第30話 お家でご飯

「あれ? お兄ちゃんも帰ってきてたんだ。おかえり」


「そりゃ帰ってくるだろ、俺の家でもあるんだから。ただいま」


「どうせならテレサ先輩と二人きりになりたかったのにな……」


「テレサと二人になって何をするつもりだったんだよ」


「そ、そんなの言えるわけないじゃん! お兄ちゃんのエッチ!」


「それはこっちの台詞だ」


 恥ずかしそうに身をよじらせる梓に俺は白い目を向けた。実を言うと、梓は百合好きの夢女子という、俺にはよく分からない世界の住人なのだ。小学生の頃からその手の作風の同人作品をpixivで公表しており、そこでカルト的な人気を得た後でイラストコンクールで大賞を受賞して商業デビューを果たし、現役JCという肩書きが話題を呼んで人気を博している、とwikiに掲載されていた。

 

 何を愛好していようが個人の自由なのでとやかく言うつもりはないが、どうも梓はテレサを狙っているような気がしてならない。本人曰く「どっちもイケる」と言っていたし、油断は禁物だ。


「お母さん今日も夜勤でいないからご飯作っておいたよ」


「お母さん? お前この間までおふくろのことママって呼んでなかったか?」


「何言ってるの? ママはテレサ先輩でしょ?」


「お前が何を言ってるんだ?」


 まさか実の母から鞍替えしてテレサをママ呼ばわりするとは。この短期間でそこまで拗らせるなんて恐怖を感じるが、やはり兄妹と言うべきか、その気持ちが少しだけ分かった。


 テレサは人を包み込む母性と人を狂わせる魔性を兼ね備えた天然人たらしだ。俺もプロデューサー兼マネージャーという立場を意識しなければ心を奪われているところだ。正直Vtuberデビューの話を持ち掛けられていなかったら、俺のファンだったなら成功率は高いはずだ、と告っていた可能性もある。


「梓ちゃんお料理もできるんだ! すごいね! まだ中学生なのに! とってもお利口さんなんだね!」


「そ、そうなんです。私お利口さんなんです。うひひ」


「お前いつも料理なんか……」


 俺の台詞末尾は梓に脛を蹴られたことで遮られた。声も出ないくらい痛いやつだった。


「テレサ先輩のために腕によりをかけて作ったんです。たくさん食べて下さいね!」


「ありがとう。梓ちゃんがそう言うならお言葉に甘えようかな」


「是非是非甘えて下さい! わ、私もテレサ先輩に甘えてもいいですか……?」


「もちろん。梓ちゃんならいつでも大歓迎だよ」


「ほ、本当ですか? や、やったぁ……嬉しい、嬉しいよぉ……うひ、うひひ」


 梓は気味の悪い笑みを浮かべている。もしかしたら俺は協力を仰ぐ相手を間違えてしまったのかもしれない。テレサは俺の命に代えても守ってみせる。


「あっ、お兄ちゃんの分はそこに置いてあるから食べてね」


 梓が指差したテーブルの上には開封前のビーフジャーキーが置かれていた。


「俺の分これだけ!? 料理作ったんじゃないのかよ!」


「作ったよ? 私とテレサ先輩の分は」


「さっきのはそういう意味だったのかよ!? しかもよく見たらこれ犬用じゃねえか!」


「えっ、嘘? コンビニで売ってた奴を適当に買ってきたんだけど、間違えてた?」


「いや待て。これは間違えても仕方ないかも」


 パッケージに大きくビーフジャーキーと書かれているのはいいが、肝心の犬用の文字がパッケージの色と同系色で見辛いことこの上なかった。隅っこにあるチワワの写真も丸枠の中で舌を出している構図のせいでメーカーのマスコットキャラにしか見えない。これは俺でも見間違えてしまいそうだ。


「食べてみたら案外美味しいかもよ?」


「誰が食うか! せめて人用のをくれ!」


「待って、食べる前にちょっとだけ借りるね」


 梓はビーフジャーキーをスマホのカメラで撮った。


「そんな写真何に使うつもりだ?」


「ツイートしようかと思って。間違えてお兄ちゃんの夕飯に犬用のビーフジャーキー買っちゃったって」


「なるほど、っておい! 俺の扱い!」


「この後お兄ちゃんが美味しくいただきましたって追記もしておかないとね」


「止めんか! 絶対に食わんぞ!」


「食べ物を粗末にするのは良くないですよ?」


「テレサも俺に食わせる気なのか!? まさかの追い打ちにびっくりなんだが!」


 とか言いつつも、これをYouTuber時代に食べてみた動画で投稿していたら再生数を稼げたかも、と思ってしまった。


「冗談だよ。お兄ちゃんも一緒に食べよ?」


「冗談で良かったよマジで」


「……あっ、早速リツイートされてる! すごいよ! もう500リツイートと1000いいねだって! 明日には1万超えるかも! やっぱりビーフジャーキー食べてみたら?」


「お前は自分の兄が犬用のビーフジャーキーを食べてると周りに思われてもいいのか?」


 梓の対応に疲れた俺はソファーに体を沈めた。


「二人とも仲が良いですね」


 テレサは屈託のない笑みを湛えている。この笑顔を梓の魔の手から守らなければ、と俺は心に誓った。


 それから俺たちは食卓を囲み、梓が作った肉じゃがに舌鼓を打った。ネットに掲載されているレシピを参考に作ったというだけあって美味かった。テレサは他所の食卓だから気を遣っているのか、一般的な女子と変わらない食事量で済ませた。


「それだけで足りるのか?」


「はい。長年の修行で食欲をコントロールできるようになったので」


「どんな修行をしてたんだよ」


 断食道場にでも通ってたのだろうか。


「ほらやっぱり。テレサ先輩が大食いだなんて嘘じゃん」


「そう思うならよよいのよっちゃん亭ってラーメン屋に行ってみろよ。俺が言ってたことが本当だって分かるから」


「1人でラーメン屋に行くの嫌だし。今度連れてってよ」


「それなら今度3人で一緒に行きませんか?」


「そうするか。梓もそれでいいよな?」


「うん。あんまりラーメン食べたことないから楽しみにしてるよ」


 食後の雑談を終えると、梓はテレサを部屋に連れ込み、それきり出てこなくなった。梓とテレサを二人きりにさせるのに一抹の不安を覚えたが、さすがに梓も現実と空想の区別を付けているはずだ。間違いは起きないと信じよう。


 それにしても、何故わざわざテレサを呼び付けたのだろうか。イラストのことならいつものように通話で話せばいいはずだ。


「あいつテレサに会いたい会いたいってうるさかったからな。今日は普通に遊ぶのが目的なのかもな」


 呼び出しに応じて来たということは、テレサも少なからず梓に会いたかったのだろう。


「二人のことは放っておくか」


 呼ばれたわけでもないのに女子の部屋に顔を出すのは憚れる。俺は自室でVtuberの動画を観ることにした。

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