15.酒気薫れど
程なくして店に着き、その店構えを見た瞬間、小夜子は開いた口が塞がらなかった。
「……ちょっと、なんか凄く高そうなお店なんだけど?」
「まあ、芸能人御用達の店だからな、ここ」
「なんでよ⁉」
昴はさらりと言うので、小夜子はかなり動揺した。最初に昴と行ったレストランよりも、かなり入り組んだ分かりづらい場所にあり、黒を基調にした壁と、扉付近にシンプルな照明と木の看板が一つあるだけという、あまりの潔さが、高級感を演出していた。
「とりあえず入ろうぜ」
色々問いただしたかったが、昴が先に行ってしまうので、小夜子はその後ろ姿を慌てて追いかける。扉を開けると、かっちりと決めたスタッフが入口で二人を待ち構えていて、明らかに正規のルートではなさそうな入口横の扉を開けると、その奥へと案内された。
「……ねぇ、今までずっと下町の馴染みの店だったのに、なんでこんなお洒落なお店になったの?」
前を歩くスタッフに聞こえないよう耳打ちすると、昴は事もなげに言った。
「いや、大した理由でも無いけど。撮影も順調に進んで注目度も高まってるから、それだけ週刊誌に狙われやすいわけ。それで、事務所から絶対に撮られるなって指令が出てんのよ。だから、一応こういう店を使おうかなとね」
奢るから心配するな、と見当違いな心配までされ、小夜子は納得せざるを得なかったが、やはりこういった店が醸し出す空気が落ち着かず、席に着くまで足元がふわふわしていた。
個室に案内され、スタッフはごゆっくりどうぞと恭しく頭を下げた後、退出する。席に着いた昴は、早速メニューを開いた。
「前来た時、何食ったっけなぁ。生ハムとか美味かった気がするけど……おーい、小夜子?」
「ッな、何?」
正面に座る小夜子は突然名前を呼ばれ、びくりと肩を跳ねさせる。あまりの落ち着きの無さに、昴は弱点を見つけたとばかりに、口元に笑みを浮かべた。
「分かった、高級店だからって、また緊張してんだろ?」
「き、緊張っていうか、こういう所はどうしても落ち着かないの。しょうがないでしょ、あんたと違ってこっちは一般庶民なんだから……!」
「ははは、そういう可愛いとこあんのね」
「いいからほっといて!」
あからさまにからかわれ、小夜子はつんとそっぽを向いてしまう。昴は可笑しそうにけらけらと笑って、宥めるように言った。
「まぁまぁ、小夜子も明日休みなんだし、俺も明日は貴重なオフだから、ぱーっと酒でも飲みましょうよ」
「どういう文脈よ。……ねぇ、私あんまりお酒飲まないから分からないんだけど、この中だったら何が飲みやすい?」
「んー、そうだなぁ。飲みやすいのが良いならカクテルでもいいんじゃない?」
「なるほど、じゃあ……オペレーターにしようかな。良く分かんないけど」
「いいんじゃない、俺も良く分かんねぇけど。俺はビールにしよ~」
その他つまみになるものを色々と頼み、グラスがぶつかる音を皮切りに、二人だけの宴会が始まった。
その後は、本当に他愛のない話をした。
この前行った美容院の話、実家で飼っている犬の話、最近周りで局地的に流行っているものなど、とりとめのない話をいくつもした。
小夜子は仕事の話をいくつかしたが、昴はそれを聞くだけで、彼から仕事の話を聞くことはなかった。昴は、本当にこの飲み会に息抜きで来ているのだと思うと、小夜子はなんだか不思議な気分になった。
まだ出会ってから数ヶ月の仲だというのに、共通点がまるでない二人が、何故、数年来の仲かのように食事を共にしているのだろうと、時折我に返るのだ。
だが、昴と顔を突き合わせれば、軽口を叩き合う関係が、小夜子は嫌いではなかったので、何も言わずに、流れるまま食事と会話を楽しんだ。
「……おーい」
「……」
「駄目だこりゃ」
宴会は終盤を迎え、酒も食も進んだ頃。昴は呆れた顔で小夜子を見ていた。
「……っひっく」
久々の酒なのと、頼んだのが飲みやすいカクテルというのが悪い方に作用し、小夜子は自分のキャパシティを把握できず、泥酔してしまった。顔を真っ赤にして、小夜子は朧気な表情を浮かべていて、昴は慣れた手つきで意地でも離さないグラスを奪い取った。
「あーあー、ほら、水飲めって」
「うー……」
不満げな小夜子に水を渡すと、それをちまちまと飲み始める。辛うじて意識はあるようだが、境目はかなり曖昧なようだ。
「しゃーない、もうお開きにするか。立てる?」
「……ぎりぎり」
小夜子は恐る恐る立ち上がるが、足元が大分おぼつかず、仕方なく腕に捕まらせて立ち上がった。
店の裏手から予め呼んでいたタクシーに乗り込んで、聞いていた小夜子の住所を伝えると、タクシーは走り出した。
気づけば日付を超えていたらしく、寝静まった街中を、誰も話さないまま進んでいく。小夜子はアルコールの所為で眠いのか船を漕いでいて、昴は外の景色をぼんやり眺めていた。
カーブに差し掛かると、車体がぐらりと揺れる。すると、身体が思うように動かないのか、小夜子はバランスを崩して、昴の肩に突っ込んでしまい、受け止めさせてしまった。
「あ、ごめん……」
邪魔になってしまうと思ってなんとか起き上がろうとするが、昴は気にした素振りも見せず、静かに言った。
「そのままにしてろよ、そっちの方が楽だろ」
「……ありがと」
そんな返答が返ってくるとは思わず、小夜子は若干酔いが醒めた。
正直、いくら昴といえど男性に密着するのはさすがに気まずい気持ちがあったが、本人が全く気にしていないのでまあいいか、と酒で鈍った頭でそう納得してしまい、小夜子はそのままこてりと肩に体重を預けると、目を閉じた。
静まり返った住宅街の自宅マンション前に着いた小夜子は、先に降りた昴に支えられながら、なんとかタクシーを降りた。
「よいしょっと……なぁ、一人でちゃんと自分の部屋まで着けるか?」
「まあ……ギリ転ぶかもしれないけど、大丈夫」
「それは大丈夫って言わねぇよ。部屋の前まで付いてくか?」
「そこまでは悪いし、大丈夫。ありがとう」
小夜子は口元に微かな笑みを浮かべる。だが、いつまで経っても身体がふらふらしていて、昴は耐えきれないように笑った。
「ウケるわ、めちゃくちゃふらふらしてんじゃん」
「大丈夫だってば」
「わかったわかった。じゃあ、転ぶなよ?」
そういって、昴は幼い子供にするように、小夜子の頭をくしゃりと撫でた。小夜子は赤らんだ顔をむっとして、その手を払いのけた。
「ちょっと、子供扱いしないでよ。……じゃあまたね、今日はご馳走様」
「ん、気を付けろよ」
昴は手を振ると、停めていたタクシーにまた乗り込んで、走り去っていった。
小夜子は依然ふらふらと落ち着きが無かったが、ゆっくりと振り返ると、自身のマンションへと入っていった。
たった今のやり取りを、暗がりからレンズで覗かれているとも知らずに。
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