14.今となっては

 品出し中の小夜子がふと目に留めたのは、ある一冊の雑誌であった。

「……なにこれ」

 普段は表紙なんて一切気にも留めずに黙々と作業する小夜子であったが、こればかりは見過ごすことが出来なかった。

「ニノ上昴、野生の色気を解き放て……ぶふっ」

 表紙を飾る文言を読んで、小夜子は思わず噴き出した。小夜子が目に留めたのは一冊のファッション誌で、その表紙を昴が飾っていたのだ。

 表紙に載る昴はシャツの前をはだけさせて、しなやかな腹筋や胸板を露わにし、髪をワイルドに乱して、そこから覗く表情は不敵な、まさに「野生の色気」をコンセプトにした写真であった。

「これ……ふふっ、駄目だ、笑う……」

 小夜子は近くに誰も居ないのをいいことに、表紙の昴を見てくつくつと喉を鳴らして笑っていた。ファンからすれば、セクシーに写る昴など垂涎物だろうが、小夜子からすればあの生意気小僧がこんな格好をしていると思うと、可笑しくて堪らなかった。

「はぁー……ふぅ」

「どうしたの?」

「ひゃいっ⁉」

 なんとか呼吸を落ち着けようと深呼吸していると、突然背後から声を掛けられて、小夜子は甲高い悲鳴を上げた。

 はじかれるように振り向くと、後ろには、職場の同僚である橋本信也がびっくりした顔をしていた。

「ご、ごめん。そんなに驚かせるつもりは無くて……深呼吸してたから、大丈夫かなって思ったんだけど」

「だ、大丈夫、急に話しかけられてびっくりしただけ。むしろ大きな声出してごめんなさい……!」

 未だ心臓がバクバクと高鳴っているが、橋本を動揺させてしまったのが逆に申し訳なく、小夜子は何度も頭を下げた。橋本は苦笑いを浮かべて、小夜子が手にする雑誌を覗き込んだ。

「近くで見てたわけじゃないんだけど、いつも仕事が早い三井さんが珍しく手を止めてたから、そこも気になったんだよね。何を見てたの?」

「あー、いや……その」

「……あれっ、三井さんってニノ上昴が好きなの?」

 表紙を見た橋本の言葉には、意外だな、という意味が含まれているのがありありとわかり、小夜子はなんとか否定したくて首を激しく横に振った。

「いやいや全然、全ッ然好きじゃないけど。本当に偶々、目に留まっただけで!」

「そ、そうなんだ。まあゴシップ絶えないもんね、この人」

 何故こんな頑なに否定されるのかと、橋本は困惑しながらもこう言った。

「この前もゴシップ系の週刊誌の表紙に、名前がでかでかと載ってたし、人気はあるけどけっこうお騒がせな人だよね。でもあんな感じのキャラだし許されてるのかな?」

「……さぁ、どうなんでしょうね?」

 色んな意味で思い当たる節があり過ぎて、小夜子は思わず真顔になった。

 橋本のいうことには小夜子も勿論覚えがあり、昴の存在をしっかりと認識してから、ようやくゴシップ誌の表紙を賑わせる人物と名前が同じであることがわかり、妙に納得したのを覚えていた。

「この人の私生活の派手さって、まさに芸能界の人って感じだよね。なんか、住む世界が違う感じがあるというか」

「……そうだね、私もそう思う」

 小夜子は、表紙の昴に視線を落としながら呟く。橋本の意見には同意したが、言葉の頭に〝前までは〟と付け足すことは、さすがに憚られた。


 その日の仕事を終え、蓬丘書店を出ると、目の前に一台のタクシーが停まっているのが目に入った。小夜子は手にしていたスマホを一瞥すると、そのタクシーに近づいていき、窓を軽くノックした。

「おつ~」

 すると窓が開き、そこから色付き眼鏡と帽子を身に着けた昴が現れた。小夜子は詰めるように手でジェスチャーすると、昴が奥に行ったので、ドアを開けて一緒に乗り込んだ。

「タクシーでお出迎えなんて初めてだけど、どういう風の吹き回し?」

「いやー、今回行く所はちょっと分かりづらい所にあるし、近くを通ったからついでに拾っとくかと思ってね」

「ふうん」

「はぁ、今日はパン一個だけで過ごしたからマジで腹減った。運転手さん、出してください~」

 溜息を吐いて、背もたれに体重を預ける昴の横顔は、少しお疲れの様子で、店で見たあのワイルドな表情とはかけ離れているのが、なんとも笑いを誘った。

「……ね、別にいいんだけど、最近お誘い多くない?」

 笑みを誤魔化すように問いかけると、昴は伸びをしながら眠そうに答えた。

「いや、最近飲みとかメシ食いに行く人が、現場のメンバーとばっかでさぁ。別に嫌じゃないのよ、同業者だから単純に話が合うし。でも俺、オンオフをしっかりしないとしんどくなるタイプで、逆に仕事外でも仕事の話ばっかりされると、疲れちゃうんだよね」

「だから、反動で私みたいな芸能界とはなんの縁も無い人間と、ご飯に行きたくなるってこと?」

「そういうこと~。あと、小夜子は誘ったら基本断んないじゃん。それに、友達付き合いもそんな活発じゃないし、彼氏も居ないし」

「それ以上口走ったら二度と誘えないと思いなさいよ」

「んだよ、他意はねぇって」

 今度は小夜子が溜息を吐いた。昴は美味しくて安い店を沢山知っているから、穴場開拓の為に殆ど断っていないのは自覚していたが、そこまで言われるのは心外であった。

 昴はそんな葛藤など気にも留めず、ぼんやりと呟いた。

「それに、ゴシップも多いしな。聞いてて疲れる」

「昴はゴシップ嫌いなのね。そういうの好きそうだと思ってたけど、なんか意外」

「おーい、俺を一体どんな奴だと思ってんだよ。よく言われるけど」

「だって、イメージ的にそういう話、好きそうじゃない?」

「んなことないって。まあ昔は好き好んで聞いてた時期もあったけど、今は完全に噂される側になっちまったからな、ああ俺もこんな風に噂されてるんだろうなって思ったら、段々避けるようになったな」

「それは、あんたの自業自得でしょ」

 バッサリと切り捨てると、昴は不満そうに反論した。

「別にいいだろ、結婚してるわけじゃないし、浮気や不倫をしたわけでもないのに。こちとらただの恋多き人よ?」

「へー、勝手に浮気しまくりのクズ男だと思ってたけど、意外に最低限の倫理は守るのね」

「おい、言い方悪すぎだろ。そもそも浮気なんて管理するのがめんどいし、既婚者なんてもっての外だろ。他に行きたいと思ったらちゃんと別れるって」

「ふーん……」

 意外と恋愛観は真面目なのだなと、小夜子が感心しかけると、昴は思いだしたように言った。

「あ、でも俺が一夜だけの関係だと思ってたのに、向こうが付き合ってると勘違いして、しっかり拗れたことはあったけど」

「……あぁ良かった、しっかりクズ男で」

 さらりと飛び出す昴のクズエピソードに、小夜子は頭痛を感じながらも、皮肉めいて呟いた。

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