5.麝香


 タクシーで揺られて十数分、昴が連れて行ったのは、大通りから外れた細道にぽつりとある、隠れ家のようなレストランだった。

 一目見ただけでは中々入りづらいような洒落た外観に、仕事帰りのラフな格好をしている小夜子は少し気が引けたが、昴はそれを見抜いたのか、くすりと笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ、別に服装指定があるような店じゃないし、店構えの割にはずっとカジュアルでリーズナブルな所だから」

「あ……そうなんですね、ちょっと安心しました」

 ほっとした顔をすると、昴はレストランのドアを開ける。からん、と小気味いいドアベルが鳴り、すぐさまスマートな店員が現れた。

「いらっしゃいませ……あ、ニノ上さんお久しぶりです。いつもの個室でよろしいですか?」

「うん、頼むよ」

 店員とも顔馴染みのようで、何も言わずともいつもの場所が用意されるほど、懇意にしている店らしい。やたらと薄暗かったり、心地の良い音楽が流れていたりと、店の雰囲気が自分とどうやっても釣り合っていないのではと感じつつ、小夜子は隠れるようにして昴の後ろを歩いた。

「こちらです。ただいま店長をお呼びいたします」

 店員は会釈すると、すっと席を外す。案内された個室に腰を下ろすと、正面の昴が、耐えきれないように喉をくつくつと鳴らした。

「……もしかしてめっちゃ緊張してない? 面白いなー」

「なっ、そりゃあ緊張しますよ。こんなお洒落な所、一般庶民は中々来ないです」

「確かに雰囲気はあるけど、さっきも言った通りここはカジュアルな所だし、折角なんだから、緊張するより思い切り楽しんだ方がいいんじゃない?」

 昴は頬杖を突いて、こてりと首を傾げる。さすが俳優、そんなさりげない仕草でも絵になるなぁと、小夜子は妙な関心を覚えた。


「……すごい、全部美味しかったです」

「でしょ?」

 一通りの料理を食べ終えて、小夜子は感嘆の言葉を漏らした。

「出て来たお料理がどれも美味しくて、綺麗で、ちょっと感動しました。店長さんも気さくで良い方でしたし……素敵なお店に連れてきてくれてありがとうございます」

「はは、まだお礼を言うには早いって、まだデザートがあるんだから。……そうだ、提供まで時間がかかるって言ってたし、暇つぶしに、来るまでの間俺の質問に答えてくれない?」

「質問ですか?」

 普通の人生しか歩んでこなかった小夜子に、一体何を聞く気なんだろうと首を傾げる。

「子供の頃はどんな子だった?」

「子供の頃は、クラスに一人は居るような、本ばかり読んでいる大人しい子でした」

「その時に一番思い出に残る出来事は?」

「そうですね……夕暮れ時に下校している時、明らかに飛行機雲ではない、流星みたいな白い線が、ゆっくりと空を落ちていくのを見たのが、一番記憶に残っています。一緒に目撃した友達はUFOだって騒いでいましたけど……すみません、こんなエピソードで」

