13.盃を交わして

 大塚に連れていかれたのは、一見では中々入れないような、大人の雰囲気が漂う小料理屋だった。昴はこういう店に来るのは初めてでは無かったが、大塚と共にするとなると、つい緊張感で表情が強張った。

「あら、大塚さん。いらっしゃませ」

 カウンターには着物を美しく着こなす女将が柔和な笑みを浮かべて、二人を出迎えてくれた。女将とは馴染みのようで、大塚は手を小さく上げると、何も言わずにカウンターに座った。

「大塚さんは何を飲まれます? いつものでいいかしら?」

「そうだなぁ、折角若い奴と来てるし、ビールでも飲もうか」

「かしこまりました。お若い方はどうします?」

「俺もビールで」

 女将はにこりと笑って、二人分のグラスとビール瓶を用意し、それぞれ注いでくれる。

「乾杯」

 大塚がグラスを向けるので、乾杯するとグラスが小気味よい音を立てた。お互いビールに口を付け、半分ほど飲んでカウンターに置くと、大塚が口火を切った。

「で、なんか俺に言いたい事でもあるんじゃねえのか?」

 唐突に図星を突かれて、昴は面食らった。歯牙にもかけられていないと思っていたのに、その変化に気づかれていたことが驚きだった。

「……よく気づいたっすね」

「そりゃそうだろ、普段は俺のリハーサルなんざ興味もねぇって顔してたのに、今日になっていきなり変な顔して凝視されたら、気にしてなくても気づく」

 はっきりと言われてしまい、昴はばつが悪そうな表情をした。かなり失礼な話なので、本当のことを話すか迷ったが、嘘を吐いても見抜かれるような気がして、渋々本心を打ち明けることにした。

「いやー……この前、勉強の為に、田内の本のオーディオブックを買って聞いてみたんですよ。しかも、大塚さんがナレ担当してるやつを」

「あぁ、そんなことあったな。それで?」

 昴は言いづらそうにしたが、こんな機会でも無ければ理由は聞けないと思い、覚悟を決めて、重たい口を開いた。

「それで……正直な話、俺、大塚さんの演技って一辺倒だと思ってたんすよ。だからあんま尊敬出来ねぇなって思ってたんす。でも、そのナレを聞いた時に、普段の演技とは全然違う、若々しさを感じられて……俺、すげぇショックだったんすよ、なんでこんな演技できんのにやんねぇんだって」

 すると、大塚は切れ目のような瞳をまんまるにして、小料理屋に豪快な笑いを響かせた。

「わははは、いいなお前。俺は馬鹿が嫌いだが、馬鹿みたいに素直な奴は嫌いじゃねぇ。いいだろう、こんなに笑わせてもらったから、話してやる。俺がなんでこうなっちまったか」

 そういって、大塚は半分残ったビールのグラスをゆっくりと置いた。


 大塚が駆け出しの頃、鳴かず飛ばずの時代が長くあったが、ある時ドラマの脇役で昭和の頑固親父を演じると、それがあまりにリアルでハマっていたらしく、そこで初めて彼の役者人生にスポットライトが当たった。

 それからは何をやるにも頑固おやじ役を求められ、たまに出たバラエティでも、そういったキャラクター性を求められるようになった。当時は仕事があるだけでも嬉しく、来たオファーは全部受ける勢いで、仕事に没頭していった。

 だがある時、彼はそんな生活に満足していない自分に気づいた。

 苦労した時代が長かったのもあり、求められることは嬉しかった半面、どうにか自分の型を破れないかと、それなりにキャリアを重ねたあと、違うキャラクターを演じたこともあった。だが、時は既に経ち過ぎていて、役が合っていない、キャラクターとズレると、世間からの目は冷たかった。

