第26話 ASMR
「いつでもいいですよ」
テレサはぽんぽんと膝を叩いた。
俺はごくりと喉を鳴らした。ノリと勢いで提案した膝枕がこんな簡単に実現するとは思わなかった。自分で言い出しておきながら今更緊張してきた。
「照れてるんですか? 可愛いところもあるんですね」
テレサは首を傾げながら挑発的で艶のある笑みを浮かべた。部屋がピンク色に見えてしまうほどの計り知れない色気だった。天然かと思いきやこんな妖艶な表情もできるのか。
女子に免疫がない俺に膝枕はまだ早かったかもしれない。
いや、違う。そんなことを言っていたらいつまで経っても成長できない。
ここで尻込みしていたら男が廃る。
「そ、それでは失礼して……」
俺は意を決してテレサの膝に後頭部を乗せるも、目の前に広がる衝撃的な光景を前に呼吸を忘れた。
男なら誰もが登頂を果たそうと挑み続ける、流麗な輪郭を描く双峰が目と鼻の先で鎮座していた。遠目からでもすさまじい存在感を放っていたが、近距離で、それもあおりの視点で見ると迫力が段違いだった。階段を降りる時どうしてるんだ。これじゃ足元見えてないだろ。
「け、汚された……私のテレサ先輩がお兄ちゃんに……」
「お前のじゃないから」
「えっ、待って。でもよくよく考えたら私と同じ遺伝子を持つお兄ちゃんがテレサ先輩を汚したってことは、それはもう私が汚したのと同じなんじゃ……?」
「解釈の仕方に狂気しか感じねえ」
お前は俺を自分のクローンか何かだと思ってたのか。だったらもっと優しくするべきじゃないのか。
「他にも何かしたほうがいいですか?」
テレサが訊ねてきた。双峰に視界を遮られているため、俺の位置からではテレサの顔が見えない。これが梓だったら見晴らしが良かったはずだが、口に出したら怒られるから言わないでおこう。こういうの今うるさいしな。
「そうだな……テレサがママらしいって思うことをやってみてくれ」
「ママらしいことですか? 上手くできるか分かりませんが、太一くんが言うならやってみますね。梓ちゃん、耳掻きある?」
「ありますけど、まさかお兄ちゃんにしてあげるつもりですか!? そんなの絶対に許しません! これ以上の贅沢はお兄ちゃんに許されていないんです! 絶対に許してはいけないんです! 神様もそう言ってました!」
「口から出まかせ言うな」
俺は前世で何をやらかしたんだよ。
テレサは怒り狂う梓を宥めるように「後で梓ちゃんにもやってあげようか?」と提案すると、梓は真顔で「是非お願いします」と即言してから部屋を出て行き、どこからか持ってきた耳掻きを貢物を献上するようにテレサに手渡した。それを受け取ったテレサは「右耳からやりますね」と言い、俺は右耳が見えるように位置を変えた。
「それではいきますね」
テレサは俺の右耳を耳掻きで丁寧にほじくり返した。
未知の快感に俺は鳥肌を立てた。人に耳掻きをしてもらうのはこれが初めてだ。加えて女子の膝枕というご褒美が付きだ。極楽浄土とはこのことを言うのではないだろうか。
「次は左耳をやりますね」
テレサは俺の頭の角度を変えた。目の前にテレサのお腹が見える。少し上を向けば豊満な胸が、下を向けばスカートが見える。
女子とこんなに密着したのも生まれて初めてだ。本来なら思いっきり意識してしまうところだが、俺は何故かおふくろにあやされていた子供の頃を思い出していた。
最近のおふくろは思春期男子の領域を土足で踏み荒らす侵略者だが、昔はこうして俺をあやしてくれていたんだ。
俺はおふくろの腕の中で眠っていた頃のことを思い出し、懐かしさと安らぎに身を委ねて目を瞑った。何で忘れてたんだろう。ごめんな、おふくろ。今度ガキの頃に感謝の印だって言って渡したのにいざ出された時に期限切れだと突っぱねた肩叩き券の分だけ親孝行するからな。
「気持ち良いですか?」
テレサが耳元で囁いてきた。
不意打ちだった。その一言と耳にかかった微かな吐息が、俺の全身に稲妻のような恍惚感を駆け巡らせた。
これは確かASMRというやつだ。
知っててやったのか、それとも知らずにやったのか、どちらなのか判断に困るところだが、テレサの鈴を振るような声で囁かれ、吐息をかけられるのは刺激が強すぎて身が持たない。何も考えられなくなってバカになっちゃう。
「て、テレサ、耳元で囁くのはなしで頼む」
「もしかして嫌でしたか?」
「い、嫌とかじゃないんだ。俺には刺激が強すぎるってだけの話で……」
「それなら普通に耳掻きをしてあげますね。太一くんはここをこうされると気持ち良いんですよね?」
「ひゃうん! ま、待って、そ、そこだけは……!」
「ダメですよー。まだ汚れがこんなに溜まってるんですから。隅々まで綺麗綺麗しましょうねー」
「い、嫌ぁ……そんなにされたら、俺、もう……!」
「我慢の限界ですか? 仕方ありませんね。ここをもうちょっと綺麗綺麗したら終わりにしてあげますねー」
「だ、だから本当にもう無理……ひぃぐ!」
「お兄ちゃんマジキモい」
快感に打ち震えてよがっている俺に梓が白い目を向けてきた。俺もキモかった自覚はあるが、それだけテレサの耳掻きは最高だったのだ。
「はい、これでお終いです。随分溜まってたみたいですね。ほら、こんなにいっぱい濃いのが出てきました。気持ち良かったですか?」
「いかがわしく聞こえるのは俺の心が汚れているからなのか?」
「大丈夫。私もそういう風に聞こえてるよ」
もうダメだねこの兄妹。
「それはそうと、耳掻きとASMRの合わせ技がここまですごいとは思わなかったな……」
俺は胸に手を当てた。心臓が今にも爆発しそうなほどに早鐘を打っている。テレサのママポテンシャルは想像を遥かに上回っていた。初めは安らぎを感じていたのに、途中からは手玉に取られて気持ち良くさせられていた。テレサは万人を癒す母性だけでなく、男を意のままに操る魔性も併せ持っていたのだ。
「どうでしたか? 私ちゃんとママらしくできていましたか?」
「あ、ああ……ママらしく、それどころかそれ以上の何かを、深淵を垣間見た気がするよ……」
「何を言ってるかはよく分かりませんけど、満足してもらえて何よりです」
「あー、本当キモかった。さっきの全部撮っておいたからね」
梓はスマホをひらひらと見せびらかしてきた。
「は!? お前何してくれてん!?」
「何かあった時はこれをネタに強請るからよろしくね」
梓は悪魔のような笑みを浮かべた。とんでもない奴に弱みを握られてしまった。
「次は梓ちゃんの番だね」
テレサは邪気のない笑みを湛えながら新しい耳掻きを手に持った。
「い、いや、私は別の日にお願いします。お兄ちゃんに見られるの嫌だし」
「そう言うなって。テレサが次いつ家に来るか分からないし、今日やってもらえよ」
俺は梓を羽交い絞めにした。
「ちょ、触んないでよ、変態! 手付きがおじさん臭い!」
「やかましいわ。さあテレサ、やっておしまい」
「良い子にじっとしててね。すぐになんにも考えられなくなるくらい気持ち良くしてげるからね」
「て、テレサ先輩、ちょっと待って……いあああぁ!」
その後、梓がどうなったのか知る者は誰もいなかった。
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