「いいんだよ、君の事が知りたいから、何でも話して。じゃあ次、中高生の頃はどんな子だった?」

「中学、高校と陸上部に入って、それなりに友達が増えました。本は好きなままでしたけど、家で楽しむくらいになりましたね」

「へー、運動部入ったんだ。ちょっと意外だったな。友達が増えたってことは、もしかして、彼氏も出来た?」

「まあ、一人だけ……中高生らしく、数ヶ月で別れましたけど」

「はは、あるあるだ。俺もそんな感じだったな。それじゃ、今の仕事に就いた理由は?」

「今の仕事は、単純に本が好きで、それに関する仕事がしたかったからです。出版社なんかも憧れましたけど、私は本屋の方が向いていたみたいです」

「書店員の方が似合うのは、何となくわかるなー。出会ったばっかりだけど、凄いしっくりくるもん」

「それは、先入観がそうさせているような気がしますけど」

「いやいや、やっぱり合う合わないってあるからさ。だって、俺みたいなチャラチャラした奴が、小学校の先生とかやってたら、やっぱり浮くでしょ?」

「……まぁ、確かに?」

「あれっ、そこは否定してくれないんだ。やっぱり俺みたいなチャラい奴には似合わないってこと? 酷いなー」

「えっ、ちが、そういう意味じゃ……!」

「あはは、うそうそ。そんなに焦んないで、からかっただけだから」

 けらけらと可笑しそうに笑う昴に、小夜子は翻弄されているような気分になって、なんとも言えない表情を浮かべる。

 すると、今までリラックスした体勢で話を聞いていた昴が、ずいっとこちらに身体を寄せて、問いかけて来た。

「じゃ、最後の質問。今は彼氏いるの?」

「……いませんよ。じゃなかったら、貴方の食事の誘いには乗りません」

「おー、そういう所はしっかり真面目なんだね」

「それって当たり前じゃないんですか?」

「いーや? 彼氏いるけど、俺の誘いだからって付いてくる女の子はごまんといるよ?」

 そう当たり前のように話す昴に、小夜子は少し、嫌な予感が背を這った。

「あの、今まで沢山質問されましたけど、そんなに気になるんですか?」

「勿論。人生は一人分しか歩めないけど、他の人生を歩く人の話を聞けば、その人の人生の足跡を辿っていけると考えたら、色んな人の話を聞く方がお得だよ。俳優業の助けになるし」

「……はぁ」

 嘘は吐いていないようだが、本当の事も言われていないような気がして、小夜子は表情を曇らせる。

(……ずっとニコニコしてこっち見てるし、なんだか、この人にナンパされてる気分になるな。こっちはそんな気無いし、向こうもそんな事無いんだろうけど)

 そんな事を思うだけで、勘違いも甚だしいとファンに怒られてしまいそうだと自省しながら、白ワインを口にする。

 すると、昴は急に、個室の壁に掛けられている絵画を指さした。

「ねぇ小夜子さん、あの絵画の作者分かる? 俺、なんか見たことあるような気がすんだよね」

「私は、あんまり絵画とか分からないので……えっ?」

 ふと視線を絵画の方に向けると、テーブルに置いていた手に、何かが触れたような気がして、びくりと肩を震わせる。

 正面を向くと、昴はあくまで絵画を見ながら。さりげなく手に触れていて、小夜子は動揺のあまり、手を引っこめてしまった。

 すると、引っ込められると思っていなかったのか、昴は小夜子の方を向くと、薄く笑みを浮かべた。まるで獲物を見つめるようなぎらついた笑みで、小夜子は胸がざわざわした。

「手を握られるだけで、そんなに動揺するなんて、結構初心なんだ。可愛い」

 そういって、引っ込めた手を、今度は少し強く掴んで、もう一度握る。

「ね、この後予定無いならさ、もっと君の事、教えてよ」

「……わ、私、そういうつもりで来たわけじゃ」

「えー?」

 聞こえないふりをしているのか、小夜子の震える声を聞き流す。こっちはただ折角の機会だからと何も考えずについていったのに、まさかこんな展開になるとは思わず、小夜子は動揺が中々収まらなかった。

 ただ、望まない展開は避けなければならず、強く否定しないといけないことだけは確かで、小夜子は自身を奮い立たせると、掴まれた手を振りほどいて、立ち上がった。

「やめてください。私はそういうつもりでお食事したわけじゃないので!」

 動揺で声色が揺らぎながらも、はっきりと言うと、昴は目を丸くした。小夜子は財布から一万円札を取り出すと、ばんとテーブルに置いた。

「私、帰ります。デザートまでご一緒できずに申し訳ありません。では、失礼します!」

 その場でぺこりと頭を下げると、小夜子は逃げるように、急いで店を後にした。


 その場に一人取り残された昴は、頭を掻くと、

「……一般人相手に、ちょっとやり過ぎたか」

 と、呟いた。

  

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