運び屋コトネ

 青空の下、風を置いてきぼりにして、赤い機体が駆け抜けていきました。

 曇り気味なジュラルミンの質感、工業製品というより工芸品というほうがしっくりくる作り。単羽製の機体です。

 細く絞られた機首、雫のような風防、カミソリのように薄い翼。見るからに速そうな、流線型のデザインでした。

 藤代航空製作所の高速実験機、その名前を「天燕アマツバメ」といいます。

 あの戦争に向けて、世の中がゆっくりと歩みを進めていた頃。航空機の平均速度が上がることなんて、容易に予測できました。

 壱式戦「鋭針エイシン」、弐式戦「朱爪アヤヅメ」、参式戦「剛牙ゴウガ」など、やがて単羽国の戦闘機開発を担うこととなる藤代航空製作所は、高速化に伴う機体設計のノウハウ獲得のためにエアレース用の実験機を作ることにしたのです。それが天燕という機体でした。

 実験的に作られたワンオフの大馬力液冷エンジン、高速に適した層流翼、翼に仕組まれた蒸気式ラジエーターなど、速度を出すことを追求した設計は当時にしては先走りしすぎた感じもありましたが、なんとか完成した機体は当時のレシプロ機最速の時速六百八十キロをマーク。エアレースでは惜しくも二位ではあったものの、その速度記録は数年間、世界最速の栄光を手にし続けたのでした。

 天燕で得られたノウハウをもとに、藤代航空製作所は大戦中最速の高速偵察機「鈴音スズノネ」を生み出すことになるのですが、それはまた別のお話。

 ようやく平和になった空にエンジン音を響かせて、天燕を飛ばしているのは銀髪の乙女でした。運び屋コトネといえば、彼女のこと。非公式ではあるものの、お客さんは口を揃えてこう言います。

 コトネは世界で一番速い運び屋だ、と。





「なぜだ! これでもまだ足りないというのか?」

 ばん、と両手を叩きつけて、でっぷり重そうな男の人が怒鳴っていました。

 机の上に置かれたケースには、ぎっしりと札束が詰まっています。相場なんてガン無視の、破格の報酬金額です。

 窓際に立ちつつ、コトネは興味なさそうな目でそれを一瞥し、はあ、とため息をつきました。


「足りないって言ってんじゃん。うちの子は普通の機体じゃないからさ、燃料もオイルもパーツも整備も、馬鹿みたいにお金かかるの。おじさんが出してきたお金の倍はかかるんだよねー」


 そ・れ・に、と手元の紙をぴらぴら振ります。


「運ぶモノがモノじゃん? 危ないブツ運ばせるなら、それも踏まえてお金出していただかないと。そうだなー、これの四倍くれるならやってもいいよ?」


「ふざけるな! ガキの癖におちょくりやがって!」


「あれ、そんなこと言われたらやる気無くなっちゃうんですけどー?」


「お前なんかこっちから願い下げだ! クソガキめ!」


 ばちんとケースを閉め、男の人はどかどかと出て行ってしまいました。

 向こうでガチャン、とドアの音。コトネはぎし、と腰を下ろします。


「……あれだけあれば、今年は仕事なくてもいけたよなー」


 ——実は、彼女は嘘をついたのでした。提示された報酬額は、足りないどころか一年間遊んで暮らせるほど。人間は一度決心しても、時間が経てば迷いが生まれてくるのです。コトネも今まさにそうでした。


「ま、欲に目が眩んじゃいいことないよね。これでよかったのよ」


 堅実に、安全に、人の心を一番に。コトネがこの仕事を受け継いだとき、父親から教わった教訓でした。

 男の人が持ってきた荷物は、クラウライトと呼ばれる希少な鉱物。適切な処置を施すことで、強力な重力場を発生させることができる特殊な性質を持っています。主に飛行艦の動力装置として利用されますが、その希少性と使い道ゆえに、民間人には全く縁のない代物です。

 やたら裕福そうなさっきの彼。わざわざ個人の運び屋にお金を積んでまで、速さ重視で運んでもらいたい理由。足を突っ込んではいけなそうな、危ない香りがぷんぷんします。

 そんなこんなで、ようやくコトネの後悔が薄れてきた頃。

 ドアベルがぶー、と鳴りました。


「おや、戻ってきちゃったかー?」


 ぱたぱたとドアに向かいます。

 コトネがノブを引いたのと、お客さんがドアを押したのはほとんど同時でした。

 黒い影がどん、とお腹に飛び込んできて、二人はそのままひっくり返りました。


「うわっ」


 いてて、と恐る恐る瞼を開けたコトネの前には——。


「あの! わたしを六王子空港までつれていってもらえませんかっ!」


 十歳くらいの、小さな女の子がおりました。



 兄様ひどいんです。わたしに一言も言わずに、勝手にガドュートへ旅立ってしまって。おわかれもないなんて、ほんといじわるな人だと思いませんか?

