第17話 美味しいラーメン
▽▽▽
少女に連れて行かれた先は、爆盛激辛チャーシューメンでお馴染みのあのラーメン屋だった。店内は週末なのに空席が目立っている。この店に訪れるのは物好きしかいないのだろう。経営が成り立っているのか心配になってくる光景だ。大将は少女に気付くと「おう一号ちゃんじゃねえか」と気さくに声をかけてきた。
「こんにちは! 爆盛激辛チャーシューメンお願いします!」
「勘弁してくれよ。今月に店を畳む羽目になっちまう」
「冗談ですよ。空いてる席いいですか?」
「もちろんだ。連れの兄ちゃんのツラもどっかで見覚えがあるな」
「どうも。あの時食べられた鶴です」
「もう、それ私のネタじゃないですか」
少女は照れ笑いを浮かべた。ここまで来てもまだ夢ではないかと疑っていたが、この子は本当にママー・テレサなのだ。ここ数年で一番の驚きかもしれない。
俺たちは空いているカウンター席に並んで腰かけた。店内にいる数人の客は、少女の美貌に目を惹かれて麵を啜りながら顔を上げるも、壁に飾られている爆盛激辛チャーシューメン初代完食者の写真に気付くと二度見して麺を噴き出した。俺も初見だったら同じ反応をしていただろう。
「それにしても奇遇ですね。私が完食した時お店にいたんですね」
「実はな。あの時は隣にいるのがママー・テレサだなんて夢にも思わなかったよ」
「私もです。太一さんと二度も会っていたのに気付かないなんて、ファン失格ですね」
「そんなこと気にしなくていいよ。今はライン友達だろ?」
「……そうでしたね」
少女は物寂しそうな顔をした。俺は何となく申し訳ない気持ちになった。ママー・テレサはポジティブ太一の引退を誰よりも惜しんでいた。さっきも何かに付けて撮影ではないのかと勘繰っていたくらいだ。それだけポジティブ太一を熱心に応援してくれていたということだ。
引退した時の無念を思い出した俺は、沈んだ気持ちを露わにするかのように顔を下向けた。少女はそんな俺の様子に気付いて縮こまってしまった。
せっかくのオフ会なのに気まずい。何か話題になるような物はないか、と俺があちこちに視線を彷徨わせると、大将に注文を催促された。俺はチャーシューメンの並盛を注文し、少女は「同じのをお願いします」と言った。
「そ、それだけで足りるのか?」
「普段は少食なんです。あの時は極限までお腹を空かせてから挑みに来ました」
「何でまたそんなことをしたんだ? 食べ歩きが趣味なのか?」
「それについては、まだ秘密です」
少女は唇に人差し指を添えた。誰にでも秘密の一つや二つくらいあるものだ。俺はそれ以上追求しなかった。
ともあれ、大将のおかげで気まずい雰囲気が和らいだ。俺は大将に向けて親指を立て、大将は親指を下に向けた。何でだよ。
「では、改めてご挨拶を。私はママー・テレサこと天宮テレサ(あまみやてれさ)です。よろしくお願いします」
「元ポジティブ太一こと戸張太一だ。こっちこそよろしくな。テレサって本名だったのか」
「母がアメリカ人で父が日本人なんです。8歳までアメリカに住んでいました」
「それからはずっと日本に? どうりで日本語が上手いわけだ」
「日本に来てからはずっと日本語で育てられてきたので英語は下手になっちゃいましたけどね。てへ」
テレサは舌を出しながら額を小突いた。これもラインのやり取りで見たやつだ。美少女がやると頭ではあざとい分かっていても可愛く見えてしまう。可愛いは正義という古い言葉の意味を初めて実感した瞬間だった。
程なくして、大将が「へいお待ち」と注文した品を置いていった。話したいことはたくさんあるが、先ずは腹ごしらえだ。うかうかしていたら麺も伸びてしまう。テレサもそのことをよく分かっているようで「いただきます」と即座に手を合わせると、ピンク色のマイ割り箸を鞄から取り出し、麺を啜り始めた。
大食いチャレンジのときに見た異次元の吸い込みはどこへやら、テレサは音を立てずに麺を丁寧に啜り始めた。食べる前に髪を耳にかける仕草は必要だったんだろうか。狙ってやってるんじゃないか、と俺は疑問を抱いたが、それでも魅入ってしまうのは、テレサが群を抜いて可愛いからだ。男の子って単純で嫌になるね。可愛ければ誰でもいいのかまったく。
俺はテレサより先にラーメンを平らげた。相変わらずの美味さだった。
普段は少食と言うだけあって、テレサの食べるペースは一般的な女子と変わらなかった。何故大食いチャレンジをしたのか気になるところだが、交流を深めていればその内知る機会が訪れるはずだ。
ラーメンを食べ終えたテレサは「ご馳走様でした!」と溌剌に言った。前回も思ったことだが、テレサは美味しそうにラーメンを食べる。見ていて和む光景だ。テレサみたいな子を彼女にしたら毎日が楽しくなりそうだ。
「普通のチャーシューメンは初めて食べましたけど、思っていた以上に美味しかったです」
「同感だ。良い店を見付けたよ」
「すみません! 野菜ラーメン大盛お願いします!」
「いやまだ食べるんかい!」
少食って話は一体何だったんだ。
「ちゃんと野菜も食べないと体に悪いですよ?」
「油っぽいスープでぐっつぐつに煮えた野菜に栄養を期待するんじゃない」
「それもそうですね。野菜餃子も追加で!」
「だから意味ないってそれ!」
俺はびしっとツッコんだ。ラインのやり取りをしているうちに分かったことだが、テレサは時折変人の一面を垣間見せる。そこもテレサの魅力の一つだが、相手してる方は疲れる。もしかしたら俺のしょうもないボケに対して梓も同じ思いを抱いているのだろうか。だとしたらすまんかった。
テレサは追加注文した品をぺろりと平らげた。いつ見ても凄まじい食欲だった。
「今度こそ、ご馳走様でした。さすがにもうお腹いっぱいです」
「だろうな。あの時食べた爆盛激辛チャーシューメンに比べれば少ないだろうけど」
「そう考えたらお腹が空いてきました。ここを出たら次はケーキ屋さんに行きましょう」
「食べ合わせがデブのそれなんよ」
これで太らないのが不思議だ。それとも胸に全部脂肪がいっているのだろうか。口に出したらセクハラになるから胸の内に留めておこう。
「ケーキはまた今度の機会でいいんじゃないか? 俺もう何も食べられないぞ」
「またの機会……そうですね! またの機会にしましょう!」
テレサは顔を綻ばせた。俺も釣られて笑った後で、ふと思った。
引退してからこんなに楽しい気分になったのは今日が初めてかもしれない。
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