも自分で決めて生きていく自己責任と自由があった。贅沢をしたければガンガン働けばいいし、ほどほどでいいならのんびり仕事をこなす。
なんのしがらみもない暮らしがこんなに快適だとは思わなかった。私は心から自由だったしそれを手放すつもりもない。
「だが、俺に触れてものたうち回らない女は貴重だな」
獲物に狙いを定めたような妖しい視線に、ゾクリと悪寒が駆け上がる。
「や、約束はちゃんと守ってよ! 解呪したら私は自由になるんでしょう!?」
「ああ、もちろんだ。その前に俺の子を産むならそれでもいいが。今日はなんと言っても初夜だしな?」
「産まないわよっ! なにがなんでも解呪してやるんだからっ!!」
「くくっ、まあ、頑張ってくれ」
上から目線の言葉が腹たつわ〜! 魔女に対してこんな太々しい態度の人間なんて初めてよっ!!
しかも仮面をつけてても顔立ちの良さがわかるなんて、さらに腹たつわ〜〜!! 金髪イケメンなんて私の敵も同然なんだからね!?
「ていうか、なんで悪魔皇帝様がこんな仮面つけてるのよ?」
「悪魔皇帝か……そう呼ばれてるのは知ってるが、セシルには口にしてほしくないな」
ほんの少しだけ悲しげに目を伏せた悪魔皇帝に私の良心がチクリと痛む。思わずポロッと出てしまったけど失言だった。でも素直に謝るのもなんだか癪で、尖った返事をしてしまう。
「じゃぁ、レイヴァン皇帝陛下? ただの陛下? どっち?」
「レイ。レイと呼んでくれ」
「はああああ!? それって愛称じゃないのよ!」
「愛し合っている夫婦ならそう呼ぶだろう?」
ニヤリと笑う悪魔皇帝の顔には『仲のいい夫婦のフリをする約束だが?』と書かれている。ついさっき痛んだ私の良心を返してほしい。
「わかったわよ、レイ。で? なんで呪いの仮面をつけてるの?」
「ああ、これな。ある目的があったんだ」
「目的……?」
「俺はどうしても手に入れたいものがあって、この呪いの仮面をつけたんだ。そうしたら都合のいいことに、羽虫の如く寄ってくる邪心まみれの女どもまで撃退できた」
「呪いの仮面をめちゃくちゃ有効活用してるじゃない」
「そうか? まあ、反対勢力の令嬢を妻にすることができなくて助かった部分はあるな」
ねえ、それってむしろ狙って呪いの仮面を付けたんじゃないの!? だとしたら私に責任ないよね!?
「いつかは取れると思っていたんだが、思いの外俺に寄ってくる女は邪心まみれのようで、いまだにこのままだ」
「ああ、ちょっとの邪心も許さないようにしたから」
「だから責任とって俺の子を産め。初めてなら優しくするぞ?」
「一年はそういうことをしませんっ! いい? 私たちの正しい初夜の過ごし方はこうよっ!!」
私はふかふかの枕たちをベッドの真ん中に並べて境界線を作った。それはもうこんもりと、いい感じの壁に仕上がっている。
「今日の解呪はおしまいです! ここからこっちには絶対に寝返りを打たないで! わかった!?」
「お前……くくくっ、心配するな。いくら女が寄ってこなくても、その気のない女を抱いたりしない。からかっただけだ」
「はあ!?」
「楽しませてもらった。では俺はもう休むとしよう」
そう言ってさっさと横になって背を向けた。
は、腹たつわ〜〜!! 絶対に即行で解呪してやるんだからっ!!
そうして怒涛の一日が終わったのだった。
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