10.光明と影

 ドラマのリハーサルは順調に進み、それに合わせてスタジオには本格的なセットが出来上がったようで、今日は初めて、セットの中でのリハーサルが行われた。

「うおー、すげぇ気合入ってんな。さすが、超人気の歴史ドラマシリーズって感じだな」

 昴は現場に到着した瞬間、つい感心してしまった。金と労力を惜しむことなく全て注ぎ込まれたセットや小物に、現場全体の強い熱量を感じて、モチベーションがぐんと上がった。

(俺は、今からこの世界に入って演技をするんだな。いいね、楽しくなってきた)

 わくわくが抑えきれず、セットに見惚れていると、不意に遠くからスタッフ達の威勢のいい挨拶が聞こえてきて、そちらに視線を向ける。

(……げっ)

 入口付近には、前に嫌味を言ってきたベテラン俳優の大塚が居て、昴はつい顔を歪めた。周りのスタッフたちはみな、大塚の機嫌を取ろうとへらへらした笑顔で挨拶をしていて、昴は溜息を吐く。

「……あっ、大塚さんおはようございます~」

 ぱっと表情を変え、自身もスタッフと同じような媚びの入った笑みを見せて、大塚に近づいていった。内心反吐が出ていたが、今後長い時間を共にすると考えれば、こうしなければ平穏は訪れない。

 だが、そんな気遣いなど意に介さないように、大塚は昴を一瞥もせずに、

「おう」

 とだけ返した。

(オイオイ、さっきまでスタッフと談笑してた癖に、俺には目もくれねぇのかよ!)

 昴は笑顔を湛えたまま、唇を引きつらせる。しかも、大塚はその先に居た他の俳優や女優にはにこやかに話しかけていて、苛立ちが余計助長された。

(……いや、そんな事で苛ついても人生を無駄にするだけだ、落ち着け、俺。とりあえず座ろう)

 荒ぶる気持ちを落ち着かせるように、セットの端に置かれた休憩用の椅子に腰かける。台本を一通り確認してから、ついでにお守りのように持ってきた田内の本を、なんとなしに開いてみた。

「……ウッ、眠気が」

 あれから一ページずつでも読めないか試してみるものの、やはり頭に入って来ず、これこそ人生を無駄にしているだけではないだろうかと、変に悟ったようなことを思った。

 たった一行読んだだけで強烈な眠気が襲い、これではリハーサルに支障が出ると速攻で本を閉じると、溜息を吐く。

 俺は一生本が読めないままなんだろうか、とさして困りはせずとも、そんな地味な悩みに苦しめられている自身が、少しだけ情けなくなった。

「おはようございます、それって何の本ですかぁ~?」

 すると、可愛らしい女性の声が聞こえてきて、昴は声の方を振り返ると、辛気臭い顔が、一気に華やいだ。

「やぁ玲奈ちゃん、おはよう」

 ハートマークが付いていそうなほど甘ったるい返しをすると、玲奈こと、女優の志賀玲奈はゆるく巻いた茶髪を揺らして、可愛らしい笑みを浮かべた。

 彼女は今年の春に放送されたCMで注目度が上がった女優で、今回は脇役のねね役として共演することになっていた。

「これはね、俺が演じる田内景親について書かれた本だよ。勉強の為に読んでるんだけど……」

「え~、ニノ上さんって勉強熱心な方なんですねぇ。尊敬します~」

 のんびりとした喋り方で褒められて、昴はますますキメ顔になっていく。

「ははは、でも俺、活字を読むのがどうしても苦手でさ、結構苦戦してるんだよね。あっ、そうだ。良かったらさぁ、玲奈ちゃんがこの本を朗読してくれないかな? お礼にご飯でも奢るからさ」

 少し冗談交じりに言い、ジャブを打ってみると、玲奈は口元に手を当ててくすくすと笑った。

「あはは、ニノ上さんって面白い人ですねぇ。私なんかに頼まなくても、やってくれる人なんていっぱい居ますよぉ」

 天然なのか計算なのか分からないが、強く否定も肯定もされず、そのままのらりくらりと躱されてしまった。

(この子……やるな)

 受け答えを聞いた瞬間、昴は笑顔を崩さないまま、心の中で玲奈は世渡りの上手いやり手の女だと判断した。

「でも、最近は漫画とか、あとはオーディオブックなんかもありますよね。そういうので聞くのもいいんじゃないですかぁ?」

「あー、オーディオブック……それも友達に勧められたんだけど、結局聞かなかったな」

「折角ですから、今調べてみましょうよ」

「そうだなぁ、じゃあ調べてみるか」

 ポケットからスマホを探ると、オーディオブックのアプリを適当に探してインストールして、昴が持っている田内の本のタイトルを入力してみる。

「あっ、あった……マジか」

 意外にもオーディオブックは存在し、昴は一瞬喜びかけるが、すぐさま表情が曇った。不思議に思った玲奈がスマホを覗き込むと、驚いた表情を浮かべた。

「あれっ、この本のナレーターさん、大塚さんじゃないですかぁ」

 昴はすぐさま、視線の先で俳優たちと談笑している大塚を睨みつけた。よりにもよって何故こいつなのだと思わずには居られず、玲奈と会話した事で得られた癒し効果が、ものの数分で消し飛んでいった。

「それにしても、凄い偶然ですねぇ。ちょっと、運命感じちゃいます」

「……運命って言っても、俺にとっちゃかなり最悪な運命だけどね」

「えっ、なんでですかぁ?」

「俺、大塚さんと仲良くないからね。さっき挨拶したら、物凄い塩対応されたし」

 すると、玲奈は先ほどよりも大きく目を見開いた。

「そうなんですかぁ? 私が知ってる大塚さんは、演者だけじゃなくてスタッフさんにも公平に気を配ってくださるから、ちょっと信じがたいです……」

 どうやら、玲奈と昴が抱く大塚像にはかなりの乖離があるらしい。昴はやさぐれた顔をするが、玲奈は困ったように笑みを浮かべた。

「でも、好き嫌いは置いておいて、絶対勉強になると思うんですけどねぇ……」

 フォローしてくれたが、大塚がナレーションを担当している以上、全く聞く気になれず、折角見いだせた光明に再び影が差し、昴は項垂れた。

  

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