双子と催眠と性の話

第13話

 そこはまるで絵本にでも出てくるような西洋風の庭園だった。綺麗ではあるけれど同時にチープで現実感がない。周りには色とりどりの花が咲いていて、真ん中には白磁の椅子とテーブル。私はその椅子に座っていて、テーブルの上には紅茶の入ったカップとクッキーなんかのお菓子があった。


「また来たのか」


 いつの間にかそばにいた女の子が、私を見るなり呆れた声で言った。


 発育の悪い中学生くらいの背丈。幻想的な白銀の髪。その少女は重力を無視して宙に浮かんでいた。だが浮かんでいること自体はなにも驚くことじゃない。なにせここは夢の中なのだから。


 少女の名は、ねね。私の夢に暮らす獏だ。


 獏というのは夢を食べる生き物だ。基本的にはそれだけの無害な存在だが、たまに人間の記憶まで食べて迷惑をかけたりする。そんな不思議な生き物。それ以上のことは、私も知らない。


「だめだった?」


 私が首をかしげて言うと、ねねは苦い顔をする。


「今は学校の時間じゃろう。眠ってないで、真面目に授業を聞け」

「そんなこと言われたって、無理なものは無理だよ」


 きっぱり言い切る。私にはこれまでの短くない人生の中で、わかったことがあった。眠いときに無理をするのは良くないということだ。


 私は、人より一日に必要とする睡眠時間が多いほうだ。一日に十時間、できるならもっと眠っていたい。けれど女子高生の日々というのは忙しい。どんなに頑張ったって、平日に十時間以上の睡眠時間を確保するのは不可能だ。だから、私は眠くなると授業の時間でもよく保健室へ向かう。そしてそこのベッドでがっつり睡眠を取ることにしていた。休みたいときは休む。それが私の信念だ。


「そうは言うが、お主が寝不足なのは単に睡眠時間が足りないせいだけではないだろう。こうして夢の中で好き勝手しておるから、いつまでも寝た気がしないんじゃ」

「う……」


 ねねの言うことはまったくの正論だった。夢の中で、夢を夢だと自覚すること、それができれば夢を自在に操ることができる。実際、この庭もお菓子もお茶も全部私が用意したものだ。夢の中ならなんでも自分の思うがまま。お菓子だって食べ放題。しかもカロリーゼロ。まさに夢のような空間だ。ただ、そうやって夢の中で意識を保ってばかりいると、あまり眠った気がしなくて翌朝とても辛くなる。


「でも、楽しいんだもん」


 私はクッキーに手を伸ばし口に放り込む。口の中でほろほろと溶ける、なんとも高級な味がした。続けて何個も食べながら、しかし私はふとあれ? と気づく。確かにおいしいが、おいしいことを想定されたおいしさというか……。食べた瞬間「おいしい」というイメージだけが流れ込んでくるような感覚なのだ。私は眉をひそめながらもう一つ食べ、そしてそのクッキー自体にたいした味が存在しないことに気づく。おいしいことはおいしいのだけど、なにかが間違っているような気がする味だ。


 なぜこんなことになったのかはすぐにわかった。ここにあるクッキーは、全部昨日私が見た雑誌に載っていただけのものなのだ。私は高そうなクッキーを見ておいしそうだなあと思ったけれど、実際には口にしていない。そんな空想のクッキーを夢の中で再現してみたのだけれど、当然そのクッキーの味は私の想像の中で変化し続ける。なんとなくおいしい、という味で存在しているだけで、リアリティというものが欠けている。まあ、もとから夢の中だけの存在にリアリティを求めるのも変だけど。


 クッキー自体がおいしいことは間違いないのだけど、現実で食べられないクッキーを想像の中だけで咀嚼するというのは侘しさを加速させるだけの行為に思えてしまう。私はこれ以上悲しい気持ちになりたくなかったので、クッキーをまとめて消してしまった。代わりにスーパーやコンビニで買えるような庶民的なお菓子を作り出す。食べてみれば、さっきのクッキーよりも重みのある味がする。リアリティのある味だ。私は安っぽいチョコレートのコーティングを泣きそうな思いで咀嚼する。やっぱり人間、身分相応な食べ物というのがあるのかもしれない。


「楽しいからと遊んでばかりいるから、現実で苦しい思いをしているわけじゃろ? 朝起きるのが辛い、朝食が喉を通らない、だるい、眠い、頭が痛い、お腹が痛い、気分が悪い、調子が出ない。睡眠不足は万病に繋がる。お菓子ばっかり食べてないで、大人しく寝るんじゃ」


 ねねは逆さまの姿勢のままポテチをバリボリ食べて言う。浮かんだまま食べるのは行儀が悪いと感じた。でもよく考えてみればそんなマナーは聞いたことがない。浮かんだまま食べてはいけません。だけどそれって、浮かんだまま食べる人がいないから誰も言わなかっただけかも。


「別にお菓子が食べたくていつも夢の中で起きてるわけじゃないよ」

「だったらなんだと言うんじゃ」

「ねねと話せるから」


 ピッとお菓子の油に汚れた指を突きつけて言う。


「んなっ」

「私が楽しいのは、ねねと話せることだよ。だから毎晩頑張って夢の中で起きてるの」


 黙り込んだねねの頬が赤くなる。


 私の夢の中に潜んだ獏を追い出し、そしてねねと再会してから一週間ほど。私は毎日のように夢の中でねねと話してきた。そうすることで彼女のことでわかることも増えていった。


 ねねは、恥ずかしがり屋だ。ちょっと好意を見せるとすぐ赤くなってしまう。


「か、からかうのは……よせ」

「からかってなんかないよ。ねねと話すのは本当に楽しい。私、たぶんねねのこと結構好きだよ」

「……よせ」


 か細い声でねねは言って、そっぽを向いてしまった。


 あんまりいじめるのもかわいそうなので、私もその辺にしておく。でも実際、ねねに言ったことは嘘じゃない。だいたい、ここは私の夢の中で、私の意識全体がこの夢だ。この中で私が嘘や隠し事をするのは難しい。私がなにかあるものを思い浮かべた時点で、多少なりとも夢の中に影響を与えてしまう。私の夢の中で暮らすねねには、その影響から私の意識を読み取れる。嘘をつこうと思ったって、すぐに見破られてしまうはずだ。


 私が毎日夢の中で目覚めるのは、ねねに会いたいからだ。彼女と話すのは楽しい。彼女が獏で、興味深い存在だからというだけじゃなくて、単に話しやすいと感じる。それに、彼女といると、長年親しくした友人と一緒にいるような感覚を覚える。


 もちろん、獏という不可思議な存在に対する不安や疑念はある。だけどそれよりも、ねねと話すことへの興味や楽しみのほうが私の中では大きかった。そしてそれは、日が経ち、ねねと会話を重ねるごとに大きくなる感情だった。だから私は、ついついねねに会いに来てしまう。ねねからは再三やめろと言われているが、やめる気はない。

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