死神はどうぞ、お帰りください

 ぴしりと並んだ機体たちには、王家の紋章が誇らしげに輝いておりました。

 マシレロア王国近衛飛行隊「カランディア」。有事の際に王家の空を守るための、王家直属の戦闘機部隊です。

 マシレロア王家の伝統色、「高貴なる濃紺」に身を包み、規律正しく離陸を待つのは、王立工廠製「リリアノラ Mk.V」。折れ曲がった逆ガルの主翼、優雅な曲線美を描くシルエットはまるで、海鳥が翼を休めているかのような、そんな印象を与えます。

 ヴァイオリンの音色が聞こえてくるような、その美しい佇まい。

 それは弦がぷつりと切れたように、突然終焉を迎えました。

 曇り空から降り注ぐ鉛の筋が、気高さも気品もお構いなしに翼を穿ち、粉々に捌きます。

 炎に嬲られ、バラバラに砕けたジュラルミンのはるか上で、幾重もの火箭が交差していました。濃紺の巨人機を落とさんとして、次々に襲い掛かる死神の群れを、数えるほどしかいない騎士たちが必死に追い返します。


 ——ここは戦場、王家の空。


 急襲を受け、女王陛下の脱出作戦は、まさに窮地に追い込まれておりました。





 マシレロア王国に対する、隣国アキュラ神聖国の侵攻は、開戦から数ヶ月たっても勢いを失わずに続いていました。

 神託を元に国を運営するアキュラでは、最高指導者である神官長の決定が絶対です。アキュラ創生神話の神が戦いを望むなら、神官長以下全てのアキュラ国民もそれに忠実に従いました。

 たとえそれが神官長の独断であっても、国民は知るよしもないのですが。

 まぁそういうわけで、外交での和平交渉は空振りに終わりました。ちょうど大戦が中盤に入った頃の侵攻です、同盟国も自国防衛に手一杯で誰だって戦線拡大は望んでおりません。マシレロアに助けは来ませんでした。

 マシレロアの人々は、とくに王家は誇り高い性格でした。数々の革命、王政復古を繰り返してきたマシレロアは、民を第一に考える国に成長してきたのです。国土のほぼ半分が占領され、王都に敵が迫っても、国民が一人残らず避難するまで王家は逃げようとしませんでした。

 ようやく女王陛下が腰を上げた、その時はすでに。

 広々としていた王都の空は、濃密な砲火でとても窮屈な戦場と化していたのです。





 どこから嗅ぎ付けたのか、王都脱出の直前、数十機の戦闘機が行く手を塞ぎに現れました。特徴的な細長い主翼を認めて、騎士たちはぎり、と歯噛みします。

 彼方から響く、タービン過吸器の甲高い喚き声。間違いありません、アキュラ神軍戦闘機「アキュラリベール」です。

 十三ミリ機銃四門、三十ミリモーターカノン一門の重武装に二千五百馬力の高出力エンジンを搭載した、通称「死神」と呼ばれる最新鋭機の群れは、無礼にも女王陛下の機体へ一直線に向かってきました。

 御召し機は爆撃機を改装した鈍重な「ベルガモンⅦ」。重装甲で銃座も多く、生半可な攻撃は返り討ちにできるほどの傑作機ではありますが、三十ミリ機関砲を持つアキュラリベールの前では丸々太った鴨と同じ。射線が通ってしまえば、女王陛下もろとも火だるまになるのは確実です。

 そうはさせじとプロペラを猛らせ躍り出るのは、カランディアの騎士たちが駆るリリアノラ。武装は十二・七ミリ機関銃が六門、エンジンはアキュラリベールに劣る二千馬力です。火力とパワーのハンデを誇りで埋めて、騎士たちは死神と真正面から激突しました。



 ——それはまさに、血みどろの戦いでした。

 死神の鼻先に閃光が走り、焼けただれた死の鎌が目の前を薙ぎ払います。運悪く触れてしまったリリアノラが、パイロットもろともキャノピーを吹き飛ばされてがくりと墜ちていきました。

 翼を傾けて笑みを浮かべたその腹を、今度は光のシャワーが貫きました。穴だらけにされたアキュラリベールの翼は、やがて風圧に耐えきれずにばきり、とへし折れます。切り揉みしながら吐き出された煙を切り裂き、濃紺の翼がヴァイパーを吐いて、エンジン音も高らかに駆け上がっていきました。

 騎士たち、カランディア飛行隊の技量は、神軍飛行士の上を行っておりました。機体の性能差はありつつも、その強さは全くの互角。しかしながら数の差が、ゆっくりと確実に騎士たちを追い詰めていくのです。

