第33話 落とし前
リビングで正座させられた俺は、仁王立ちしている梓を恐る恐る見上げた。
「私たちに何か言うことがあるんじゃないの?」
梓の口調は不気味なほどに落ち着き払っていた。これは本気で怒っている時のやつだ。俺は額をこれでもかと床に擦り付けた。
「す、すみませんでした。まさか二人がお風呂に入ってるなんて思ってなかったんだ」
「そんな言い訳を信じると思う?」
「ほ、本当だって! 俺はてっきり二人が……」
「私たちがいなくなったのを心配して探してくれてたんですよね?」
テレサが助け舟を出すように言った。二人がかくれんぼしてると思ってたなんて言えない空気だ。
「ならスマホとオモチャのナイフを持っていたのは何でですか?」
「それは何でか私にも分からないけど……」
テレサはちらりと俺を見た。その点についてはさすがのテレサも少なからず疑問を抱いているようだ。あれがなかったら梓もここまで怒っていなかったはずだ。元YouTuber魂を燃やして撮影なんか始めた数分前の自分を殴りたい。
「どんな事情だったかはもうどうでもいいんです。お兄ちゃんにはテレサ先輩の裸を撮った落とし前をきっちり付けてもらわないと私の気が済まないんです」
「データはもう消したし、私はそれで十分かなって思うけど……」
「裸を撮られた事実は消えません! テレサ先輩は優しすぎです!」
「裸を見られたのは恥ずかしいけど、撮られるのは慣れてるから別に……」
「「撮られるのは慣れてる!?」」
俺と梓は声を揃えて復唱した。
「ま、まさかテレサ、マジックミラー的な何かに連れ込まれて……」
「テレサ先輩がそんなことするわけないでしょ! そうですよね!?」
俺と梓が詰め寄ると、テレサははっと顔を上げ、両手をぶんぶんと振った。
「わ、私のママが写真と動画を撮るのが好きで、子供の頃からずっと撮られてきたから慣れてるって意味です! マジックミラーって何ですか?」
「ああ、それはだな……」
「これ以上テレサ先輩を汚さないで!」
「じ、冗談だって……その様子だとお前はマジックミラーが何なのか知って……」
「……お兄ちゃん?」
「な、何でもないです」
俺は慌てて口を噤んだ。これ以上の口答えは焼け石に水だ。
「話を戻すけど……ちゃんと反省してる?」
「も、もちろんだ。マリアナ海溝よりも深く反省してる」
「そういう余計な一言のせいでふざけてるように聞こえるんだよね」
「ほ、本当だって! 罪を償うためなら何でもする! どうか命だけは!」
「そういうところだって言ってるのに何で反省しないのかな? もしかしてわざとやってるの?」
梓は正座をしている俺の膝をぐりぐりと踏み付けてきた。
「ち、違、俺は本当に反省して……」
「だったら何でふざけたことばかり言うのかな? 本当はこういうことがされたくてわざと言ってるんじゃないの?」
「そんなわけ、な……」
「妹に踏まれて嬉しそうにしてるとか、マジでキモい。お兄ちゃんって変態さんなんだね」
「い、嫌ぁ……そんなこと言わないでぇ……」
「あ、梓ちゃんやり過ぎなんじゃ……」
「そんなことないですよ。見て下さいよ、お兄ちゃんのこのだらしない顔。本当は嬉しくてたまらないんだよね? 変態のお兄ちゃん」
「う、嬉しいわけ、ないだろ! 妹にこんな……こんなことされて……テレサにも見られてるのに……」
「ふーん。テレサ先輩に何か言われたら素直になるんじゃないかな。何か言ってやって下さい」
梓に水を向けられたテレサは「え、ええっ……?」と目に見えて困惑した後で、意を決したようにこう言った。
「た、太一くんのおたんこなす!」
「いや可愛すぎか」
すっかり正気に戻ってしまった。俺は梓の足を振り払った。
「な、何……? 私まだ怒ってるんだけど?」
「本当に悪かった。反省してる。この通りだ。テレサも本当にごめん」
俺は深々と頭を下げた。悪気はなかったでは済まないことをしたのは事実だ。その気になればテレサは俺を警察送りにすることができる。許してくれているからと甘えるのは不誠実だ。この場はきちんと謝罪をするのが筋だ。
「どうします? テレサ先輩」
「梓ちゃんの気が済んだならそれでいいんじゃないかな」
「……分かりました。テレサ先輩がそう言ってくれるなら、私からはもう言うことはありません」
梓は腰に両手を添え「テレサ先輩の優しさに感謝してよね!」と念押ししてきた。俺は何度も頷いて反省の意を示した。
「そ、それはそうと、テレサを早く家まで送って行かないと!」
時刻は22時を過ぎている。今から急いで出れば間に合うかどうかの瀬戸際だ。
テレサと梓はきょとんと顔を見合わせてから小首を傾げた。
「聞いていないんですか? 私今日お泊りするんですよ?」
「え? そうなのか?」
「あれ? テレサ先輩言わなかったんですか?」
「私はてっきり梓ちゃんが伝えたかと思ってたけど……」
そういえば梓だけじゃなくてテレサもパジャマを着ている。本当に泊まるつもりのようだ。
「泊まるって言っても、明日学校があるのに大丈夫なのか? 親御さんの許可は?」
「忘れたんですか? 明日は祝日でお休みですよ。ママにもちゃんとお友達の家に泊まりに行くって話をして許可を取りました。荷物も昨日のうちに梓ちゃんに預かってもらってます」
「そういうこと。パパとお母さんがいないからって私たちに変なことしないでよね!」
「テレサはともかくお前にするわけないだろ」
親父は単身赴任、おふくろは夜勤で夜間はいつも梓と二人きりだ。手を出すならその時が狙い目だ。もちろん大事な妹にそんなことをするわけがない。
「何それ! 私の裸を見て顔真っ赤にしてたくせに!」
「あれはテレサのを見たからだ。今まで見た景色のなかで一番綺麗だった」
「真顔でそういうこと言うの止めてもらえませんか!?」
「しまった! い、今のは違、くもないけど……何て言うかその……」
「ちょっとお兄ちゃん! 私との話がまだ終わってないんだけど!」
「お、落ち着け! 二人から同時にあれこれ言われたら捌き切れねえって!」
俺は喚いた。今晩は騒がしくなりそうだ。
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