青い二人の煤けたプラグ

 大人は言います。人はたくさん寄り道して、いろんなことを知って成長するものだと。失敗ばかりかもしれません。全然うまくいかないことに悩んでいるかもしれません。でもそれは経験として積み重なり、次に進むべき道を選ぶための助けとなるのです。だから、失敗はいいものなのです。どんどん失敗するべきなのです。

 ——心からそう思えたら、どんなに楽でしょうか。

 若いうちは、そんな風に諭されてもいまいち納得できませんよね。誰も失敗なんてしたくないものです。いずれ役に立つとは分かっていても、嫌なことは起こってほしくありません。あぁ、やること全部が上手くいけばいいのに!

 さて、ここに失敗を恐れてなかなか一歩を踏み出せない、そんな男の子がおりました。男という生き物は見栄っ張りです。この子もその例に漏れず、持っているなかで一番おしゃれな服装をしていました。いつもはもっとラフな格好というのは内緒です。

 それから、男という生き物は格好つけ屋さんでもあります。この子もさっきから心臓ばくばく、手のひらだって湿りぎみなのをひた隠しにして、爽やかに見えるように一生懸命頑張っていました。

 男の子がここまで男らしくいる理由は、隣を見ればすぐわかります。まぁ見なくとも予想はできますね?

 彼の側には、ふわりと髪をなびかせて、可愛らしい少女がおりました。



 二人はちっちゃい頃からずっと一緒でした。家が隣同士で、同い年の子供がいれば、それはもう幼なじみ。この二人もそうでした。

 男の子の名前はカノ、女の子の名前はモカ。彼らの間には親友とはまた違う、特別な絆がありました。性別の違いなんて関係ないくらい、カノとモカは一緒に遊び、一緒に出かけ、一緒に生きてきたのです。その間、実に十五年の時間が経っていました。





 四発のエンジンが順番に、その身を震わせてプロペラを回し始めます。

 真っ白なボディに、青のストライプ。「フィランディ」という名前が、機首できらりと輝きました。

 ちゃぷんちゃぷんと、足裏から水の声。深く重い旋律が、それにゆっくり重なってゆきます。するりと動き出した機体の底を、水が避けて通ります。

 窓の外には二種類の青色がありました。一つは眼下に広がる、落ち着きのある海の青。もう一つは突き抜けるような、少し眩しい空の色です。

 その色彩が後ろへすーっと流れていって、やがてふわりとくびきを外れ、飛行艇は飛び立ちました。

 カノとモカは二人並んで、窓に顔をくっつけます。きらきら光る水面がゆっくりと遠ざかり、青の他にも白や緑や、たくさんの色が仲間入り。声も出ないほどの煌びやかな景色が広がって、カノは息を呑みました。モカも目を大きく開けて、その全てを見逃さんとしているかのよう。すごいね、なんて言葉を言いかけたカノでしたが、景色が映り込んだ、まるで絵画のようなモカの瞳に吸い込まれて、結局何も言えませんでした。

 そんな二人を乗せた機体は日光を跳ね返し、ゆっくりと旋回します。このフィランディという飛行艇、もともと軍用で旅客用に作られたわけではないのですが、民間に売り払われた際に大規模な改装を受けました。大きなペイロードには座席が設置され、余裕を持たせた強度設計のおかげで窓もいくつか増えました。ゆったりとした機内の雰囲気、名前の由来にもなった美しいデザインが人気を博し、搭乗チケットは他に比べて結構強気。お小遣いで払えるような価格ではありません。ましてや、子供のお出かけ先には全く向いておりません。

 それでもカノが、ずっと溜め続けていた貯金を全て使い切り、二人分のチケットを買ったのには、とある理由がありました。



 気の合う幼なじみ。家族ではない、でも家族のように大切な、一番の親友。ずっと二人でいたいなんて、簡単に考えていた幼い頃が信じられません。今となっては、その気持ちは友情だと己を騙せるほど小さくはありませんでした。

 二人で笑い合っていた。二人で泣いていた。小さな時は目の前の出来事に向いていた視線は、いつの間にか隣にばかり向いていました。

 その気持ちに気付いてからは、それをずっと隠してきました。前と同じように、子供のままで。自分だけが、先に大人になってしまったかのようで怖かったのです。

 もしかしたら、この関係がぷつり、と切れてしまうかもしれない。それだけは嫌でした。そんなこんなで偽りの自分を演じ続けてしばらく経ったとき、ちょうど心が耐えられなくなったのと時を同じくして、カノは気付いたのでした。

 ——これは、モカを騙しているのと同じだ。

 童顔のくせに、カノは男気の強い性格でした。己の弱さのせいで、大事な人に嘘をついているなんて、嫌われるよりも嫌なこと。

 こうして彼は、モカに気持ちを伝える決心をしたのです。後戻りできないように、モカとのお出かけ用貯金を全て使い、考えつく中で一番豪華で、一番モカが喜びそうなデートをすることにしました。

 それはもちろん、気持ちを伝えるのにふさわしいものでもありました。



 空の中でのランチの後、カノとモカは機体後部のラウンジにいました。ここは窓が周りを囲むように配置され、赤く染まり始めた空が一望できます。エンジンからも離れているので、声が通りやすくもありました。

 船があんなにちっちゃかったとか、お昼ごはんがおいしかったねとか、たわいもない話に花が咲きます。少し離れて座っていたおじいさんががちゃりと出ていった音で、そこに少しだけ間ができました。不意に心臓がどきりと跳ねます。

 ああ、今なんだな。カノは察しました。鼓動は一気に早くなります。さっきまで、なんとか普通だったのに。


「カノ、大丈夫?顔色が……」


「大丈夫。あのさ、モカ」


「ん、なあに?」


 ごくり、と生唾を飲み込むカノ。

 怖い。不安。後悔。ネガティブな気持ちが次々と湧いてきました。きゅうう、と胸が締まるよう。

 真っ直ぐなクルミ色の瞳が、カノを見据えます。

 それはとても輝いて見えて、胸の奥で熱い何かが膨らんできて、言おうとしたことを覆い隠そうとするほどでした。

 それを無理やり押さえつけて、カノは口を開きました。


「好きなんだ。ずっと、モカのことが」


「え」


 モカがぴくっ、と震えます。あぁ、言ってしまった。

 思わず目をぎゅっと瞑りましたが、一度流れ出した本心は止まってはくれません。


「辛いときは、僕が一番側で支えたい。ずっと、モカと一緒に居たい」


 まなじりを開きました。目の前には、まるで赤りんごのような、可愛くて思わず目を背けてしまいそうな、そんな顔がありました。

 けれどそれを真っ直ぐ見つめて、カノはずっと言えなかった気持ちを伝えました。


「僕の恋人になってくれないか」





 紅の水面がざばん、と揺れて、飛行艇が戻ってきました。夕日を背に、お客さんが桟橋を歩いてきます。一人はいまだ興奮冷めやらぬ表情で、また一人は満足げな表情で。最後の二人は、何だかふわふわしておりました。

 長く伸びた影はひとつになって、少しだけ歩を早めます。柔らかく、温かい余韻を感じつつ、ちょっとだけ大人びた二人は帰っていきました。



 そういえば、フィランディはこの国の言葉で、コウノトリって意味の名前だそうですよ?





(青く、純粋な心のプラグ おわり)

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