第4話
ねねはくるりと回転しながら宙で起き上がる。そして腕を組み鷹揚に頷くと言った。
「で、じゃ。困ってるお主のために、わしが一つ手を貸してやる。わしは獏じゃが、お主の記憶を直接食ったりはせん。お主の夢を食う、至って普通の善良な獏じゃ。じゃがな、わしとて食えるならどんな夢でも良いというものでもない。わしはグルメじゃ。食うなら、うまい夢が良い。そして、お主の夢はうまい。別に上等な頭の持ち主というわけでもないが、単純にわしの好みに合うんじゃな。
ゆえに、わしとしてもお主の記憶が食われ続けるのはとても困るわけじゃ。これからもわしにうまい飯を供給してもらわねばならんからな。記憶を食われ続ければ、最悪廃人のようになりかねん。お主の人格を作っている要素の大部分が削られるわけじゃからな。そこからまた新しい人格が作られるのかもしれんが、そのときのお主は今のお主と同じとは言えないかもしれん。そうなれば、またわしの舌に合う夢を作るかどうかはわからなくなってしまう。それは困る。お主には助かってもらわねばならんのじゃ。わしのご飯のためにもな」
「なんか餌としてしか見られていないような……」
「なにを言う。お互いにとってメリットがあるということを説明したまでじゃ。大事じゃぞ、ウィンウィンな関係というのは。いきなり見ず知らずの相手からなんの益もないが助けると言われても信用ならんじゃろ」
「うーん、まあ、それはそうかも……」
「本来であれば、こうしてお主の前に顔を出すことなどするつもりはなかった。しかしどうにもうまくいかなくてな。わしは初め、一人でお主の中に入ってきた獏を追い払ってやろうと思ったのじゃ。ここはわしの縄張りじゃからな。餌を横取りされて黙って見ているわけにはいかん」
「餌……」
「獏には基本的に知性のようなものはない。わしは特別なんじゃ。だが本能的に、危険を避けるための術は知っている。お主の夢に入り込んだ獏を追い払うためには、わし一人の力では難しい。お主に協力してもらわねばならん。というわけで、数日前からお主に接触を図っていたのじゃが、お主は阿呆で、毎晩毎晩わしの呼びかけに気づかず呑気に夢ばかり見ている。わしの懸命な努力が実ったのがついさっき。それで、ようやくこうして話ができたというわけじゃ。……ふう。長い説明になったな。理解できたか? 理解するのじゃ。わしは話し疲れたぞ」
「う、うん。……ど、どうだろ」
ねねの話は突拍子もないものだったが、その説明自体は理解できないものではなかった。とにかく、私の夢の中には私の記憶を食べる迷惑な獏がいて、それをどうにかするのにねねが力を貸してくれるという内容だったはずだ。とはいえ、彼女の存在が私の脳が作り出す夢にすぎないという可能性はまだ残っているから信じるかは別だ。けれどそれは、今言っても仕方のないことだ。
「でも、それで結局私はなにをすれば良いの。だいたい私の記憶を食べてる獏って、今はどうしてるの」
「敵の獏は今もお主の夢の中におる。獏は普通決まった形というものを持たないんじゃ。ゆえに、様々な形に変化しながらお主の夢の中に居座っている。今はわしもお主にわかりやすいようにこういう愛らしいナリをしてやっているが、別にこれがわしの本当の姿というわけでもない。やりようによっては、いろんな形になれる。ほれ、こんなふうにな」
そう言って、ねねはその場でくるりと横に回ってみせる。一回転して戻ってくるころには、ねねの姿は私より一回りほど大きな背丈で、体つきもより豊かなものになっていた。衣服はそのままで、大きな胸が目の前で揺れる。
「うわっ、すご……」
「おっさんみたいな感想じゃな」
胸を凝視したまま言ったら、呆れられてしまった……。
「ま、疲れるので普段慣れてるこっちのほうが好きなんじゃが」
と言ってまた、さっきの幼い容姿に戻る。
「こちらはこちらで人形みたいで愛らしいじゃろ?」
「うん、まあ、可愛いとは思うけど」
私は素直な感想を口にする。実際彼女の容姿は可愛らしい。するとねねは得意げに胸を反らし、
「ふふん。そうじゃろ? ……それで、敵の獏についてじゃが。敵は確かに隠れ潜んではいる。だがその位置は、お主が見つけようと思えばすぐに見つけられるはずじゃ」
「どうして?」
「ここがお主の夢の中だからじゃ。この夢の世界はお主の意識そのものと言える場所じゃ。ここではお主の考えることはすべて実行できる。夢の中に入り込んだ獏を一匹見つけ出すくらい本来造作もない。そして獏を見つけたなら、あとはそれを攻撃し、消し去ってやれば良い。夢に生きる獏は、他の生き物と違い、夢で起きる事象によって傷を受ければその存在に本当に傷を受ける。それで、お主の記憶喪失の問題は解決する」
「そんな簡単にいくの? だって私、今までなにもできてなかったんでしょ。それで、いいように獏に記憶を食べられ続けてたわけで」
「それは、お主が獏の存在を知らなかったからじゃ。そして夢の中で、こうして話ができるほどの意識も保っていなかったからじゃ。知ること、気づくこと、そして、夢の中で覚醒した意識を保つこと。それが、獏に対抗するために必要なことのほとんどじゃ」
なるほど……。私はねねの言葉に納得する。確かに獏とやらの一番恐ろしいところは、記憶を食べることよりも、その存在に気づけない、気づいたとしても、覚醒した意識でなければ獏に立ち向かえない、というところにあるのかもしれない。
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