6.反転


「失礼します……ってあれ、女の人は?」

 小夜子が出ていって間もなく、デザートを持ってきた店長が、一人残された昴を見て不思議そうに言った。

「なーんか、ちょっと攻め過ぎたかも?」

「何、怒って帰っちゃったわけ?」

「うん。いやー、失敗しちゃったな。普段芸能界の女の子ばっかり相手してたから、たまにはああいう大人しそうなタイプと寝るのも悪くないかなって思ってたんだけど」

「……わー、最低」

「なんでよ、これも俺の大事な人生経験の方法よ?」

 悪びれもせずに言うので、店長は溜息を吐く。

椅子に体重を預けていた昴は起き上がると、自身の財布から一万円札を数枚抜いてテーブルに置き、代わりに小夜子が置いていった一万円札を手に取った。

「ゴメン店長、デザートはキャンセルしといて。お詫びに釣りはいらないから」

「それはいいけど、これからどうすんのさ」

「そんなもん、あの子を追いかけるに決まってんじゃん」

「今から追いかけんの?」

「そりゃそうよ、女の子は男に追っかけて欲しい生き物なんだから」

 へらへらした笑みを顔に貼り付けて、昴は本を手に取ると、店を後にした。

「……全く。悪い子じゃないんだけど、女癖がなぁ」

 それを見送った店長は、また深い溜息を吐いた。


 静まり返る夜の街を、早足で歩きながら、小夜子はやり場の無い怒りを持て余していた。

(あー、むかつく! こっちが一般人だからって、簡単にモノにできると思われたなんて、屈辱もいい所よ! こんな人なら、夜遅くまで待ってるんじゃなかった!)

 胸中でどれだけ悪態をついても、怒りは収まるどころか時間が経つごとに増していく。最初は動揺が勝っていて、昴の前ではあんなかしこまった言い方しか出来なかったのが、今になって心残りになっていた。

(折角料理が美味しいお店だったのに、怒りでどんな味だったか忘れちゃうし、デザートは食べ損ねるし、最悪だ……)

 それが一番残念でもあり、小夜子は溜息を吐く。

「……ねぇ、ちょっと!」

 すると、後ろから声を掛けられて、ぎょっとして振り返ると、昴がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

「な、なんですか。まだ何か用ですか?」

 今度は隠すまいと、嫌悪感が剥き出しな声色で言ったが、昴はそんなもの気にも留めず、小夜子の隣にやってきた。

「いやいや、さっきはちょっと強引で悪かったなと思ってるんだよ。せめてお金返したくてさ」

「別に返して欲しくないので、大丈夫です」

「そんなこと言わずにさ、ほら」

 昴は小夜子の手を掴むと、折り畳まれた一万円札を握らせる。それすらも嫌だったが、小夜子は睨みつけるだけで収めた。

 だが、昴にはまるで効いていないどころか、それを面白がるように、へらへらした笑みが更に深くなった。

「はは、めっちゃ睨むじゃん。ごめんって、そんなに嫌がると思わなかったんだよ。さっきのは急すぎたからさ、今度はゆっくり関係を深めていかない?」

 はっきりと拒絶されたにも関わらず、懲りていないのか、昴はそっと小夜子の肩に腕を回す。

瞬間、小夜子は堪忍袋の緒が切れ、勢いよく回された腕を振りほどいた。

「いい加減にしてよ、私が地味な女だからって、雑に押せば行けるとでも思った? 騙されなくて残念だったわね! 役作りの為か知らないけど、そもそもやってることが物凄く最低よ!」

「……はっ?」

 図星を突かれたのか、薄ら笑いが貼りついた昴の顔が、微かに歪んだ。

「あいにくだけど、下半身でしか芸を磨けないような人と、どうこうなるつもりなんて無いから!」

 ハッキリと言い捨てて、小夜子は去ろうとするが、それを、昴が手首を掴んで制した。

「おい、言わせとけばごちゃごちゃ言いやがって。お前、自分が地味な女だって理解してんなら、俺みたいな人間に相手してもらえるだけありがたいと思えよ!」

「はぁ? 女に言い返されてそんな簡単にキレちゃうようなあんたに、そんなご立派な価値あると思ってるの? 随分おめでたい頭してるのね!」

 売り言葉に買い言葉で、いい大人がしていい喧嘩だとは思えないような言い合いを繰り広げ、二人は睨み合う。

 先ほどまで和気あいあいと食事をしていた二人はどこへやら、まるで鍔迫り合いをしているような攻防に、二人の瞳の間には、見えない火花が散っていた。

 すると、その横を、偶然にも一台のタクシーが通りがかった。小夜子はそれに気づくと、慌てて手を上げた。

「助かった、タクシー!」

「あっ、お前逃げる気だろ!」

「逃げるって何よ、そもそも私は帰る所だったし、一刻も早くあんたの前から去りたいの!」

「それが逃げるって事だろーが!」

 この期に及んで未だに口喧嘩をしている傍で、空車だったタクシーはその場に緩やかに止まり、自動でドアが開かれる。

「じゃあね、もう会うことは無いだろうけど、精々これからも女の尻追っかけてなさいよ!」

 小夜子は捨て台詞を吐くと、昴の言葉を待つ前に、タクシーに乗り込む。

「なっ……おい!」

 昴は走り去るタクシーを目で追うと、言われっぱなしのままの苛立ちを消化できず、近くの電柱に拳をぶつけた。

「……腹立つ、あの女!」


 この時、全く同じタイミングで、苛立ちを募らせた小夜子が、タクシーの中で、

「……ムカつく、あの男!」

 と思わず口に出し、運転手を驚かせてしまったことを、昴は知らない。

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