第3話 解呪の魔女


 会場から出ると、目の前には兄と乗ってきた馬車がすでに待機していた。


 手回しがよすぎて、すべて計画されていたんだと理解する。

 それなのに浮かれて準備していた私は本当に馬鹿みたいだった。


 馬車に乗り込むと座席の上に見覚えのない布袋が置かれていて、その上には私宛の手紙が置かれている。手紙は兄からで力になれなくてすまないという謝罪と、当面は袋に入っている金貨を使えと書かれていた。


 私を見捨てた人から金貨を受け取りたくなくて、布袋はそのまま兄の私室へ置いてきた。それから年に数回ほど領地でこなしていた、魔物討伐の資料を小さなテーブルの上に用意する。

 危険な仕事は闇魔法が使える私の役目だったから、領地の民が困らないようにしたかった。


 どうか資料を見てもらえますようにと祈り、わずかながら貯めてきた金貨と小さな鞄をひとつだけ抱える。

 そうして、たったひとりマックイーン侯爵家を後にした。




 だけど私のような若い女がひとりで夜街を歩く危険を、まったく理解していなかった。


「おー、ボス! うまく釣れたなあ! ガハハハハッ!」

「おお! 今回は上玉だな。いくらで売れっかなあ」

「ウヒャー! なあ、ボス! 味見してもいいか!?」

「ああ? 商品価値が落ちんだろ、バーカ! どこに売るか決まるまで触んなよ!!」

「ちぇー、ベッピンなのになあ、つまんねえの」


 世間知らずな私はあっさりと騙されて、人身売買の組織に捕まっていた。


 市井に下りてからわずか一時間ほどで、なけなしの金貨はスリに取られ無一文になり、そこで助けてやるという甘い言葉にホイホイついていったら、部屋に連れ込まれそうになって荷物を置いて逃げてきた。


 逃げた先で街の破落戸ごろつきに絡まれて、助けてくれた青年は私の救世主に見えた。サラサラの金髪にスカイブルーの瞳で爽やかな好青年だった。

 すっかり信用してついてきたら、組織の拠点である廃業したホテルに連れてこられたのだ。さっき絡まれた破落戸も仲間だとは想像もしなかった。


 帝都から出るどころかあっという間に身包みを剥がされ、ほんの数時間で婚約破棄されたことや家族に見捨てられたことが霞むくらいひどい目にあった。


 魔封じの腕輪もつけられているので得意の闇魔法も使えない。もう助けてくれる人はいない。いや、夜会のときだって助けてくれる人なんていなかったと思い直す。


 今は生き残ることを考えよう。ひどい目にあったけど、どうにかしてここから抜け出せば……!


「ああ、とりあえず手荒な真似はしねえよ。お前みたいななにも知らねえお嬢様ってのは価値が高いんだ。身代金を請求してもよし、変態貴族に売ってもよし。買い手がつくまでは世話してやるよ」


 それならば、私は確実に後者になるだろう。なにせ勘当された身だ。

 そして元婚約者もそうだが、金髪碧眼の男は信用してはいけないと魂に刻み込んだ。


 さらに、ひどい目にあいすぎて感覚が麻痺してしまったのか、とりあえず飢えることはなさそなのでツイてる!と思ってしまった。人間は命の危機に瀕するとひと皮もふた皮もむけるみたいだ。


 どうやってここから逃げ出そうか必死に考えていると、突然扉が勢いよく開かれる。四人の男たちは驚いて振り返った。


 そこにいたのは、黒いフードを目深に被り足元まである漆黒のローブをまとった人物だった。ゆったりしたローブのせいで体型も性別もわからない。わかるのはフードからこぼれ落ちた燃えるような長く赤い髪だけだ。


「ああ!? 誰だ! ここは店じゃねえんだよ! とっとと出ていけ!」


 ボスと呼ばれていた金髪の青年が声を荒げたが、まったく怯むことなく足を踏み入れてくる。私の前に立ちフードに手をかけた。ゆっくりとフードを外す仕草から目が逸らせない。


