12.持ち腐れ

 あれから隙を突いては小夜子に朗読を頼んでみたものの、見事に断られてしまい、昴は意気消沈のまま自宅に帰った。

「……しょうがない。これも役作りの為だ、腹を括れ俺!」

 一人暮らしには聊か勿体無い程大きいソファに腰かけ、昴は自分を騙すように決意すると、現場でインストールしたアプリを開いた。一応ブックマークしていた田内の本を、葛藤で震える指で、購入ボタンを押す。

「さてさて、どんなナレーションなのやら……」

 イヤホンを耳に装着して、再生ボタンを押すと、程なくして大塚の掠れ気味な低い声が流れ始めた。

(どうせ、いつもみたいに頑固親父の演技しか出来ないんだろ?)

 テレビや映画で観る大塚は、いつも頑固で一本芯の通った、まさに昭和の男を演じていて、ハマリ役といえばそうなのだが、逆に言えばそういったタイプの演技しかしないのだ。

 いくらナレーションといえど、その部分は消えないのだろうと昴は思い、音声に耳を傾けた。

『……幼少期の田内は、仕事で多忙な父に、お前が病弱な母を一人で支えるのだと命じられました。そして、父との約束の通り、田内は必死に母を看病していたと、後世に発見された日記に残されています』

 冒頭のエピソードは、田内の幼少期の話だ。近年発見された田内の日記により、彼がどんな幼少期を過ごしたか、岡野に出会う前はどんなことをしていたのか、そして、岡野と出会って彼に忠義を尽くす間、どんな思いであったのかが、赤裸々に綴られていた。

 昴はそれを聞いている間、何故か強い違和感に苛まれていた。

(……おかしい。なんで、こんなに不安定な声に聞こえるんだ。あんたはもっと芯の通った、まさに頑固親父ってタイプの人だろ。なのに、なんでこんな……)

 大塚はあからさまに声色を変えたわけではないが、彼の掠れた声には、ある種の危うさを感じ、まるで別人が喋っているような感覚に陥った。

 何故こんな演技をするのか、そもそもこんな演技が出来たのかと、二重の驚きが降ってわき、昴は思考が止まるが、ふと、あることを思い出して、すぐ合点がいった。

(……そうか。この人は、田内の生涯を演じているのか)

 田内は幼少期、必死に看病した母を、結局病気で亡くしてしまうが、その後、岡野が一番田内を必要としていた時に、母と全く同じ病に掛かり、その生涯と閉じると記されている。

 大塚は、そんな彼の儚くも光に満ちた生涯を、不安定に感じる程に若々しく表現できるのだと理解し、全身が粟立った。

 そして同時に、強い憤りを覚えた。

「……なんでこんな、いい演技できんのに、やんねぇんだよ」

 こんなに素晴らしい演技が出来るのに、大塚が演じるのはいつだった同じ役処だ。才能を持ち合わせているというのに、何故そんな勿体ない事が出来るのかと、昴は腹立たしくなった。

(……これは、俺が聞いちゃだめなものだ。意識しなくても、きっと演技が〝これ〟になっちまう。同業者に役のイメージを作らせるなんて、死んでもごめんだ)

 昴は堪らずイヤホンを外すと、一瞬目を閉じて、深呼吸した。目を開けると、端に追いやった田内の本を手に取って最初のページを開き、自分の声で、田内の生涯をなぞりはじめた。


 翌日。今日は昼からリハーサルがあり、昴は、セットの中で槙野と対峙する大塚のリハーサルを黙って見ていた。

「岡野、お前は何故分からんのだ!」

 大塚の怒号が響き渡り、演技と分かっていても、その場にいる全員が緊張感に息を呑むほどの迫力で、さすがの歴を感じられた。それに呼応するように、槙野の演技も引き出されていき、演技を通じて切磋琢磨しているのが見て取れた。

 近くに居たスタッフ達も、声は発せないが、彼らの演技に感銘を受けて、それを共有するように、笑みを浮かべながら目を合わせていた。

 だが、昴はそれを、厳しい眼差しで見ていた。

(勿体ねーな、あの人)

 昨日のあの演技を聞いてしまえば、大塚が、自らが持っている才能を捨ててしまっているようにしか見えず、どうしても納得できないでいた。

 大塚はきっと、様々な役を演じられるはずだ。それなのに、それを必要としない芸能界も、自ら無いものとしてしまう大塚にも嫌気がさした。

 その後、何度かそのシーンを繰り返して監督との擦り合わせが終わると、昼時ということもあり、休憩が挟まれた。

 昴は楽屋に戻るかと踵を返そうとすると、

「おい、ニノ上」

 と、呼び留められた。

 振り返るとそこには大塚が居て、昴はつい表情に驚きが滲んだ。今まで話しかけられたことなど殆ど無く、強いて言うならあの時吐かれた嫌味以来だった。

「な、なんすか」

 あまりに急で、いつもの猫かぶりでは無く、素の反応をしてしまう。大塚は気にせずに、昴を見下ろして言った。

「お前、今日の夜、空いてるか?」

「え?」

「だから、夜の予定を聞いてんだよ。どうなんだ?」

「ああ、えーっと……なんも無いっすけど?」

 何故そんなもの気にするのだと思いながら答えると、大塚は一瞬何かを思って、その後昴の肩をぽんと叩いた。

「なら、今日の夜、飲みに付き合え。一人でな」

「……はいっ?」

 突拍子が無ければ、拒否権も無さそうな誘いに面食らうが、大塚はそれ以上語らずにすたすたと楽屋に向かってしまい、昴は呆然とその後ろ姿を見送った。

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