 十機だったカランディア飛行隊は、いつの間にか半数にまで減っていました。

 そして今、真っ二つに吹っ飛んだ僚機を前にした飛行隊長のロナ・アルトは、覚悟を決めて無線のスイッチを入れました。


「ブルー1よりアフタヌーンへ。高度を落として速度を上げてください。不届き者共のお相手は私が務めますゆえ、生き残った者たちと共に離脱を」


 アフタヌーン——すなわち女王陛下の機体がわずかに揺れます。少し間が空いて、返ってきたのは慣れ親しんだ仲間の声──ではありません。


「アフタヌーンよりブルー1。却下する、貴機をはじめとした飛行隊各員は本機の直掩ちょくえんを続行せよ。速度を上げ、全機で敵部隊を突破する」


 まるでハープの音色のような、美しく鋭い声が響きました。重みがあり、心そのものに達するような、そんな言葉です。誰が無線の向こうにいるのか、見ずとも分かります。

 しかし、ロナは首を振って、再び繰り返します。


「ブルー1よりアフタヌーンへ。高度を落として速度を上げ、離脱してください」


「ならぬと言っておるのだ、ロナ・アルト!」


 スピーカーがばつんと鳴るほど、それは感情のこもった叫びでした。

 マシレロア王国女王、メリンダ・マシレロアはマイクを掴み、幼なじみを叱りつけました。


「生き延びることを諦めおって。生け贄になる許可など、わらわが出すとでも思うたか」


「お言葉ですが女王陛下。四機ではもう、陛下の機体を守りきれません。盾となる三機と、遊撃を仕掛けて攻撃を分散させる一機に別れたほうが勝機があります」


「それでもじゃ。どうせおぬしは一機の方を選ぶのじゃろうが、いくら腕が立つとはいえ多勢に無勢じゃ。それこそ勝機は無きに等しいものぞ!」


「カランディアの飛行士としての義務を果たさせてください、女王陛下──いや、メリンダねえ


 ノイズまみれのスピーカー越しに、息を呑んだのを感じとって、ロナは続けます。


「約束したでしょう、私は貴女の騎士になり、貴女を絶対に守り抜くと。それを覚えておられるのなら、私の勘が鋭いことも覚えておられるはず」


 今が勝負の分かれ目だと、熟年の勘が言っていました。たとえ死ぬことになろうとも、ここで戦わなければ終わりなのだと。


「ではこうしましょう。私は貴女に再び会うことを約束します。これでどうですか?」


「——その言葉に二言は無いじゃろうな……?」


「私が嘘をついたことがありますか」


 女王はぐっと、口を結びました。

 その隙にひらりと翼を翻し、リリアノラは高度を上げます。


「——ロナ!」


「なに、簡単にはやられませんよ。また後で会いましょう、メリンダ姉」


 どうかご無事で、という言葉を残し、無線はしん、と静まりました。



 お召し機のシルエットを一瞥してから、ロナは機体を戻しました。

 大きく深呼吸。瞳孔が開き、全ての音が消失します。研ぎ澄まされた感覚が、機体の振動から空域を俯瞰します。向けられた殺気、守るべき人への殺気、それらを全て機動へ組み込み、翼は大気を裂いていきます。

 斜め上方からの斜線を横滑りでかわし、その流れで急降下。エンジンカウル、コックピット、燃料タンクと、急所を的確に撃ち抜いて、騎士は再び上昇します。お召し機に向かう死神を下方から食い破り、真後ろで舌なめずりしていた機体を押し出して殺し、血まみれのリリアノラは雄叫びを上げました。


「——行き着く先は、皆同じですよ」


 突き刺さるような殺気を一身に感じ、ロナは少し、笑いました。

 全てのアキュラリベールが、自分だけを睨んでいます。これでよし。


「嘘はついていませんからね、メリンダ姉」





 それから随分と時が流れました。

 アキュラ・マシレロア戦線は大戦の終盤まで争い続けておりましたが、終結した他戦線の連合軍の介入がきっかけとなり形勢は逆転、伸びた補給ラインを潰された神軍は渋々帰っていったのでした。

 女王は単身で連合に出向き、その行動力と外交力で救援を連れてきたのです。国民はおろか、諸外国の首脳までもが彼女を讃え、メリンダ・マシレロア女王は救国の立役者として、いつまでも語り継がれることになったのでした。

 そんな彼女の名前が付いた、メリンダ王立博物館のエントランスには、訪れる人が必ず目にする、ある収蔵品がありました。

 ペンキは剥がれ、ぼこぼこ凹み、お世辞にも美しいとは言えませんでしたが。

 プロペラも翼もピンと伸ばして、静かに余生を送る濃紺の機体。

 立てられた案内板には、「リリアノラ Mk.V ロナ・アルト騎士団長機(実機)」とありました。





(死神はどうぞ、お帰りください おわり)

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