4.気まぐれと一石の波紋
今日は演者が集まって台本を読み合う、本読みと呼ばれるリハーサルの為、昴はテレビ局に赴いていた。
廊下を歩けば、テレビでよく見るような芸人やタレント、俳優たちと挨拶しつつすれ違いながら、リハーサル室に向かう。
そんな中、華やかさとは縁遠そうな、ラフな格好をした小柄な男が、忙しそうに小走りで向こうからやってきて、それを目にした昴がおっ、と眠そうにしていた目を開き、その男を呼び留めた。
「板倉くんじゃん。やっほー」
「あっ、昴さん。お疲れ様です」
板倉は昴に気づくと、ぺこりと会釈する。板倉はここのテレビ局のADで、仲良くなった理由は覚えていないが、見かける度に話しかけ、たまに飲みに誘う程度には仲が良いスタッフだ。
「お疲れー、今日も忙しそうだね」
「いやいや、昴さんには負けますよ。歴史ドラマシリーズのご出演、おめでとうございます!」
九十度に身体をぴしりと曲げて頭を下げられ、昴はけらけら笑った。
「ありがとー。今も忙しいけどさ、撮影が本格的に始まったらマジで時間取れなさそうだから、今の内に一緒に飲み行こーよ。勿論かわいい女の子連れてくからさ?」
そういって昴は、嫌味なほど上手いウインクをすると、板倉はあからさまに嫌そうな顔をした。
「ちょっと、この前の飲み会の事、もう忘れたんですか?」
「え、なんかあったっけ?」
「マジかこの人、この前そういって連れて来た可愛い女の子、全員持ち帰っちゃったの忘れてないですからね‼」
「あれ、あー……そんなこともあったね!」
「あの時取り残された俺と同期の西口の事も考えてくださいよ、現実を受け入れられないあまり、朝まで二人で飲む羽目になったんですから!」
「西口くんも居た奴か、いやごめんって。でもさぁ、あんなに可愛い子と飲みに行ける機会なんて早々ないっしょ?」
いっそ潔い程の笑顔を浮かべて、昴は首を傾げる。板倉はこいつに何を言っても駄目だと天を仰いでいると、一人の女性が二人の傍を横切ろうとした。
その女性は、今をときめく超人気女優の成瀬凛果で、一目見ただけで性別関係なくどきっとさせるような容姿を持っていた。テレビ局で働いて芸能人など見慣れているはずの板倉も、つい呆気にとられる程の美しさだった。
だが、見惚れていたはずの板倉の表情が一瞬にしてこわばり、はじかれるように視線を昴に向けた。
「あ、凛果じゃん。久しぶり~」
昴は余裕たっぷりの微笑を浮かべて、凛果に声を掛ける。
凛果が振り向くと、その美しい顔が嘘のように、まるで般若のような恐ろしい顔に歪められた。
「……チッ!」
強烈な舌打ちが飛ばされ、ギロリと昴を睨みつけると、凛果は長い髪を振り乱しながら前を向き直り、コツコツとヒールを鳴らしながら歩いて行ってしまった。
それでも昴はひるむことなく、笑顔のまま凛果の後姿に手を振っている。その一部始終を見ていた板倉は、冷や汗が背中をしたたるのを感じながら、胸中で思った。
(……そういえばこの二人、半年前にガッツリ撮られた挙句、昴さんがバラエティでちょっとネタにしちゃって以来、かなり関係が拗れたって噂だけど……マジだったんだ)
綺麗な顔から繰り出される睨みの迫力はとんでもなく、一人震えあがっていたが、睨まれた本人である昴は、何故かニコニコと嬉しそうだった。
「板倉くんさー、今の見た?」
「見たなんてもんじゃないですよ。迫力ヤバすぎて、マジでちびるかと思いましたよ」
「いやー、いいねあの子。あの鋭い目つきたまんねぇわ。俺、ああいうキッツイ女大好きなんだよね」
「えぇ……」
「あっ、でも女の子ならわりと誰でも好きだけどね! 顔と身体さえよけりゃ!」
誰も聞いていないのに、最低な事をあっけらかんと言うので、板倉は引きながらも、芸能界で生き残れる人というのは、こういう人間なのだろうとその瞬間に悟った。
その後本読みが終わり、テレビ局を出た昴は、どかりとタクシーに乗り込んて大きな溜息を吐いた。
(記者会見から一週間ぶっ続けで仕事ってガチしんどいな。明日も朝早くから仕事詰め込まれてるし……ああ休みが欲しい、そんでもって可愛い女の子と遊びたい……)
欲望が駄々洩れな儚き妄想をしながら、昴を乗せるタクシーは夜の繁華街を通り抜けていく。
(マネージャーは怒るだろうけど、ちょっとくらい遊んでもいいだろ。なんたって一週間休み無しなんだし……ん、一週間?)
