第2話 すべてを失った日


「セシル・マックイーン! お前のような陰湿な女とはこの場で婚約破棄をする!」


 その日は私のデビュタントだった。

 キラキラと輝くシャンデリアが飾られた会場はシンと静まり返っている。夜会が始まるのはもう少し先で、まだ音楽すら流れていない。


「えっ……エルベルト様、どういう事ですの? あの、私がなにかしましたでしょうか?」

「なんだと! 私が言わないとわからないのか!?」

「も、申し訳ありません……」


 貴族の令嬢や令息たちは十六歳になる誕生月に社交界に大人として初めて夜会に参加する。それはデビュタントと呼ばれ、貴族の一員として認められる大切なイベントだった。


 侯爵令嬢だった私も半年前からこの日のために準備をして、デビュタントの証である白いドレスを身にまとっていた。そしてデビュタントのパートナーは親族と決まっているから、兄のユリウスと一緒にやってきていた。


 たった今、兄にエスコートされて会場に入ってきたばかりだった。兄が友人の元へと向かった直後に待ち構えていた婚約者、公爵令息のエルベルト・フューゲルス様から突然の宣告を受けたのだ。


 蔑みと興味本位の遠慮のない視線にさらされていたたまれない。でもそれよりも八歳の頃から婚約者として慕ってきた大切な人に言われた言葉が頭の中を駆け巡っていた。


 こぼれ落ちそうな涙を必死にこらえて、なんとか婚約者の気持ちを確かめようと声をかける。


「エルベルト様……せめて理由を教えていただけませんか?」

「言っただろう、お前のような陰湿な女などお断りだ! とにかくこれ以上お前の顔など見たくない! これからはシャロン・マックイーンが私の婚約者だ!」


 心臓を鷲掴みされたような衝撃が私の身体を駆け抜けた。現実だと受け止めたくない、なにかの間違いであってほしいと震える声がこぼれる。


「シャロン……? そんな、シャロンは腹違いとはいえ、私の妹ですわ……!」

「ああ、そんなことはわかっている。同じ姉妹だというのに何故こうも違うのだ? シャロンは光魔法の使い手で清廉な心を持つ聖女、お前は闇魔法の使い手で心の中まで醜悪ではないか!」


 確かにエルベルト様の言う通り私は闇魔法を使う。でもだからといって心が醜悪だと言われるほど、誰かを妬んだり恨んだり蔑んだりしたことはない。ただエルベルト様への想いを深めて、相応しくなれるように誇り高くあろうとしていた。


 どう話せばわかってもらえるのかと悩んでいると、静まり返った会場内に聞き慣れた甲高い声が響きわたる。


「エル様!」


 キラキラと輝くピンクブロンドの髪をなびかせて、蜂蜜色の瞳の少女が私の横を駆け抜けた。

 白いドレスに身を包んだ少女はそのままエルベルト様に抱きついて、まるで恋人同士のように寄り添っている。エルベルト様も当たり前のように少女の腰に手を回した。


「おお、シャロン! やっと来たか! 待ちくたびれたぞ。今ちょうど婚約破棄をセシルに告げたところだ」

「まあ、エル様ったら……あれほど待っていてくださいとお願いしたのに」

「すまないな、一刻も早くシャロンが私のものだと公言したかったのだ」


 シャロンは私と同じ歳の妹だ。六年前に母が亡くなってすぐに後妻と一緒にやってきた。腹違いの妹だと言われたが、誕生日は二週間しか違わない。ずっと母を裏切っていのだと理解して、父には嫌悪感しか抱けなくなった。


 母と政略結婚だった父はそんな私を可愛いと思うはずもなく、後妻とシャロンにも邪険にされ侯爵家の中ではずっと存在を無視されていた。唯一優しかった兄に助けを求めても、我慢しろと言われるだけだった。そんな空気を察したメイドたちも、必要最低限の仕事しかしなくなった。


 エルベルト様との婚約は母の存命中に結ばれていて、外聞が悪くなるからと傷が目立つような折檻は受けなかったし質素でも食事は与えられていた。ただ、侯爵家には不要な存在として扱われていただけだ。


 そんな味方のいない私にとっては、エルベルト様と結婚して家を出るのが心の支えだったのだ。


 それなのに、その希望すらも奪われてしまった。


 目の前の現実が受け入れられなくて、ただただ呆然としていた。

 やや遅れてシャロンをエスコートしてきた父がやってきて、珍しく私に声をかける。


「セシル、エルベルト様の婚約者でなくなったお前はマックイーン家の恥さらしだ。このまま親子の縁を切る」


 父は到底家族と思えない冷たい眼差しで私を見下ろしていた。兄に視線を向けても俯いているだけで、助けてくれる気配はない。兄だけは私を無視しなかったから、もしかたらと思ったけど父には逆らえないのだろう。