 まっすぐな赤い髪をかき上げ、妖艶な美女が姿を現した。フードを取る時にチラリと見えたスタイルは、とても魅惑的で羨ましいほどグラマラスだった。ピジョンブラッドの瞳に射貫くように見つめられる。

 この真紅の瞳は魔女の証——。


「やっと見つけたわ! あなた、闇魔法の使い手でしょう? 名前は?」

「え、はい……そうです。セシル……と申します」

「セシル、魔女にならない?」

「はえ? ま、魔女!?」


 突飛な申し出に変な声が出てしまった。確かに夜会で魔女だのなんだの言われたけど、別に魔女になりたい訳ではない。


「そうよ。実験をしたくて闇魔法の使い手を探してたんだけど、なかなか見つからなくて……。もうセシルしかいないの! 魔力量も多いし、見た目も綺麗だし、ものすごい逸材よ!! もちろん衣食住は保障するし、きっとそのうちガッポガッポ稼げるようになるわ」

「え、本当ですか!? 住むところも食べ物も保障していただけるのですか!?」

「ええ、その代わり実験には最後まで付き合ってもら——」

「わかりました! よろしくお願いいたします!!」


 私は食い気味に返事をした。即決だ。即決以外ない。

 魔女がうんぬんは置いておいても、売られる心配がなく衣食住が保障されるのだ。しかも、稼げるようになるのなら、ひとりで生きていけるかもしれない。こんな好条件はない。


「お、おい! その女はオレの商品なんだよ! ま、魔女だからって横取りすんじゃねえ!」

「ボス! 魔女相手はヤバいって!」

「うるせえ!」

「ふんっ、騙して連れてきたくせによく言うわ。私の機嫌がいいうちに引きなさい」

「なんだとっ!? だったらせめてその女を買い取れ——」

「黙れって言ってんのよ。うるさいわね」


 苛ついた様子の魔女が片手を軽く振ると、黒い花びらが無数に放たれて四人の男たちを締め上げるように拘束した。四人の男たちは声も出せずにもがいている。ほんの一瞬の出来事だった。


「まったく、相手を見て喧嘩を売りなさいよ」

「ゔゔー! ゔゔゔゔゔ!」

「私? あら、名乗ってなかったわね。アマリリスよ。アマリリスの魔女」


 アマリリスの魔女。それはこの世界にいる四大魔女のひとりだった。


 この世界には特別な存在として聖女と魔女がいる。

 義妹のように聖属性の魔法が使えて守護や治癒魔法が得意な聖女と、闇属性の魔法が使えて攻撃魔法や呪いを操るのが魔女だ。

 聖女や魔女は国を守り王族と同等の存在だけど、その扱いには雲泥の差があった。


 人々は聖女には敬愛の念を、魔女には畏怖の念を抱いていた。それは魔女が呪いを操れるからだ。

 呪いとは人間のさまざまな負の感情が道具や武器、防具、アクセサリーなどに宿った状態をいう。その強烈なまでの負の感情は使用者に多大な影響を与えるのだ。


 例えば、攻撃力が上がる代わりに防御できないとか、不運な出来事に見舞われ続けるとか、視力を奪うものや魔力を封じるものさえある。魔女はこういった呪いを意のままに付与したり解いたりできる。


 その中でも特に力の強い魔女が四大魔女と呼ばれていた。アマリリスの他にアナベル、ダリア、カレンデュラの魔女がいる。


 呪いを解くだけなら聖女と同じように人々から愛されたのだろう。でも、ある古の魔女が呪いを使って大きな事件を起こしてからは、この帝国では特に恐れられ忌避される存在になった。