その時、昴はあることに気づいて、ぱちりと目を開いた。そういえば、誰かと一週間前に、何かの約束をしていた気がする。
そう意識した途端、先週、本屋で女性店員とした会話を思い出して、昴は思わず大声を出した。
「あっ、忘れてた!」
急に声を上げ始めたので、タクシー運転手はびくりと肩を揺らしていた。
「ゴメン運転手さん、ここの近くの蓬丘書店に行先変えてもらえる?」
勢いで行先を告げると、運転手は困惑しながらも頷いて、行先を変える。幸い今いる繁華街から近かったので、本屋にはものの数分で着いた。
「ありがと、お釣りいらないから取っといて!」
本屋の近場に停めてもらうと、焦るあまり、運転手に一万円札を渡すと昴は急いで降りた。
(やべー、必ず行くとか言っといて、すっかり忘れてた! でも夜も遅いし、さすがにもう閉まってるか。てか、何でこんなに焦ってるんだ、俺……)
焦燥と冷静な部分がごちゃごちゃに混ざり合ったまま、小走りで店の場所に向かう。
だが、昴の予想は残念ながら的中し、蓬丘書店は、既にシャッターが閉められていた。
上がる息を整えながら、昴はアッシュグレーの髪をかき上げる。
「……そりゃ、開いてる訳ないか」
閉店時間などとっくに過ぎているのに、何を焦っていたんだと自分が馬鹿らしくなる。そもそも、必ず当日でなくても別に良かったじゃないかと、今になって思った。
「……帰るかぁ」
呟いて、踵を返そうとすると。
「あ、お客様!」
聞いた事のある、低い女性の声が掛けられ、昴が振り向くと、そこには、あの時接客してくれた女性店員が居た。その小脇には、昴が注文していた本が抱えられていて、猶更驚いた。
「あれ、なんでここに……!」
「なんでって、来られるかなと思って、ここで待ってたんですよ」
「いやでも、もう閉店時間じゃん……って、シャッター前でずっと待ってたってこと?」
「はい、さっきはたまたま、お手洗いに行きたくていなかったですけど。当日必ず来るとおっしゃってましたし、お仕事で必要なのかと思ったら、待っていた方がいいのかなと……」
女性は最後言い淀むと、自分の突飛な行動を、今になって恥ずかしく思ったのか、照れ隠しに咳払いをする。
昴は女性の思考が良く分からず、怪訝な顔をしたが、ふと合点がいったように言った。
「君、知らない振りしてただけで、もしかして俺のファン?」
「いやそれは違いますけど。ただ、有名な人がうちの本屋を使ってくれたのが、少し嬉しかっただけの、ミーハーな店員ですよ」
ばっさりと切り捨てながらも、女性は昴に本を手渡す。昴は呆けた顔でその本を受け取ると、女性はぺこりと頭を下げて、その場から去っていこうとした。
「ちょっと待って!」
すると、昴は反射的に腕を伸ばして、女性の手首を掴んだ。
「な、なんですか……?」
急に手首を掴まれて、女性は驚いていたが、昴は、打って変わって柔い微笑を浮かべていた。
「いや、こんな所で長時間待たせたのに、何もせずに帰るなんて男が廃るからさ。時間あるならこれから飯行こうよ、俺奢るから」
「え……?」
女性は怪訝な顔をする。突然の提案もそうだが、昴が醸し出す雰囲気が、がらりと変わったのが気になったようだ。
だが、女性は少し考えた後、こくりと頷いた。
「まあ……折角ですし……わかりました」
「おっ、いいね。じゃあさ、ついでに君の名前も聞いてもいい?」
「私は、三井です。三井小夜子」
「サヤコさんね、了解。俺はニノ上昴、よろしくね」
「改めて言わなくてもわかりますよ」
「ははは、そりゃそうか」
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