第7話

 私は大きな悲鳴を上げる。落ちる、という意識は強く私の心に働きかける。全身に吹きつける風。なにも支えるものが存在しない不安。私の頭は、ただ落ちるという恐怖だけで埋められていく。その他のすべての事柄が意識から抜けていく。ただ目の前の事実だけに、心と感覚が引っ張られる。


 落ちる、落ちる……落ちる!


 …………落ちたら、どうなるの?


 そんなの決まってる。落ちたら…………死んじゃう! それはいやだ。死にたくない。死にたくない。死にたくない……!


 頭がそれだけで埋め尽くされる。


「…………こ。ゆ……こ!」


 誰かの声がする。誰の声だっけ。わからない。


「……夢子!」


 一喝されて、私はパニックから一時的に回復した。恐怖でいつの間にか固く閉じていた目をゆっくりと開く。そして気がつく。私は落ちてはいなかった。ねねの手につかまれ、空中で静止していた。眼下に広がる街の景色がミニチュアのように見えて、心臓がきゅっと縮む。


「ひ、ひいいいいいい」

「しゃきっとせい。落ちると思うから落ちるのじゃ。飛べるとか浮けるとか、とにかくそういうことを考えよ。それができないならせめて、心を落ち着かせよ。落ちると思われると、本当にお主の体は地面に引っ張られていく。さっきから重くてかなわん」

「お、重いって……」


 失礼なことを言われた気がする。でもそれで、気持ちが恐怖からほんの少しそれた。私は目を瞑り、意識を集中する。自分の体が浮き上がる、そんなイメージを重ねる。すると私の体が本当に軽くなったのか、ねねは私の手を引いて、さっき飛び移るはずだったマンションの屋上へと降り立った。


 硬い床の上に立つと深い安心感に包まれた。私は思わず膝に手をつき、どっと息を吐いた。それから最初にいた屋上を振り返る。そこにさっきの野良犬の姿はなかった。敵は目に見える範囲からは消えている。


「獏は? どこに行ったの?」

「いや、まだそばにいるのを感じる。またすぐに襲ってくるじゃろう」


 ねねは周りを警戒しながら言った。


 ここは夢の中。現実の常識などとは無関係の場所だ。姿が見えなかったとしても、それは安心できる要素にはならない。私は心臓を締めつけられるような気分でゆっくり上体を起こし、そしてまた深く息を吐いた。曇天の空が私たちを見下ろしている。あの雲も私の不安な心が作り出しているのだ。そう思うと、ますます気分が滅入ってくる。

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