第11話
目を瞑り、イメージをした。夢を変質させるためのイメージ。ここは私の頭の中。私の考え次第でどんなふうにでも変化する。
突然、ふわりと体が宙に浮いた。
私だけではない。ねねも、周りの野良犬も。一斉に宙に浮かび、そして落ちる。
全員が空に向かって飛んだりしたわけではない。私たちがいたはずのマンションがなくなったのだ。私が夢を操り、建物ごと消した。
消したのはマンションだけではない。周りにあるすべての建物を一斉になかったことにした。そしてそこにいたすべての野良犬は地面へと落ちていく。
「こっ……のおっ……!」
体を揺さぶり、食らいついていた野良犬たちを引き剥がす。足場がなくなったことに驚いたのか、野良犬たちは思ったよりも簡単に離れた。
「夢子……これは……」
「は、離さないで……!」
そばにいたねねの手を、私は強く握った。
落下する私たちに、下からの風が強く吹きつけている。
「今一人にされたら、たぶんまた夢に取り込まれるから」
どんなに強く意識を保っていようとしても、落ちる恐怖や痛みなど、体に働きかけるような感覚を完全に無視することはできない。今空中から落ちる私の意識を繋ぎ止めてくれているものは、触れ合った肌越しに感じるねねの体温だけなのだ。
「あ、ああ……」
ねねも慌てて私の手を握り返す。
私はさらにまた夢を操る。ねねは、あの無数の犬の中から獏を見つけ出せと言ったが、そんな面倒な手を取るつもりはなかった。もっと簡単な方法がある。
建物がなくなり、地上に落下した野良犬のほとんどは衝突の衝撃で死ぬだろう。だが中には生き残るものもいるかもしれない。そしてなにより夢を操れる獏自体は傷つかないかもしれない。それでは意味がない。獏を倒すために、私は追撃する。
私とねねは宙に静止する。そして私は空に巨大な隕石を作り上げた。
隕石は凄まじい速度で地上に落下する。墜落すると同時に爆発と炎上が起こり、地上は壊滅状態になった。野良犬はみんなまとめてその爆発の餌食になる。熱波は私たちのもとまで届くが、ちょっと熱い程度で被害はない。
「無茶をするな……」
地上の惨状に、ねねが呆れた声で言う。
「まあ、別に夢だしね」
それにこの方法が一番手軽だったはずだ。まとめて吹き飛ばしてしまえば、あの野良犬の群れから一体の獏を探す必要はなくなる。
……だが、獏はこれで本当に倒れたのだろうか。もしかすると爆発の被害を逃れたかもしれない。私は意識を集中し、獏の気配みたいなのを探った。そして、その気配を感じるほうに向かい、降りる。
瓦礫の散乱する通りの真ん中に、それはいた。野良犬の形はしていない。それは、絶え間なく姿を変化させていた。動物、人、植物、虫、物など様々に。恐らく、私の記憶の中からなにか有効な形を見つけようとしているのだ。
私が近づいたのに気がつくと、それの変化は加速し、めまぐるしくなった。映像を限界まで早回ししたような光景。変化した姿形はもはやたどれず、残された色だけが目に飛び込んでくる。その光景は通りの真ん中にモザイクが浮かび上がっているようで、妙な感慨があった。だがやがて、抵抗は不可能だと悟ったのか、変化はゆるやかになる。それどころかだんだんその姿が薄くなり、かすみ、見えなくなっていく。
「……獏が、逃げようとしている。この夢の中から」
「本当?」
「ああ」
「でも、それって……大丈夫なの」
獏は逃げても、また戻ってくるかもしれない。そうなったら、もう一度戦わなくてはいけないのか。
「いや、痛めつけられて逃げていくのだから、わざわざ同じ夢の中に戻ってくることはあるまい。それに一度夢から離れると、狙った夢の中に戻るのはほとんど不可能じゃ。だから恐らく大丈夫じゃろう。……とはいえ心配なら、完全にとどめをさしておくべきじゃな」
「それは……うーん……」
私は獏というのがなんなのかよく知らない。けれど隣にいるねねのような存在のことを考えると、とどめをさすというのは流石に気後れしてしまう。
そうして悩んでるうちに、獏の姿は完全に消えて見えなくなってしまった。
「あっ」
私は思わず声を上げる。けれど、取り逃がしたという焦りよりも、命を奪わずにすんで良かったという安堵のほうが強かった。
「……獏は、完全にこの夢から去った。安心して良いぞ」
ねねに言われ、少ししてから私はほっと息を吐く。頭がすぐには追いついてこない。それでも、なんだか思っていたよりも呆気ない終わりだと感じた。けれどここは私の夢の中なのだから、私がやる気になりさえすれば簡単に片が付く問題ではあったのだろう。そのやる気がずっと厄介な問題だっただけで。不安が完全になくなったわけではないが、ねねが大丈夫と言うのだし、とりあえず今は大丈夫ということにしておこう。
「……えっと、それで、あとどうするの」
「別に、なにもすることはない。お主の目が覚めるのを待つだけじゃ」
「そうなんだ。……ねねは?」
「なにがじゃ」
「いや、これからどうするのかなって。もう一度会えるの」
「その必要はない。獏と人は異なる種類の生き物じゃ。無理に関わるべきではない」
ねねはそっぽを向いてそう答えた。でも、そういうものなのだろうか。私はちょっと納得しかねる。
「……だがまあ」
ねねがそう呟いたときだった。周りの景色が白み始めた。意識がゆっくりと上に昇っていくような感覚もある。夢が、終わろうとしているのだ。それに気がついた途端に名残惜しさを感じた。ねねともっと話すべきことがある気がした。だけど具体的になにを話せば良いのか答えは出ない。するとねねは恐らくそんな私の心情を察しながら、肩をすくめて言った。
「話せて楽しかったぞ、夢子よ」
その声とともに視界が完全に真っ白に染まった。そして、私の意識も途切れる。
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