 正面から向けられるエルベルト様の敵意と、シャロンの勝ち誇ったような顔、父のゴミでも見るような冷たい眼差しに、目の前が暗くなっていく。


「それに、お前はこともあろうか得意の闇魔法で魔女の真似をしてシャロンに呪いをかけただろう!」

「え……? そんな、そんなことしてませんし、出来ませんわ!」

「嘘をつくな! お前に呪われて、苦しんでいたシャロンを救ったのは私なのだ! あのような卑劣な方法で……心の醜い偽魔女めっ!」


 エルベルト様の言っていることが本当に理解できなかった。

 確かに私は闇魔法の使い手だし、魔女になれるのは闇属性の魔法を使える女性だけだ。でも、呪いをかけることができるのは本物の魔女だけだし、魔女には会ったことすらない。


「その……媚薬の呪いをかけられたとき本当に辛かったの。それを助けてくれたのがエル様だったの。ごめんなさい、お姉様」

「媚薬の呪い……? いったいなんのこと?」


 本当に意味がわからなくて尋ねると、エルベルト様が私を忌々しく睨みつけてきた。


「黙れっ! とぼける気か!? 呪いで媚薬を飲んだような状態にしておいて、ならず者に襲わせる計画だったのだろう! 私がいなければ、今頃シャロンはどうなっていたか……!」

「でも呪いをかけられたからこそ、エル様の寵愛を受けることができたわ。その時にお互いの気持ち気付けたんですもの。お姉さまには感謝しかないわ」


 つまりエルベルト様とシャロンはすでに男女の仲ということだ。

 私が婚約者なのに、呪いなんてかけられないのに、私が悪いからとこのふたりは一線を超えたという。いくら義妹に冷たくされたといっても、そんな非道なことができるわけない。


 でもエルベルト様は私を信じてくれなかった。出会った頃に囁いていた愛の言葉はなんだったのだろうか。


「シャロン、君の心根はなんて美しいんだ。あんな心の醜い姉にすら感謝するなんて……」

「わたくし、最後にお姉様とお別れをしたいわ。よろしいかしら?」

「ああ、だが少しだけだ。なにをされるかわからんからな」

「ふふ、エル様は心配性ね」


 シャロンが聖女の微笑みを浮かべて、別れを惜しむかのように私に抱きついてくる。そして周りに聞こえないくらいの小さな声でこう言ったのだ。


「愚かで馬鹿なお姉様。きっかけはわたくしが用意した媚薬だったけれど、その後も会う度に求められてたっぷりと愛を注いでもらったの。だからかわいい赤ちゃんのためにも大人しく消えてちょうだいね?」


 シャロンの策略によってエルベルト様を奪われたのだ。それからずっとふたりに裏切られていた……そんなこと全然気がつかなかった。しかもお腹にはエルベルト様の子供がいるという。それなら私が騒ぎ立てたところで今更どうにもならないだろうし、お腹の子に罪はない。


「ああ、それと。エル様は魔封じの腕輪も用意してたけど、お姉様がかわいそうと言ってとめたの。感謝しなさいよ」


 そうか、偽魔女だと私を呼んでも魔封じの腕輪もつけないのは、ただただ追い出したいだけなのだ。私が魔女でないと知っているシャロンは、それすらも自分をよく見せるために利用したということだ。


 シャロンは悲しそうに微笑んで、エルベルト様のもとへと戻っていった。しっかりと抱き合うふたりを視界に入れたくなくて、涙をこらえながら視線を落とす。


「セシル、お前はこのまま屋敷に戻れ。勘当したのだから夜会に参加できる身分ではなくなった。そのドレスは餞別代わりにくれてやる。ユリウスと乗ってきた馬車を使わせてやるから、私たちが戻るまでに出ていけ」

「…………」


 私に見向きもせずに父はそれだけ言って、エルベルト様とシャロンを促し会場の奥へと足を進めていった。呆然としている私に、エルベルト様が振り返って吐き捨てるように告げる。


「ああ、それから。お前のような偽魔女をこの帝都ジュピタルで見かけたら、すぐ牢獄に入れろと騎士団には通達しておくからな! 二度と戻ってくるな!!」


 ここに私の味方はひとりもいない。

 もう、この貴族社会せかいには私の居場所もない。


 私に最後に愛してると言ってくれたのはお母様だった。

 あれから私を愛してくれる人なんて、どこにもいなかった。


 それなら、もう愛を求めるのはやめよう。求めるから裏切られて傷つくのだ。

 愛なんて求めないし、そんな不確かなものはもういらない。


 だから私はもう誰も愛さない。


 どんなに優しくされても。どんなに金髪碧眼の美男子でも。どんなに優雅にエスコートされても。

 例えそれが家族であろうと、愛の言葉を交わした婚約者であろうと、そんなものはすべて偽りだった。


 私はすべてを失って残酷な現実を知ったのだ。こぼれ落ちる涙もそのままに、たったひとりで会場を後にした。



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新作始めました!

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