第28話 独占生配信

『だから、太一くんの引退配信の時は……ました……』


「ん? もしもし?」


 テレサの声が途切れ途切れになった。俺は何度か呼びかけてみたが、そのまま通話が切れてしまった。


「本当どこにいるんだか」


 通話口でのテレサの声はマンションのエントランスで喋っているかのように間延びしていた。たまにちゃぷちゃぷと水の音が聞こえていたのも気になる。一応窓の外を確認してみたが、雨が降っている様子はなかった。


 すると、テレサから着信がきた。今回は何故かビデオ通話になっていた。


 今度は俺の顔が見たくなったとでも言うつもりなのだろうか。それじゃまるで恋人同士のやり取りやないかーい、と本場の人が聞いたら怒りそうな発音が滅茶苦茶な関西弁で一人ツッコミをしてから、俺はスマホの画面を人差し指でなぞった。


「もしもし? 大丈ぶふう⁉」


 俺は盛大に噴き出した。


 バスタブに浸かっているテレサがスマホの画面にでかでかと映し出されたからだ。


 肩にかかる長さの金髪を後頭部で結んでいる姿は、髪を下ろしている時とは異なる印象を受ける。真珠のように白い柔肌はお湯に濡れても張りを失わずに水分を弾いている。露わになった首筋にあるホクロには色気が感じられ、浴槽に張ったお湯に浮かぶ規格外の乳房が描く蠱惑的な谷間には視線を引き寄せられずにはいられなかった。


 テレサの片耳にはワイヤレスのイヤホンが付いている。浴室にスマホを持ち込む女子が多いという話は聞いたことがある。感電する例もあるから危ないぞ、と言いたいところだが、防水仕様なら大丈夫なのかな? 最近のは大体そうらしいね。来月には一昨年に買ったスマホの分割払いが終わるから俺も防水仕様の新しいのに買い替えようかな。YouTubeの撮影にも使えるから無駄遣いにならないもんね。テレサを誘ってどこかに出掛けて写真を撮るのも良いな。どうせなら梓も連れて行ってやろうかな。これから力を合わせて活動していく仲なんだ。親睦を深めていかないとな。よーし、お兄ちゃん頑張ってバイトして旅行代を稼ぐからな、などと供述しており……じゃなかった。


 失いかけていた平静さを取り戻した俺はかぶりを振り、ごしごしと瞼を擦ってから、もう一度スマホの画面を覗き込んだ。


 スマホの画面には変わらず入浴中のテレサが映し出されている。


 何てことだ。これは夢ではないのか。ありがとうテレサ。ありがとう神様。とか言ってる場合じゃないか。


『すみませんでした。電波が悪いみたいで勝手に切れちゃいました』


「い、いや、そんな悠長なこと言ってる場合じゃ……」


『話の続きですけど、太一くんの引退は本当にショックでした。こんなに面白くて素敵な人なのに何で人気が出ないんだろうなって。どうしても納得がいきませんでした……実を言うと申し訳ない気持ちでいっぱいなんです。私のために太一くんの貴重な時間を使ってもいいのかなって』


「も、申し訳ないのは俺のほうなんだけど……」


「そんな! 太一くんがそんな風に思うことないです!」


 テレサがバスタブから身を乗り出すと、谷間がドアップで映し出された。


「太一くんは素敵な人です! そんな人と仲良くなれて、良くしてもらえて、私感謝で胸がいっぱいなんです」


 スマホの画面も胸でいっぱいだ。


「だから申し訳ないなんて言わないで下さい。いつか太一くんに恩返しができるように私頑張ります。絶対に後悔させません。だから、これからずっと私のこと、見守っていてくれませんか……?」


 止めろ。止めてくれ。こんな状況でそんな大事なことを言わないでくれ。俺今それどころじゃないから。欲望と罪悪感の板挟みに苦しんでるから。テレサの胸をずっと見守っていたい気持ちをかなぐり捨てようと必死に理性と戦ってるから。二度と敗けねえから!


 こんな絶景、男だったら凝視せずにはいられないが、なけなしの理性が俺に紳士的な振る舞いをするようにと強く訴えかけてきた。本当は記憶に焼き付くまでじっくりと眺めていたいところだが、女子の合意なしにそんなことをするのは卑劣な男がやることだ。俺は断腸の思いで目を逸らした。


 こういう場合はどう対応すればいいのだろうか。自分の入浴動画が俺のスマホに独占生配信されていることにテレサはまだ気付いていない。肝心なところは見えていないからまだマシ……そういう問題じゃないな。


 俺は場を取りなすように一つ咳払いをした。


「て、テレサ、スマホの画面をよく見てみるんだ」


『はい? スマホの画面がどうかしま……』


 テレサの声が尻すぼみになった。目を逸らしているのでテレサの様子がどうなっているか分からない。


 声をかけるべきか悩んでいると、物を落とすような音と共に通話が切れる音がした。


 恐る恐るスマホに目を向けてみると、間髪入れずテレサから着信が入った。


『……見ましたか?』


「……がっつりと」


 見てないなんて嘘は通じない。俺が潔く白状すると、通話口から身悶えするテレサの声が聞こえてきた。


『いつからですか!? もしかして最初からですか!?』


「か、かけ直してきてからだから、最初の通話の時は何も見えてなかったぞ」


『……何でもっと早く言ってくれなかったんですかぁ……』


 テレサは蚊が泣くような声で言った。電話の向こうでテレサが茹蛸のように顔を赤くしているのが容易に想像できる。


「あ、あのさ、入浴中にスマホを持ち込むのは危ないから止めたほうがいいぞ」


『私のスマホ防水仕様だから大丈夫です!』


「そ、そうじゃなくて、スマホを見ている内に長風呂になって脱水症状になるかもしれないし……」


『心配してくれてありがとうございます! また明日学校で会いましょうね!』


 テレサは自棄になったように叫んでから通話を切った。


「……明日どんな顔をしてテレサに会えばいいんだ……」


 俺は頭を悩ませながら別のことも考えていた。


 テレサがYouTuberになって入浴動画を投稿すれば簡単に10万回再生を超えるに違いない。それどころから100万再生も夢じゃないはずだ。


 不適切動画と見なされてBANされる可能性もあるけど。

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