第5話 ヤケで作った呪いの仮面


 なぜ、あの仮面がここにあるのか。

 しかも悪魔皇帝の顔面に張りついているのか、まったく意味がわからない。

 現実逃避したい私の脳裏を、過去の記憶が走り抜ける。あれは魔女の修行を始めて半年後のことだった。




『リリス師匠、どうしても呪いの付与が上手くできません!!』


 半泣きでリリス師匠の仕事部屋にある机に突っ伏した。


『あら、困ったわね。うーん、そうねえ……コツとしては自分の中の怨念をぶつけるような感じなのよね。だからそういう感情がないと難しいかもしれないわ』

『怨念……』


 困ったことに今の暮らしが快適すぎて負の感情が湧いてこない。なんてことだろう、魔女は平和すぎてもダメらしい。


『あ、過去の怨念でも大丈夫ですか?』

『全然オッケーよ! でもセシルにそんなのあるの?』

『ええ、あまりに平和すぎて忘れそうになってましたが、心当たりならひとつあります』

『それなら思いっきりその怨念をぶつけてみて! セシルなら絶対にできるから!』


 私は過去の記憶を振り返る。

 怨念と呼べるものがあるなら、おそらく侯爵家で過ごした日々だ。散々いない者として扱われ無視されてきた。


 あの悲しみや寂しさや無力感をぶつければできるかもしれない。

 目の前にあるのは鼻から上を覆うタイプのハーフマスクだ。所々ひび割れのような模様があり、ツタのような装飾が施されている。ハーフマスクに手をかざし、魔女の力を使った。


呪眼カース・アイ


 これが洗礼を受けて開花した魔女の力で、呪いをする能力だ。呪いは黒い霧状で視えれば扱うのはそう難しくない。私の手を覆っている黒い霧をハーフマスクに丁寧に塗りつけていく。


『っ! できました! 師匠、どうですか!?』

『わあ! さすが私のセシルだわっ! どんな感じかしら〜?』


 じっくりと呪いを吟味する師匠の鋭い眼はプロのものだ。


『……成功なんだけど……なんていうか、効果が……ショボくて』

『え? ダメですか?』

『いや、だって一番好きな食べ物が青色に見える呪いってなに!? 目をつぶって食べたらほぼノーダメージじゃない!』

『ええ! でも青色は食欲を無くすんですよ!? 食事は目でも楽しむからつらくないですか!?』

『ダメよ、却下。魔女のプライドにかけて認められないわ。やり直し!』

『……はい』


 そう、私は呪いをかけるのが驚くほど下手くそだったのだ。

 そのあと何度もやり直したけど、一向に認めてもらえなかった。


『はああ……呪いをかけるのがこんなに難しいなんて、盲点だったわ……侯爵家だけじゃ怨念が足りないのかなあ……』


 そこで浮かんだのは生々しい傷跡ごと心の奥深くに沈めた、もうひとつの残酷な現実だ。正面から受け止める勇気がなくてずっと目を逸らしてきた。


『あー、もう、いいや! 何回やってもダメなんだから、ぶっ込んでみるしかないじゃない!』


 あまりにできなくて、ヤケになって婚約破棄された時の怨念も込めてみた。


 私に愛を囁いていたのに信じてくれなかった元婚約者に対する悲しみと憤り、キラキラと輝く義妹は最後の希望だった婚約者を卑怯な手を使って私から奪い取った。後から知ったけど子供ができたというのは、私に諦めさせるための嘘だった。

 そして、それを認めた上で私を突き放した父親、見て見ぬ振りした兄。私を嘲笑うだけの貴族たち。


呪眼カース・アイ


 全部全部、渦を巻くようなドス黒い怨念をありったけマスクに込める。


 偽物の愛を囁くなら、そんな愛など壊れてしまえばいい。

 この仮面をつけたものは、真実の愛に触れないと解呪できない。そんな呪いにしよう。

 邪念があるものは指一本すら触れられない、触れた場合はのたうち回るほどの激痛を与えよう。

 そうして滅んでいけばいい。偽りの愛なんてもういらない。


 魂の叫びとも言える怨念をハーフマスクに込めた。時間を忘れて込め続けた怨念はしっかりと呪いになって定着している。


『で……できたー!!』


 これは、やったのではないだろうか?

