第39話 真っ暗
『テレサママの声聞いてると癒されるわ』
『ASMRやってほしい』
『ホラゲーやったらどんな悲鳴上げてくれるのか聞きたい』
『だ、ダメだ! オラ……もう……!』
『もう何だよw』
配信を始めた当初は100人ちょいだった同接が、いつの間にか200人近くまで増えていた。大手事務所に所属しているトップ勢は平然と数万を叩き出すというが、あちらの数字が異常なだけで、個人勢の新人vtuberの初配信で三桁も出せれば快挙だった。
『ありがとうございます。これから良い子のみんなを癒してあげられるように頑張りますね』
配信画面のテレサが笑顔を浮かべた時だった。
突然画面が真っ暗になった。
『これからどんな配信をしていくかは、お品書きを用意して後日Twitterで公開したいと思います。次回の雑談配信でも画面に出してお伝えしますね』
暗転した画面からテレサの声だけが聞こえてくる。問題が発生している旨を報告するリスナーたちのコメントが、配信画面の右上から次々と流れ落ちてきた。
『あれ? 私どこに行っちゃったんでしょうね? どこかなどこかな』
意外なことにテレサは冷静だった。不具合を解消しようとマウスを動かしている。クリック音とパソコン周りをごそごそと漁っている音をマイクが拾っている。コメント欄には声だけでも聴いていられる、どこかなどこかなが可愛い、とリスナーのコメントが寄せられている。
『もしかして雷が落ちて真っ暗になっちゃったのかな? みんな恐がらなくても大丈夫だよ。おへそを隠して良い子にじっとしててね。よしよし』
大抵の人は初回で放送事故を起こせば狼狽するところだが、テレサはアドリブを利かせ、平静に対処しようと振る舞っている。
何が原因でこうなったのかは分からない。長引くようなら配信を終わらせるのも手だ。俺はテレサに指示を出そうとスマホに手を伸ばしたが、その直後の光景を前にして表情が凍り付いてしまった。
真っ暗だった配信画面が現実の世界に切り替わってしまったのだ。
お風呂上りなのか、肩にタオルを巻いたタンクトップ姿のテレサが画面にはっきりと映し出されている。溢れんばかりの乳房はくっきりと谷間を露わにしている。身近な人間でなければ決して見ることができない完全オフの無防備な姿だった。
『胸でかすぎだろw』
『マジでアメリカ人じゃん! しかも超美人!』
『風呂上りのすっぴんでこの可愛さは異次元だろw』
『次回のサ胸楽しみにしてます!』
『ガチ恋したわ。今まで箱推ししてたけど今日からテレサママ単推しになります』
『水着を着て顔出しでゲーム実況するとゲームが上手くなりますよ!』
コメント欄は大盛り上がりだった。事態を察したテレサは一瞬固い表情をしたが、すぐに気持ちを切り替えたように笑みを浮かべ、カメラをオフにした。配信画面が真っ暗になってもコメントは滝のように流れている。
ほどなくしてテレサが戻ってきた。
『手違いで神々の世界が映っちゃったみたいです。てへ』
テレサの一言でコメント欄は可愛いで埋め尽くされた。
リスナーの反応は想像を絶するほどに好評だったが、これは望んでいた事態ではなかった。その後もテレサは配信を進行したが、コメント欄はリアルテレサの容姿の話題で持ちきりだった。俺は手当たり次第に品のない不適切なコメントを消していったが、さすがに全部は手が回らなかった。
「おいおいこんな時に梓は何をやってんだ?」
梓も配信を見ているはずだが、仕事をしている様子はない。
部屋まで乗り込んで問い質そうかと思っていると、あずま猫名義でこんなコメントが表示された。
『もう一回おっぱい映して』
「あいつ何考えてんだ⁉」
俺は思わず席を立った。
『あずま猫先生おるやんw』
『コメントがおっさんじゃねえかw』
『JCって話は嘘だったのか……?』
『僕はあずま猫先生のが見たいです!』
『見損ないました。ファンになります』
コメント欄はさらなる賑わいを見せた。俺は梓の部屋に踏み込んだ。
「お前まで乗っかってどうすんだ!」
「ご、ごめん。こうしたらもっと話題になるんじゃないかなって思ったら指が止まらなくて……」
「テレサはこういう形でバズるのを望んでないぞ」
「そ、そっか、そうだよね……後でテレサ先輩にも謝っておかないと」
梓しゅんと項垂れてから、ふと顔を上げた。
「そういえばテレサ先輩配信は初めてだって言ってたよね? その割には何か場慣れしてない?」
「それは俺も思った」
配信画面の暗転に顔バレは予想外の事態だが、テレサは慌てる素振りを見せず何事もなかったかのように振る舞っている。尋常ではない対応力だ。俺が同じ立場だったら予告なく配信を落として今頃は頭を抱えているところだ。
それから俺たちはセクハラ紛いのコメントを徹底的に削除したが、コメント欄はあの手この手と表現を変えたおっぱい言語で大賑わいを見せた。
テレサは予定通りに配信を進め、締め括りの一言にこう言った。
『良い子のみんな、またねー』
この一件が後に大騒動を引き起こすなど、この時の俺はまだ知らなかった。
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