第41話 来訪者
▽▽▽
放課後、テレサは用事があると言い残し、足早に帰って行った。
校門を出た俺は夕日に照らされている通学路を歩いた。近頃は毎日のようにテレサと下校を共にしていたので、一人の帰り道は侘しさを感じた。
最寄りの駅に到着した俺は駅構内に入った。階段上からけたたましいブザーの音が聞こえてきた。俺は乗り遅れまいと一段飛ばしで階段を駆け上がり、入口付近のわずかに空いているスペースに乗り込んだ。電車の扉が閉まったのは直後のことだった。俺はぎゅうぎゅう詰めの電車内で目的の駅に到着するのをじっと待った。
帰宅ラッシュの電車内の人口密度は尋常ではない。俺は隣に立っている親父くらいの年齢のサラリーマンをちらりと一瞥した。
薄くなりつつある頭皮に濃くなったクマ、腹だけが出っ張った不自然な体型に、使い古されたよれよれのスーツ姿、薬指に指輪が嵌められた左手で吊革に掴まりながらぐったりと肩を落とし、疲れた顔で目を瞑っている。
日々のストレスに辛抱強く耐え、家族のために働き続ける一家の大黒柱の姿がこれだ。
立派な姿に違いはないが、その行く末の一つを目にしてしまったことを思い出した俺は、込み上がってきた吐き気を堪えるように上を向いた。
家から最寄りの駅で降りた俺は、遠くに見える三番乗降口に目を止めた。途端に過去の記憶が鮮明に蘇り、一度堰き止めた吐き気を堪えることができなくなり、駅のトイレに駆け込み、洗面台に吐瀉物をぶちまけた。
俺は乱れた呼吸を整え、口の中を水でゆすいでから、鏡に映っている苦い顔をした自分と目を合わせた。
三番乗降口から乗り降りすれば無駄な時間を省いて登下校できるが、どうしても過去の光景を忘れることができず、本能的に使用を控えるようになってしまった。
顔を水洗いして気分を切り替えた俺は、改札を出て通い慣れた道を歩き、自宅へと辿り着いた。リビングに顔を出すと、ソファーにちょこんと座り込んでいるセーラー服姿の梓と鉢合わせた。
「おかえり。大丈夫? 顔色悪いよ?」
「ただいま。ちょっとな。気にしないでくれ」
「そう? 無理はしないでね……テレサ先輩はどうだった?」
「どうだったって言うのは?」
「私のコメントのことで怒ってなかった?」
「全然。むしろ顔バレの件で自分の見た目ばかり取り沙汰されたせいで、梓の絵が注目されてないってことを気に病んでたぞ」
「そんなの気にしなくていいのに……後で私からも連絡入れてみるね」
「そうしてくれ。この埋め合わせは新衣装で頼むぞ」
「うん。最高のクオリティで夏衣装を仕上げてみせるよ」
梓は胸元に手を添えたが、何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。
「そういえばお兄ちゃんにお客さんが来てるよ」
「俺に?」
俺はリビングを見渡したが、客と思しき人影は見当たらなかった。
「家の中にはいないよ。庭で待たせてるから」
「お前俺の客を庭で待たせてるのか?」
「私一人だから家に入れるの嫌だったんだ」
「ああ、そういうことか。なら仕方ないな」
家族の客であろうと、自分一人の時に他人を入れるのは抵抗があって当然だ。
それはそうと、客が誰なのか気になる。正直友達と呼べるほどに親しい仲の奴は一人もいないからまったく心当たりがない。
玄関を出て庭に足を運ぶと、そこには見覚えのない少年が立っていた。
時代錯誤の赤い特攻服を着た小柄な少年だ。ツンツン頭の髪の毛も赤く染めており、全身真っ赤と非常に目立つ容貌をしている。
少年は俺を一目見ると、中腰になってから両膝に手を乗せ、ぺこりと頭を下げた。
「ご無沙汰っす。太一くん。元気にしてましたか?」
「元気は元気だけど……誰だお前?」
俺はじろりと少年を睨んだ。こういう輩に知り合いは一人もいない。
「忘れちゃったんすか? 俺っすよ。ほら、ナマハゲ動画でお世話になった」
「ナマハゲ動画でお世話になった?」
俺は復唱してから過去を思い返した。ナマハゲ動画は1万回再生を越えてプチバズりした、ポジティブ太一の渾身の動画の一つだ。あの時はヤンキーを追いかけるどころか逆に追い回されて偉い目に遭ったが、その中の一人にぴっちりジャージを着た黒髪ツンツン頭の小柄なヤンキーがいたのを思い出し、俺はあっと声を上げた。
「お前あの時の……」
「そうっす! あの時はお世話になりました。あれから俺YouTuberになって色々やってるんすけど、それもこれも太一くんが刺激をくれたおかげっす」
少年は再度頭を下げた。そこで俺は目の前にいる少年があの忌むべきYouTuberレッドテルであることに気付き、衝動的に胸倉に掴みかかっていた。
「そうかお前か! ここで会ったが100年目!」
「ちょ! いきなり何すんすか!?」
「何すんすかじゃねえぞこのブタ野郎! よくもそのマヌケ面をのこのこ俺の前に晒せたもんだな!? お誂え向きに赤い服着てるからボコっても血が目立たねえなあ! そうだろ!?」
「太一くん思ってたより柄悪いっすね!?」
少年が喚いた。喚きたいのはこっちのほうだ。
「一旦放して下さいっす! これじゃ話もできないじゃないっすか!」
「話!? 今更俺に何の話があるってんだ!」
レッドテルは俺を踏み台にして一躍人気YouTuberへと駆け上がった。そこまではいい。問題は俺の企画を一部パクって動画をバズらせたことだ。それが何よりも気に食わない。
「ご挨拶が遅れたっす! 俺はYouTuberのレッドテルっす! 本名は赤井照康(あかいてるやす)って言います! 照康って呼んでくれると嬉しいっす!」
「胸倉掴まれてるのに呑気にご挨拶とは随分余裕だな!? このまま捻り潰してくれるわ!」
「太一くんもうそれ完全に悪役っすよ!」
照康は俺が揺さぶるままに体を前後させた。以前俺をボコりにチャリで来たとかいう企画で自宅まで押しかけて来た、と梓から聞いていたが、今回は俺と争うつもりはないのか、抵抗する素振りを見せずに両手を上げている。その姿を見て冷静さを取り戻した俺は照康から手を離した。
「……先に話を聞いてやる。ボコるのはその後だ」
「ボコるのは勘弁して欲しいっすけど、話を聞いてくれればきっとその気はなくなるって信じてるっす」
照康は乱れた衣服を整え、ごほんと咳払いをした。
「安人って覚えてますか?」
「もちろん覚えてるぞ。何でお前が知ってるんだ?」
安人はポジティブ太一の古参ガチ勢の一人だ。何故かいつも後輩ムーブをしていたのをよく覚えている。俺の動画に毎度熱心にコメントを投稿してくれていたのも記憶に新しい。
「あれ実は俺なんすよ」
「えっ⁉ そうだったのか⁉」
予想もしていなかった安人の正体に俺は目を白黒させた。
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