第25話 骨抜き

 俺はそんな微笑ましい光景を俺屋の隅で膝を抱えながら眺めた。冷静に考えると年頃の女子が俺の部屋に二人もいるなんてすごい状況だ。俺の部屋に入ったことがある異性と言えば、自分で掃除すると言っても耳を貸さずに強制的に掃除をしていくおふくろしかいなかった。


「この絵は仕事で描いたソシャゲのキャラで……」


「わー! すごいね! とっても可愛く描けてるね!」


 テレサは愛想たっぷりの笑顔で梓の話に合いの手を入れている。何というコミュ力だ。人見知りの梓の心を容易く開いてしまった。


 思えば、こんなに楽しそうに話をする梓を見るのは久しぶりかもしれない。


 子供の頃は梓と共同でこの部屋を使っていたが、梓が中学に進学してからは別々になった。それ以来、梓とは距離ができていた。お互いに多感な年頃なのでそれも仕方ない、と思っていたが、俺がYouTuberを始めてからは口喧嘩がほとんどとはいえ、会話が増えるようになった。


 もしYouTuberになっていなかったら、梓との距離はさらに遠退いていたかもしれないし、テレサがいなければこんな顔をする梓を見ることはなかったかもしれない。力及ばず引退してしまったが、この光景が見られただけでもYouTuberをやっていて良かった。そう思えるくらいの心の余裕を取り戻せていることに自分でも驚いた。


「本当にすごいよ、梓ちゃん! ここまで上手くなるの大変だったよね! とっても頑張ったんだね! 偉い偉い! よしよし」


 テレサは慈しむような手付きで梓の頭を撫でた。テレサって年下が相手になると子供に接するみたいになるんだな。保母さんみたいだ。


「はうぅ……てれしゃしぇんぱいしゅきぃ……」


 梓はこれでもかと鼻の下を伸ばしている。こんなだらしない顔をする妹なんて見たくなかった。


「というわけで、イラストは梓に依頼することにした。よろしく頼むぞ」


 美少女たちの触れ合いに水を差したくなかったが、これでは話が進まない。俺は部屋の隅からびしっと梓を指差した。


「何で私がお兄ちゃんの頼みを聞かないといけないの?」


 梓は冷たい目でじろりと俺を一瞥してきた。テレサによしよしされながらする顔か。


「そう固いこと言うなよ。なっ?」


「なっ? じゃないし。私こう見えて結構忙しいし、仕事の依頼も何件か来てるんだけど?」


「梓ちゃんが描いてくれたら私も嬉しいなー」


「やります。やらせて下さい」


「俺の頼みは渋ったのにテレサの頼みは即決かい」


 完全にテレサより俺を下に見ている。兄の威厳はいつから粉々になったんだろうな。YouTuberを始めた時かな。


 何にしても、これでイラストの問題は解決した。


「引き受けてくれて本当に助かる。ありがとうな」


「か、勘違いしないでよね。別にお兄ちゃんのためじゃないし……いきなりお金の話をするけど、報酬はお兄ちゃんの来年のお年玉全部で手を打つね」


「俺から分捕るのかよ!?」


「テレサ先輩からお金取るの嫌だもん。それくらいいいでしょ?」


「むむぅ……この際仕方ないか。分かった、それで手を打とう」


「あ、あの、そこまでしてもらうのは申し訳ないんですけど……」


「初期投資だと思えば安いもんだ。前祝いのスパチャって言った方がVtuberらしいか? とにかく気にしないでくれ」


 チェアに腰掛けた俺はパソコンを立ち上げた。


「イラストを描いてもらうのはいいとして、キャラを動かすとなると、また別の作業が必要になるな」


「あっ、それ私も気になってたんだよね。あれってどうやって動かしてるんだろ」


 梓が訊ねてきた。そのことを説明しようと思っていたところだ。


 イラストを動かすにはLive2Dなどの専用ソフトにレイヤー分けしたイラストのデータを取り込み、設定を組む必要がある。そこまで梓にやってもらうのは申し訳ないので、その作業は俺が引き受けるつもりだ。もちろんやったことはないが、作業方法や手順を解説している動画がYouTubeに上がっているのは確認済みだ。本屋に行けば教本も売っている。それらを参考にやってみれば何とかなるはずだ。


「こんな感じでレイヤー? っていうのを分ける必要があるらしいんだけど」


 俺は大凡の手順が掲載されているサイトに接続し、梓に見せた。


「えっ、こんなに分けなくちゃいけないんだ⁉」


「何だ、できないのか?」


「は? できるし。お兄ちゃんのくせに私を煽るとか生意気だし」


 梓はむっとした。どうやらやる気スイッチが入ったようだ。こういう勝気なところは昔から変わっていない。こうなった梓は相手を見返そうと完璧主義を発揮して一心不乱に勤しむようになる。来年のお年玉を全額渡すのだからそれくらいはしてもらわないと困る。


「こうなったらお兄ちゃんが泣きながら感謝するくらいの絵を描くのは決まりとして、後はテレサ先輩がどういうキャラになろうとしてるのか聞かないとだね」


「それだ、俺も気になってたんだ。これからVtuberとしてやっていくのはいいとして、どんなキャラでやっていくのか決まってるのか?」


 これは重要なことだ。テレサが思い描いているキャラクターのイメージを聞き出さなくては梓もデザインに困るだろうし、俺もどういう企画を立案するべきなのか悩む。


「ふんわりした答えで申し訳ないんですけど、見ている人たちを癒してあげられるような活動がしたいです」


「癒しか。今のを聞いて梓は何か閃いたか?」


「うーん……ママとかそう言った感じのキャラなのかなって思ったよ」


「ママですか。恋人もできたことがない私に務まるでしょうか?」


「いやあ、梓の着眼点は悪くないんじゃないか? 梓と接してるときのテレサはそんな感じのイメージに近かったぞ」


「そうですか? あまり自覚はないんですけど……」


「私もお兄ちゃんと同じこと思いましたよ? テレサ先輩の包容力すごかったです」


 梓は何度もうんうんと頷いた。とろけ切ってたもんなお前。


「よし、それなら母性を前面に押し出す感じでやっていくか。今の世の中疲れた人が多い。テレサの希望通り人を癒してあげられるような活動をしていこう。というわけで予行演習だ。テレサ、膝枕をしてくれ」


「何言ってるのお兄ちゃん!? 妹の前で恥ずかしくないの!?」


「羞恥心はYouTuber時代に捨ててきた」


 今更周りにどう思われたところで痛くも痒くもない。俺はYouTuber活動を通じてそんな鋼のメンタルを手に入れたんだ。


「テレサ先輩! 嫌なら嫌って言ったほうがいいですよ!」


「私は別に嫌じゃないよ?」


「そ、そんな! 嫌! 私が嫌です! お兄ちゃんにするくらいなら私にして! 私にしてよママぁ!」


「ママって言っちゃってるじゃん」


 出会って間もないのにあっさり懐きやがって。


 それはそうと、梓は大きな勘違いをしているようだ。俺は何もテレサに甘えたくてこんなことを言ったのではない。テレサのママポテンシャルを見定めるためにもこの行為は必要なことなのだ。しまった涎が……。

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