第3話

「言った通りじゃ。獏とはそういう生き物なんじゃ。受け入れろ」

「ねえ、もしかして私の心が読めたりするの。さっきから喋る前に答えてるけど……」

「そういうわけではない。ここはお主の夢の中だと言ったじゃろ。この世界を生み出しているのはお主。つまりこの世界にあるものすべてにお主の意識が宿っているとも言える。お主は今、その自分の体が自分だと思っているのかもしれんが、そうではない。この世界そのものがお主なんじゃ。だから、こうしてふよふよしているだけでも、お主が考えていることがなんとなくわかる、というわけじゃな」


 この体が私なんじゃなくて、夢の世界全部が私……。ねねの言葉に、私は驚きながらも納得している。今のこの体は、カメラにすぎないのかもしれない。世界を内側から覗くための一つのカメラ。


「それより、今はもっと気にすることがあるじゃろ。お主は今、危険な状況にあるんじゃぞ」

「どういう意味?」

「お主、最近いろんなことを忘れているじゃろう」


 言われて思い出す。そう、彼女の言う通りだ。現実での私は、どうにも最近の自分が普段にも増して忘れっぽいことに困っていたのだ。古い過去の記憶だけでなく、昨日、一昨日という直近の記憶でさえ、まったく思い出せないということがよくあった。その理由がわからなくて、毎日思い悩んでいた。


「それは忘れているのではない。記憶が完全に消えているんじゃ。そしてその理由に、獏が関わっている」


 戸惑う私に、ねねは続けて言う。


「今この世界、お主の夢の中にはわし以外にももう一体、獏がおるんじゃ。そいつがお主の記憶を食っているから、記憶がどんどんなくなっているんじゃな」

「記憶を食べるの? さっき獏は、夢を食べるって言っていたような」

「そうじゃな。……だがそもそも、夢というのがなんなのか、お主はわかるか?」

「それは……えっと」


 私は頻繁に夢を見るほうだけど、考えてみれば、夢についてきちんと理解しているとは言い難い。


「人間は夢についていろいろなことを考える。お告げだとか、未来を予知するものだとか、内なる欲望の発露である、とかな。だが夢というのは基本的には単なる想像の結果にすぎん。人間の脳は眠っているときでも活動している。脳で作られる意識が、眠りながら見るイメージ、それが夢の正体じゃ」

「眠ってるときにも、意識があるの?」

「うむ。しかしもちろん、その意識には起きているときと違う点もある。たとえば、眠っているときはその五感──外界──からの情報がほとんど遮断されているため、意識は自分の中、内側へと常に向けられる。そしてその意識が生み出すイメージも、内的な情報をもとに展開されていく。すなわち、夢は主に、過去の記憶や、感情、それに浮かんだイメージからの連想など、そういったものを糧に作られる。

 他にも、眠っているときの意識は、自分の思考や行動を客観視することができん。起きているときには当たり前にできる、今自分が思考している、ということを認識する能力が低下している。そうなると、論理的な思考というものができなくなる。そして夢で起こる通常現実ではありえないような出来事を、当たり前に受け取ることになる。……もちろん、わしの存在や獏の話は単なる夢ではなく事実だがな。とにかく、夢を夢だと気づくことが少ないのはそのせいじゃ。とはいえ今は、こうしてわしという自分とは異なる意識を持つ存在と話すことで、その辺の機能が目覚めてきているはずじゃ。おかげで、ちゃんと夢の自覚を持ててるじゃろう。まあ、それはともかく」


 ねねは説明を続ける。


「夢を生み出すのはお主の意識であり、それを体験するのもまたお主なのじゃ。獏は夢を食べると言った。しかしそれは、夢というお主の体験、別の言い方をすれば記憶、それを食べているということなのじゃ。わしら獏は、本来記憶を食う生き物なんじゃな。ついてきておるか?」

「うん。なんとか……」


 回りにくい頭で、ねねの話を必死に理解しようと試みる。


 とにかく、獏が食べているのは夢という名の記憶であるのだから、獏が私の中の夢以外の記憶を食べることはあり得ない話じゃない、ということなのだろう。


「そうじゃな。しかし獏というのは普通人間の記憶には直接手は出さん。夢を食べるだけじゃ。なぜかわかるか?」

「え、なんだろ。わかんないよ」

「うむ。実のところわしもよくわからん。しかしなんというか、本能的な忌避感があるんじゃ。ちゃんとした理由はわからんが、わしはとりあえずこう思ってる。人間の記憶を食うことは結局自分たちの首を締めることに繋がるから、じゃないかと」

「どういうこと?」

「さっきも言ったように、夢を生み出すのは人間の意識じゃ。だが意識、というか、意識のイメージというのは、その人間が得てきた知識や経験、つまりは記憶によってより豊かに広がっていく。そして、夢にだってうまいまずいはある。経験の少ない、感情の動きのない夢は、まずく栄養にならない。逆にうまい夢は、豊富な経験と、感情の起伏の激しいものじゃ。つまりうまい夢は、多くの記憶があって初めて作られると言える。

 当然、人間の記憶を食ってしまえば、豊かな経験をもとにしたうまい夢は生まれなくなる。そうなれば結局、わしらの食べるものもなくなる。獏が長く生きるためには、人間に豊かな記憶を持っておいてもらわねばならん。人間の記憶を直接食うことは獏の破滅にも繋がる。そういう問題を避けるために、本能的な忌避感があるんじゃないかと、わしは考えておる。ま、そんなことはわりとどうでもいい。大事なのは、普通の獏は人間の記憶を直接食ったりはしないということじゃ。しかし、不幸なことにお主は普通ではない獏に狙われてしまった」

「それが、私の記憶がなくなる原因……」

「そういうことじゃな」

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