第46話 募る心配

 ▽▽▽


 日没後、俺は街灯が薄っすらと照らしている路上をチャリで漕ぎ抜け、テレサの家へと向かった。テレサの家までの距離はそう遠くない。薄暗い住宅街の道を右に左にチャリで通過し、いくつかの大通りを越えると、遠目にぼんやりと見えていた50階建てのタワーマンションが間近に迫っているのが見えた。


「こんなところに住んでる時点で只者じゃないわな」


 俺は信号待ちでチャリを止め、大通りを挟んで向かいにあるマンションを見上げた。初めてテレサを送った時は、都内に高層ビルを構えている大手企業のロビーのようなエントランスを前にして呆気に取られたものだ。両親について訊ねると、テレサは歯切れが悪そうに共働きをしているとしか言わなかった。何か言いにくい事情があるのだろう、とその場では深入りしなかったが、最上階に住んでいることからも両親が裕福であるのは間違いなさそうだ。


 俺は試しにテレサに電話をかけてみたが、電源が入っていないとアナウンスが返ってきた。青信号になり、横断歩道を渡った俺は、マンションの入口付近に不自然な人だかりができているのを見て眉を顰めた。


「こいつらもしかして……」


 俺は目を凝らした。やたらと長いマイクを掲げている若い男や、テレビの撮影に使われるような大きいカメラを構えている中年の男、リポーターと思しき小奇麗な女が大挙としてマンションの前を取り囲んでいる。


「もう自宅まで嗅ぎ付けたのか」


 俺は苦い顔をした。集まっているのはマスコミで間違いないだろう。マンションの住民たちは迷惑そうに顔を顰めながらマスコミの前を通過していく。このネット社会だ。一度個人情報がネットに流出すれば大多数の目に触れることになるのは避けられない運命だが、テレサはもう何年も前に役者を引退している。インスタフォロワー数は世界40位以内にランクインしているが、今は一般人として生活をしているのだ。テレサの性格上インスタをやっていることに違和感を覚えずにはいられないが、ともあれ、テレサとその周囲への迷惑を考慮せずに押しかけてきたマスコミには不快感しかなかった。


 マンションの裏手にチャリを一時的に置いた俺は、住民の振りをしてマスコミが集まっているマンションの前を通り過ぎ、エントランスに入った。オートロックを操作し、テレサの部屋番のインターフォンを鳴らしてみるも、しばらく待っても返事はなかった。これでは留守なのか居留守をしているのか判断がつかない。


「……まさか変なこと考えてないよな……?」


 俺はテレサがこの事態を気に病んで塞ぎ込んでいる姿を想像し、背筋を震わせた。精神的に追い込まれた人間がすることは突飛で周囲の理解を越えるものだ。このマンションの高さならば、などと考えてしまい、居ても立っても居られなくなった。


「仕方ない……本当はこんなことしたくないけど奥の手だ」


 俺は周りに誰もいないのを確認してから、懐から取り出した紙を自動ドアの隙間に差し込んで投げ入れた。内側の検知センサーが紙に反応し、自動ドアが開いた。これはYouTubeで知った裏技だ。今回は非常事態ということで用いることにしたが、本来は禁じ手だ。最悪不法侵入で捕まる可能性もあるが、今は俺の身の振りよりテレサの安否確認が最優先だ。


 欧州の宮殿のような内装の広く長い通路を歩き、エレベーターに乗り込んだ俺は最上階のボタンを押した。エレベーターは思っていたより速く上昇していき、気圧の変化で耳が詰まったが、唾を飲んで解消した。


 最上階で降りた俺は辺りを見渡した。どうやら最上階はワンフロアになっているようで、テレサの家族しか住んでいないようだった。


「うわっ、何だこれ……!」


 部屋の扉へと続く通路の途中にあるガラス張りの窓から夜景を一望した俺は思わず足を止めた。これほどの高さに足をかけたのは生まれて初めてであり、その景色を見るのも同様だ。テレサは毎日こんな景色を見ているのか。そう考えると、テレサは別世界の人間なのだと今更ながら思い知らされた。


 実際その通りだ。かつて世界に名を轟かせた伝説の子役と、元底辺YouTuberの一介の高校生では、このマンションの高さ以上の、それこそ天と地ほどの格差がある。


 今まで仲良くやってこられたことが奇跡なのだ。そんなキャリアを持っていながら居丈高に振る舞うことはせず、分け隔てなく人と接し、無邪気に愛想を振り撒く人格を形成したテレサは奇跡の存在としか言い様がない。それこそかつてマザーと称されたあの人のように。


「……怯むな俺。俺はすべてをポジティブに解釈する男を名乗っていた男。この格差すらもポジティブに捉えてみせる。具体的にどうポジティブなのかはちょっと思い付かないけど」


 俺はテレサの部屋の扉の前に立った。緊張で喉が鳴らしてから、意を決して強めにノックをしてみたが、返事はなかった。


「テレサ! 俺だ! 太一だ! いないのか?」


 大声で呼びかけてみたが、やはり返事はない。俺はダメ元でドアノブを回して引いてみたが、驚くことにすんなりと扉が開いてしまった。

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