 キンキン響く貨物スペースに丸まって、女の子——ナツミと名乗りました——はぶつぶつと文句を垂れていました。

 どうやらナツミちゃんのお兄さんが、彼女に何も言わず、ガドュート帝国へ留学しに出発してしまったようなのです。ナツミちゃんが今朝起きた時には、すでにお兄さんの姿はなく……というより、昨日の夜行列車に乗ったようなので、実際にはもっとずっと前に出発してしまったようなのですが。

 枕元にあった手紙には、十年ほど戻らない、と書いてあったようで、ナツミちゃんはとにかくお見送りくらいしたい、とコトネのところへ飛び込んできたのでした。

 確かに、旅客機の出発までに向こうへ着くには、列車や車では到底間に合わないのは理解しているのですが……。


「うちさ、モノを運ぶ仕事だからさ、ヒトは運んでないんだけど……」


「わたし小さいし、丸まっていれば荷物と変わらないと思います!」


「でもさ、安全性とかあるから……」


「お願いします、もう時間も手段もないんです! お姉さんのところしか!」


 なんて押し負かされて、渋々コトネの天燕は空を急いでいたのでした。

 ちなみにお代はちゃんともらいました。なんでこんな大金が、と聞いてみたら、溜め続けたお年玉だそう。親戚がいっぱいいるお家ってやべぇわ。コトネはこっそりそう思います。


「お兄さんと仲が悪いわけじゃないんでしょ?」


「当たり前です! わたしはお兄様をずっと、生まれた時からお慕いしていますもの、いつも一緒にいましたもの! お兄様が木の幹なら、わたしは蝉です!」


「それはなんというか、相当仲良しだね……」


「もちろんです! お兄様が廁に立つときもついていきますし、もう四六時中一緒!」


 あぁ。コトネはなんとなく察しました。





 数時間ののち。

 天燕は見事な三点接地で、アスファルトに車輪を擦り付けました。

 プロペラが止まりきらないうちに、機体側面のハッチがぱかんと開きます。


「ちょっと待って、危ないから!」


「お兄様を探さないといけないんです、ごめんなさいっ!」


 ひょい、と飛び出て、ナツミちゃんはターミナルに向かって走っていきました。

 追いかけるべきですが、操縦桿を手放すわけにもいきません。コトネはああもう! と空を仰ぎました。

 とりあえず、駐機してからエントランスをくぐります。平日だというのに、お客さんはまあまあ多め。靴の音がかつかつとコトネを包みます。

 これはナツメちゃんを見つけるの、相当大変だぞ。コトネがまたしても、頭を抱えていると。


「お兄様!」


 雑音の中でもはっきりと、その声は響いてきました。

 人混みをかき分けかき分け、コトネは進みます。人が少しだけはけてきた頃、ようやく。


「ひどいじゃないですかお兄様! 勝手に出ていってしまうなんて!」


「手紙書いておいただろ、ていうかなんでいるんだ!」


 ——いました。

 ひっつき虫になっているナツメちゃんと、それをひっぺがそうとしているお兄さん。

 コトネはこっそり、柱の裏に隠れます。気分は凄腕諜報員。やってることは不審者ですが。


「あとから言われても納得できません!」


「前もって言ったらお前、絶対ついてくるだろ!」


「もちろん!──ですが、だいじょうぶ!」


「全く大丈夫じゃないんだが?」


「いえ、だいじょうぶです。ついていくなんてこと、わたしはもう言いません」


 そう言うとナツミちゃんは、くっと背筋を伸ばしました。そして、ポケットからなにかを取り出します。


「いつかお兄様とお別れしなければならないときがくること、わたしはわかっていました。だからそのときが来るまでは、お兄様にずっと、思う存分くっついていようと決めたのです。そして、お別れのときに渡すために、これをつくっていました」


 小さな手のひらには、素朴な布で作られたお守りがありました。一生懸命縫ったのでしょう、ステッチはところどころ歪んでいますが、丈夫なつくりです。


「お前……」


 お兄さんは驚いた顔で、それを見つめます。


「これを持っていってください。いっぱい気持ちをこめてつくったので。ガドゥートでもお兄様を……守ってくれるはず」


 涙ぐんだ声でした。伸ばした背筋も、いつの間にか丸まって。気丈な言葉を話していても、やっぱり寂しいものは寂しいのです。

 お兄さんはそんなナツミちゃんの頭をそっと撫でてから、優しく抱きしめました。


「……実はな、俺はやっぱり心配だったよ。いい加減兄離れさせなければならないと思ってこっそり出たんだが、お前一人を残していって本当に良いのだろうか、ずっと考えていた。ここに着いてからもずっと、ひっかかっていたんだ」


 ぎゅっとお守りを握りしめて、お兄さんは続けます。


「お前の声がしたときは心臓が止まるかと思ったよ。とうとう幻聴まで聞こえだしたか、なんて思ったけど、お前が走ってきて我に返った。そして、やはり行くべきではない気がしてきた。お前に行くなと言われたら、俺はそうしていたかもしれない」


 だが、お前はお別れを言いに来たんだ。それで俺も、なんだか安心したよ。

 お兄さんの言葉を、ナツミちゃんは頷きながら聞いていました。


「お守り、ありがとう。大事に持っておく」


「……はい。ぜったいに無事にかえってきてください。約束です」


「もちろん。約束するよ」


 やがて、ぽーん、とアナウンス。行ってくるよ、と手を振って、お兄さんは歩いていきます。

 それを見送るナツミちゃんは、すこし目が赤いものの、笑顔で手を振っていました。

 その目には、もう涙はありません。

 ずびずび鼻をすすっているのは、運び屋の少女だけでした。





(運び屋コトネ おわり)

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レシプロ・フレーム 〜空の短編集〜 そらいろきいろ@魔女コメディ連載中 @kiki_kiiro

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