8.再戦

リハーサルが終わり、次の仕事であるファッション誌の撮影スタジオに向かう車内。

「あの大塚とかいうじじぃ、俺より演技が下手な癖に、年寄りだからって偉そうにしやがってよぉ」

「そういう態度だから天狗だと言われるんだ、馬鹿」

「馬鹿はあっちだろ、実際、今売れてんのは俺の方だし」

 マネージャーには無感情に言い返されたが、昴は聞く耳を持たない様子で口答えし、運転席から溜息が零れるのが聞こえた。

「大体よ、判子みたいに同じ役しか演じられないような、つまんねぇ役者にどういう言われたくないね」

「……まあ、大塚さんが似たような役しか演じないのは事実だが、だからといって芸能界の大先輩なんだ、礼節はきちんと弁えろよ。拗れたら後が怖いぞ」

「そんなん分かってるって。だからマネージャーにしか愚痴れないのー」

 子供の様にむくれた昴は、後部座席の窓に頭を寄せる。昨夜の苛立ちも抜けきらない内に、別のトラブルが舞い込んできたことで、昴の胸中は嵐のように荒れていた。

(大体、元はといえばあの女が悪いんだ。あいつにムキになった所為で今回遅刻したんだから、実質あいつの所為だろ)

 今度は小夜子にまで怒りが飛び火し、昴のイライラは収まることを知らなかったが、ふと、何かを思いついたように目が見開かれる。そして、ニヤリと笑みが浮かべられた。

「……おい、早まるなよ」

 その瞬間を目敏く見ていたマネージャーは、とてつもなく嫌な予感がして、とりあえず釘を刺す。昴はマネージャーに目をやると、にっこりと笑った。

「大丈夫だって、じじぃには手は出さないよ」

「……“には”、という所がかなり引っ掛かるが?」

「はははは」

 下手くそな笑い声をあげると、先ほどまで損ねていた機嫌を急に取り戻し、鼻歌すら歌い始めた。これ以上突っ込んでも何も話してくれそうになく、マネージャーは、これ以上は知らない方がいいと、追及を諦めた。


 その日の夜。日が高い時はそれなりに客が居る蓬丘書店も、段々と客足が落ち着いてくる時間帯で、小夜子は退屈そうな顔でレジに立っていた。

(お客さん、大分少なくなってきたな……暇だ)

 昨夜のいざこざなどすっかり忘れ、ぼんやり考えていると、初老の穏やかな男性が近づいてきた。男性は小夜子と同じエプロンを身に着けて、名札には店長と書かれていた。

「三井さん、ちょっと早いけど、そろそろ上がっていいよ」

「えっ、いいんですか?」

「うん、この前急にバイトの子が休んじゃった時に、無理言って代わりに出てもらったし、明日は折角のお休みなんだから。ゆっくり休んできてね」

 柔和な店長の笑顔に、ふと心が落ち着いて、小夜子は自然と笑顔になった。

「ありがとうございます、では、お言葉に甘えさせていただきます」

「はいはい、じゃあお疲れ様~」

「お疲れ様です」

 頭を下げて、小夜子はレジから出る。退勤する前に、教育係を任されている最近入ったバイトの子に、一応声を掛けておこうと、その子が仕事している所に行こうとすると、ふと背後から声を掛けられた。

「あのー、すみません。ちょっといいすか?」

「はい、どうされま、し……は?」

 客かと思い、小夜子は振り向いて笑顔で対応しようとするが、その顔はみるみる内に真顔になっていった。

「な、なんであんたがここに……!」

「やっほー、昨日は色々とどーも、サヤコさん?」

 背後に居た人物は、帽子、色付き眼鏡、マスクと変装はしていたが、間違いなくニノ上昴であった。求めても居ないのに、ご丁寧にマスクを少しずらして素顔を見せてくれて、小夜子の接客用の笑顔がどんどん歪んでいった。

「ふざけないで、あんた何しに来たの!」

 睨みつけながら小声で怒鳴ると、昴は可笑しそうに喉をくつくつと鳴らした。

「いやー、昨日の礼も兼ねて、その本気で嫌そうな顔を見に来ただけだよ?」

「はぁ?」

 嫌味しかない言い方に、小夜子が思わず声を荒げると、昴はまた可笑しそうに笑った。

「ははは、そうそう。俺が見たかったのはその顔」

「……あんた、相当性格悪いでしょ」

 もはや溜息しか出ないほどのクズ発言に、小夜子は頭がくらくらする。昴はそんな姿を見てけらけら笑っていて、どうにかして追い出さなければ、と思った時、別の場所から視線を感じた気がして、ふとそちらの方を向いた。

「……ね、あれ……じゃない?」

「えー……けど……みる?」

 そこには、部活帰りらしき女子高生二人組が居て、こちらを熱のこもった視線で見ていた。どうやら昴の正体に感づいた様子で、話しかけたそうな顔をしていた。

 すると、昴もその子たちの熱烈な視線に気づいたようで、振り返ると、にこりと笑みを浮かべて、ひらひらと手を振った。

「きゃあ!」

 一気に声色が色めいて、女子高生達は顔を見合わせると、今にもこちらに駆け寄ろうとしている。

「……ちょっとこっち来て!」

「はっ、なんだよ?」

「いいから!」

 ここで声を掛けられたら、客が少ない時間帯とはいえ、確実に面倒が起きると即座に判断した小夜子は、昴の手首を引っ掴むと、女子高生達に囲まれる前に、バックヤードに引きずっていった。

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