 それでも私を助けてくれたのは他でもないアマリリスの魔女だ。

 どんなに恐ろしくても、今、信じられるのは彼女だけだ。

 私は自分の意思で魔女についていくと決めた。




 アマリリスの魔女は闇魔法で影から影へ一瞬で移動する。瞬きするあいだに景色が変わり、連れてこられたのは森の中にある小さな一軒家だった。


「ここが私の家よ。帝都からはかなり離れてるけど、独り立ちできるまでここで一緒に暮らすわ」

「はい、よろしくお願いします」


 そうして魔女になるための洗礼を受けた私は、その衝撃で意識を失った。



 意識を取り戻して目を開けると、窓から優しく月光が差し込んでいる。

 灼熱の炎に体の内側から焼かれるような衝撃が夢だったみたいに、今はなんでもない。むしろ魔力の巡りもすこぶる良くなって調子がいいくらいだ。


 そこで「入るわよー」という声とともにアマリリスの魔女がツカツカとベッドサイドまでやってきた。


「うん、大丈夫みたいね。綺麗に『開花』してるわ。ほら、見てみて」


 差し出された手鏡を覗いてみると、驚くことに私の瞳はグリーンから血のような紅い瞳へ変化していた。よく見ると虹彩に濃淡があり花が咲いているようだった。魔女はこうして真紅の瞳になるのだと知る。


「これが魔女になった証よ。おめでとう、私のことはリリスと呼んで。明日から色々教えるわ」

「はい! リリス師匠、よろしくお願いします!」

「し、師匠……? ふふ、いいわね。それも面白いわ」


 そう言って柔らかい微笑みを浮かべたリリス師匠に、姉がいたらこんな感じなのだろうかと心が温かくなった。

 こうして魔女としての私の人生が始まった。



 私が魔女のもとに来てから三ヶ月が経った。

 約束通り衣食住は十分すぎるほど与えられ、リリス師匠には実の妹のようにかわいがられ快適な毎日を過ごしていた。今は呪いの付与や解呪のやり方も教わり日々修行に明け暮れている。


 そして私は魔女の真実をひとつ知った。

 確かに魔女は呪いを操れる。解呪をする時は負の怨念ともいえる呪いを自らの体に取り込むのだ。しかし、それを定期的に吐き出さないと呪に蝕まれて命を落としてしまう。

 だからさまざまな物に呪いをかけて魔道具を作り出し、厳重に管理していた。


 それでも人々の負の感情がなくなることはなく、解呪の依頼は後を絶たない。


 そんな状況を変えるために、私は新しい解呪の方法をアマリリスの魔女に教わっていた。

 新しい解呪の方法は呪いを闇魔法に変換して取り込むもので、これならいくら解呪しても呪いに蝕まれることがなかった。

 その新しい解呪の方法を広めるのがリリス師匠の目的であり、私の存在意義だった。


 それから二年間はリリス師匠の指導のもとびっちりと修行した。朝から晩まで解呪しまくり、時には出張して腕を磨き続けた。そうして魔女たちが溜め込んでいた呪いの魔道具はあらかた解呪した頃だった。

 ある日の夕食でリリス師匠が「もう自由にしていい」とポツリと呟いた。


「今日で実験は終わり。今までの解呪の報酬も渡すわ」

「いえ、そんなの受け取れません。ここまでで十分よくしてもらいました」

「なに言ってんのよ、それなら報酬を倍にするわよ?」

「ええっ!? なんで倍になるんですか!? 意味がわかりません!」


 リリス師匠の突飛な発言に、いつものように言い返した。私はこの三年間で、こんな風に遠慮なく意見を言えるようになっていた。そうでなければ、平民から貴族までを相手する解呪の仕事をこなせなかったからだ。


「寂しくなるけど、私はいつでもセシルの味方よ」

「リリス師匠……ありがとうございます。私はこれからも解呪をして、魔女たちのために尽くします」

「ふふ、お願いね。あなたは私たちの希望の星なの」


 そうして私は解呪の魔女として隣国で独り立ちしたのだった。

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