 今まで付与してきたどの呪いよりも禍々しく、いい感じのオーラが出てる。私はリリス師匠に認めてもらうべく大急ぎでその仮面を見せにいった。


『リリス師匠! これ! これを見てください!!』

『ん〜? どれ? えっ……これはっ!』


 呪いの仮面を見せたところ、リリス師匠の顔色が変わった。真剣な眼差しで呪いを吟味している。


『セシル……いいわ、いいわよ! 真実の愛に触れないと解けない呪いなんて魔女らしくて最高だわ! 合格よ!』

『本当ですか!? よかったー! これでダメならもう無理だと思ってました……』


 自分の中にあった黒い感情をすべて込めたので、もう絞り出しそうとしてもカスすら出てこない。呪いにして放出したせいか、本当に心の中から怨みつらみがキレイに消え去っていた。きっとここで暮らしてるうちは、あんな感情はもう生まれないだろう。


『じゃぁ、この仮面は責任持って私が保管しておくわねっ!』

『はい、お願いします』


 よく考えもせずに師匠に任せれば安心だと返事をした。後にこの決断が私の人生を大きく変えるなんて思ってもみなかった——




「——おい、聞いてるか?」


 たっぷりと過去を回想してみてもこの状況が変わることはなく、悪魔皇帝の声で目の前の現実に意識を戻した。


「えっ! あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてたわ」

「……お前が解呪の魔女だな?」


 悪魔皇帝の地の底を這うような声に「ヒッ」っと叫びそうになるのを堪えた。

 怒っていらっしゃる。悪魔皇帝が腹の底から怒っていらっしゃる。仮面から覗く海のような青い瞳が、私を射殺さんばかりに睨みつけている。聞くまでもなく、私が作った呪いの仮面のせいだ。


 でも魔女は身分に縛られない特殊な存在だ。だから皇帝が相手だとしても堂々としていればいい。

 そのはずなのに、悪魔皇帝の威圧が凄くて若干足が震えている。


「そ、そうだけど。その仮面の呪いを解いてほしいの?」

「理解が早くて助かる。できるか?」


 ええ、製作者は私ですから。

 でもそのおかげで威圧的な空気はなくなり、少し息がしやすくなった。

 

「その仮面の呪いは真実の愛に触れれば解けるものよ。皇帝ならそんな相手すぐ見つけられるでしょう?」

「いや……俺に触れた途端に痛みでのたうち回って、全員逃げ出した」

「え、嘘。まさか、ひとりくらいはいたでしょう?」


 確かに義妹のような邪念のあるものは近づけないようにと怨念を込めたけれど。ひとりくらいは皇帝を心から愛する人がいなかったの?


「全滅だ。だからどうにもならず解呪の魔女にきてもらった」

「あー、そう。それはなんていうか……残念ね。邪念を持っていると触れられない呪いだから……」

「だからこそ製作者である解呪の魔女を呼んだのだ」

「え? 私が作ったなんて、ひとことも言ってないわよ」

「この呪いの仮面を作ったのが解呪の魔女だということは調べがついている」


 せっかく和らいだ空気が一瞬で張り詰める。

 なんということだろう、私が作った呪いの仮面だとバレていた。悪魔皇帝の視線が深々と突き刺さって心が痛い。

 許してもらえるかわからないけど、素直に謝っておこう。


「ご、ごめんなさい……」

「ほう、悪いとは思っているんだな」


 ギラリと海色の瞳が光る。どう転んでも嫌な予感しかしない。

 ニヤリと笑った顔がこんなに恐ろしいなんて、さすが悪魔皇帝だと心の中で呟いた。

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