第8話 ラーメン屋の美少女②

 大将は熟練の手際でラーメンを作り始めた。ラーメンが出来上がるまで時間がある。俺はTwitterの検索機能を使って〈ポジティブ太一〉でエゴサをした。俺は収益化すらできなかった底辺YouTuberだ。俺を知っている人間は数える程度しかいない。俺についてツイートしている変わり者がそうそういるとは思えないが、つい気になってしまった。


 すると、数人が俺のことをツイートしていた。


『ポジティブ太一とかいう行動力はあるのに運に恵まれなかったYouTuber。しょうもないことで体を張ってるのが面白かったのにな。引退は残念だ』

『ヤンキーに追い回されるナマハゲの動画面白かったけど、ポジティブ太一とかいう底辺YouTuberの動画だったんだな。あれレッドテルの素人時代が見られる貴重な映像だよな。引退してから消されてたけど』

『有名どころが目立ってるけど、ポジティブ太一みたいにひっそりと引退していく奴のほうが多いんだよな』


 昨日の引退配信を見に来ていたと思われるアカウントが〈ポジティブ太一〉のタグを付けてツイートしていた。何千万人もユーザーがいるのに俺を話題にあげているのは三人だけだったが、それでも誰かの記憶に残ったことが嬉しかった。


 どれも絡みもなければ見覚えのないアカウント名ではあったが、ツイートを見る限り、俺を好意的に見てくれていたようだ。もしかしたら動画を観てくれていたリスナーの別名アカウントかもしれない。


 たった数人とはいえ、俺を惜しむツイートを目にしてしまうと、やり切れない気持ちになる。


 ファンの予想を裏切っても、期待は裏切らない。すべてをポジティブに解釈し、前向きに生きる男。その勇姿が誰かの笑顔になれば、と。そんな知る人ぞ知るYouTuberになりたかった。


 有名どころと張り合うつもりは初めからなかった。トップをひた走っている人たちは高性能の機材を揃え、複数人スタッフを動員して動画制作に励んでいる。人を集めることで動画のアイデアを出し合い、手間がかかる編集の労力を分散し、チームで力を合わせて活動しているのだ。それでも毎日動画を投稿するのは大変な労力だ。俺もやっていたからよくわかる。


 しらばくすると、大将が「へい、お待ち」と言ってチャーシューメンを目の前に置いてきた。俺はスマホをポケットに仕舞い、「いただきます」と手を合わせてから割り箸を手に取った。


 見た目はどこにあでもある普通のチャーシューメンだが、味のほうどうだろうか。


 俺は審査員のような心持ちで麺を啜り、丹念に咀嚼してから、かっと目を見開いた。


 有名チェーン店に勝るとも劣らない旨さだった。今まで食べてきたラーメンのなかで一番旨いかもしれない。まだYouTuberをやっていたら動画で紹介したかったくらいだ。


 あっという間に麺を平らげた俺は、最後に取っておいたチャーシューに舌鼓を打ち、最後にどんぶりを両手で持ち上げ、一滴残らずスープを飲み干した。


 俺は満腹になった腹を摩った。この店は大当たりだ。並盛で注文したのにこの量だ。爆盛激辛チャーシューメンを注文していたら食べきれなかっただろう。


 ふと、俺の脳裏にある考えがよぎった。


 行動と勇気が人生を華やかにする。型に嵌っていたら窮屈な人生になる、と思っていたが、何が美味しかった、あの動画が面白かったなど、些細な幸せを見逃さずにしっかりと噛み締めるのが、人生を楽しむ秘訣なのかもしれない。わざわざ誰かを楽しませる立場にならなくてもいい。身の丈に合った生き方を模索するのが最善なのかもしれない。


 そんな閃きに俺は一種の悟りを開きかけたが、どうにもすっきりしない気分が押し寄せて来た。


 それもこれも全部、あの場面を思い出してしまうからだ。


 満腹ということもあって、吐き気が込み上げてきた。俺は口を両手で押さえて上を向いた。どうにか吐かずに済んだ。。


 店を出るのはお腹の具合が落ち着いてからにしよう。俺はコップに水を注ぎ足し、一杯呷った。喉元まで出かかっていた胃液が押し返され、食道がすっきりし、少し気が楽になった。


「ごめんください」


 俺が一息ついていたときだった。店の扉ががらりと開かれた。


 何の気なしに視線を映した俺は、一瞬呼吸を止めてしまった。


 金髪碧眼の美少女が店の前に立っていた。異国の血が混じった顔貌は左右の黄金比が成立しており、モデルと言われても違和感がない。大きく実った胸は着衣越しからも存在感を主張している。腰はくびれているのに安産体形という、絶妙な曲線美を描いている、女性の理想形に程近いプロポーションだ。海外のモデルか何かだろうか。服装は白いシャツに茶色のロングスカートを合わせたシンプルな着合わせだが、少女が着ればランウェイを歩く最先端の衣装に早変わりだ。


 女子一人でラーメン屋を訪れるだけでも珍しいのに、さらに金髪碧眼の美少女と来たら余計に目を引く。大将も驚いた顔をしていた。


 少女は俺の隣の席に座ると、メニューを見ずにこう言った。


「爆盛激辛チャーシューメンをお願いします」


 俺は目を剥いた。大将は聞き間違えだと思ったのか首を捻った。


「もう一度言ってくれねえか?」


「爆盛激辛チャーシューメンをお願いします」


「写真はちゃんと見たんだろうな?」


「はい。それがどうかしたんですか?」


「悪いことは言わねえ。他のを頼みな。あれを完食した奴はまだ一人もいねえんだ。外人さんはよく食うって聞くが、そんな華奢な体で全部食えるとは思えねえ」


「華奢と言われたのは初めてです。エッチな体をしてるとはよく言われますけど」


 今の時代によくそんなセクハラ紛いなことを本人に言えたもんだな。俺みたいに思うくらいに留めておくのが良識だろうに。


「華奢と言ったのは嘘だ。本当はエッチな体をしたお嬢ちゃんだなって思ってた」


 おいこらエロジジイ。わざわざ言い直さなくて良かったんだよ。職人気質で渋いなって思ってたのに台無しだぞ。

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