「あれは悲しかったよ、あの時俺は、役者としてじゃなく、ただのキャラクターとして見られていたんだってな。まぁ、老いぼれがチャンスを掴むには遅すぎたってことさ」

 ぼんやりと呟いて、大塚はビールを飲み干す。神妙な顔で聞いていた昴は、ビール瓶を取って大塚のグラスに注ぎながら、静かに言った。

「……俺は、そういうのが嫌で、事務所が俺と似たキャラの役を推してきても、わざと断ってます。キャラクターが固定したら、演っててもつまんねぇし、役者として死んでるのと変わんないっすよ」

「ハハ、俺なんざ老いぼれどころかただの死人か。まぁ、だからこそ、お前には俺みたいになってほしくないんだよ。そこら辺の有象無象共にちやほやされたからって、あんまり天狗になるなよ? 折角いい演技が出来るんだからよぉ」

 思いもよらぬ忠告と誉め言葉に、昴は動揺した。

(なんだよ、俺はガキみたいに目の敵にしてたのに。馬鹿みてぇ……)

 今まで敵対視していたはずの大塚が、そこまで考えていたのだと知ると、自分の浅はかさが、急に恥ずかしくなった。

「いいか、この業界には、蛇がうようよいやがるんだ。お前みたいに旨そうな餌を見つけると、食い尽くすだけ食い尽くして、飽きたらポイ、が当たり前なんだよ。だから、食い尽くされる前に、賢くやらなきゃなんねぇぞ?」

 すると、昴はいよいよ自己を保てなくなったのか、へなへなとカウンターに突っ伏した。

「いや、悔しいっす俺。ダセェと思ってた先輩に、俺が一番ダセェことしてたって気づかされるなんて」

「ははは、あんまり凹むな。お前のその馬鹿正直なキャラクターは間違いなく武器にもなるんだ、突き通すのもまた一興だろ。ただ、せっかく武器があるんだから、上手く使えってことだよ。お前に我を通す力があるのは分かってるから、間違った使い方をしなきゃ、付いてくる奴は必ず居るさ。気張れよ若人!」

 ドンと背中を叩かれ、昴はびっくりしたあと、小さく笑って頭を下げた。

「……ありがとうございます。じゃあ、俺がこのままのし上がっていって、映画で主演張れるくらいになったら、大塚さんに友情出演してもらっていつもと全然違う役演じてもらうんで、その時までちゃんと生きといてくださいよ」

「なんだと、凹んだかと思ったら軽口叩きやがって!」

 大塚は嬉しそうに笑う。昴もつられて笑うと、ついでかのように言った。

「あと、女遊びは何があっても絶対にやめないっす」

「それは止めろなんて言っとらん、芸の肥やしだからどんどんやれ。……でもなぁ、お前は絶対、将来のかみさんに尻に敷かれるタイプだぞ」

「いーやいや、それはマジでありえないっす。結婚するならちょっと控えめな子が理想なんで!」

 その後は酒を飲みつつ、芸能界や演技、はたまた大塚との女遊びトークに花が咲き、二人の飲み会はそこそこ盛り上がった所で終わりを迎えた。

 店を出ると、既にお抱えの運転手が店の前に車を停めていて、大塚は財布から一万円を出すと、昴に渡した。

「ほら、今日はタクシー呼んで帰れ。じゃあ、次の現場でな」

 大塚はそういうと、運転手に促されるまま後部座席に乗って、夜の街へと消えていく。昴は大塚が乗る車をじっと見つめた後、深く頭を下げて、姿が見えなくなるまで続けた。


「あ、大塚さん。おはざーす!」

「おう、おはよう」

 翌日の現場、昴と大塚は、昨日の険悪な雰囲気とは打って変わって、明るく挨拶を交わしていた。スタッフ達や周りの演者も、この二人の軋轢はなんとなく察していただけに、その代わり様にかなり驚いていた。

 勿論、直々に聞いていた玲奈も驚いていて、昴に駆け寄ると、潜めた声で問いただした。

「ニノ上さん、大塚さんと仲良くないって言ってたじゃないですか。一体どうしたんですかっ?」

 興味津々な眼差しを向けられ、昴は小さく笑みを作った。

「別に何かあったわけじゃないけどさ。男同士って、時には腹割って話すのが大事ってコトだよ」

  

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